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第12話
大林の首に太い縄をくくりつけることに成功した榊原は、さてこれからどうやって距離を詰めようかなどと考えていた。
「これってどんな関係になるんすか…」
「君次第かな?」
「はは…」
先程、かわいいね、と何気なく口にした言葉だったが、大林の照れを見ることができたので、大変満足だ。
この一日だけの関係で終わってもいいくらいなのに、また次を許してくれるんだ。
職場ではやっかいごとに巻き込まれることが多い榊原が、初めて他人を振り回して、あまつさえそれを許されてしまった。その甘美な感覚は癖になりそうで、詰まらない日常に多様なの刺激をもたらしてくれそうである。
熱りが冷める頃合いに、会いに行って見よう。
に、と口元が緩む。色気の漂うその微笑みは、身内ですら見たことのない加虐心からくるものだった。
結果、二度目の食事で榊原から秘密を盾に炊事係を任命されることになるとは、この時の大林にはついぞ知り得る手段がなかったのである。
「まじでしんじられん…」
本当に渡されるとは思わなかった鈍色に光る合鍵を、施錠されたドアに差し込み扉を開ける。
ここにいたるまでにも、予め教えられたパスワードをマンションのエントランスホールのセキュリティに認証したばかりだ。
というか、まじでしんじられない、なんだこの部屋。
地上29階建てに地下駐車場付き完備、見晴らしもいい16階という程よい階数に住んでいる榊原の部屋はモデルルームもかくやと言わんばかりの部屋だった。
「最上階が、遠い…エレベーターあのまま乗り続けてたら発狂してたわまじで…」
金持ち怖い、と引きつり笑いをしてしまう。そもそもウォークインクローゼットにゲストルームまである。むしろウォークインクローゼットで寝れるくらい広い。2kの部屋に住んでいる自身からしてみたら、夢のまた夢の物件だ。
「失礼しまーす…」
カラカラ…と音を立ててすりガラスのスライド式の扉を開けると、布団が捲られたまま放置されているキングサイズのベッドが目に入る。
ネイビーとグレーで纏められた部屋は、ルームフレグランスのおかげか爽やかな香りで包まれていた。
ひとまず中に入り、カーテンと窓を開けて換気をする。榊原からはいない間寛いでくれて構わないと言われているが、はいそうですかと言葉通り寛ぐのもなんか違うと思ったからだ。
「今日の俺は家政婦っつーことにするか。おし、」
大林は持参してきたエプロンを身につけると、部屋の端でお利口そうに鎮座していた自動掃除機の電源をつけて起動する。
ブィンと一鳴きしたかと思うと、床上を滑るように掃除をし始めた。
「いいなぁこいつ…掃除機いらねーじゃん羨ましい…」
若干の羨望まじりの視線で見つめた後、リビングを経由してキッチンに向かう。
スッキリとした己の職場を整えるために、買い足した棚の上に調味料を並べ、下の空きスペースにはよく使う砂糖や塩などをおいていく。
なぜか榊原が用意した調味料の中には、エスニックに使うものや謎の木の実、葉っぱなどがあったが、ソレも瓶に詰めて棚やラックにしまっていった。
使い道はあるかはわからない。まあ、大林のやる気次第で活躍する場面もあるかなというくらいだ。
冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターとチューブ調味料、そしてその隣に何故か歯磨き粉が刺さっていて絶句する。
ミント味の歯磨き粉も調味料として使えということなのか?などと一瞬だけ疑うも、そんなわけあるかと自己完結して歯磨き粉を冷蔵庫から救出する。とりあえずこいつは風呂場の洗面台にでもおいておこう。
かれこれ30分位環境を整えていると、玄関から呼び鈴が鳴った。
「へーい。」
ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら宅配業者に入室してもらうためにモニターで確認後、エントランスの扉を開けた。
恐らく榊原から届くと言われていた食料品で間違いないだろう。
世の中の金持ちは買い出しすら宅配業者に頼むのかと思ったが、なにせ冷蔵庫がミネラルウォーターとチューブ調味料しかないので、購入量も半端ない。
宅配業者さんには16階まで頑張って持ってきてもらうとして、到着まで炊飯器を探すことにした。
「電子レンジは完備してるくせになんで炊飯器見当んねーわけ…」
ご家庭に一台あるだろう、とあらゆる戸棚を開けてみたが見つからず、まったくわけがわからないまま途方に暮れる。
インターホンがなったため、ひとまず捜索は放棄して玄関に向かい荷物を受け取った。
「おも…、と。ん?米は?」
緑黄色野菜や根菜、果物、冷凍された魚介とチルド食品。インスタント食品や菓子、その他予備の調味料と乳製品。発酵食品まで網羅しているくせに何故か米がなかった。
代わりにパスタやうどんなどの麺類が入っており、大林は腑に落ちないままそれらを冷蔵庫にストックしていく。
床下収納までしっかりついているのに、開けたら何故かゴミ袋やワイパーのストック、シャンプーなどの日用品の予備が詰まっていて呆気にとられた。
ここは調味料とか入れるだろ普通…とそれらを脱衣場やウォークインクローゼットの中に丁寧にストックし直し、空いたスペースにもくもくと液体調味料などをしまっていく。
そしてはっ、と気がついてしまった。
「米食わないから、炊飯器ねえとか…?」
まさかと思い、口に出してみると改めて戦慄した。
電気ケトルが2台ある意味も想像にかたくない。
大林が思う以上に適当な食生活をしているということをいとも容易く家電から読み取ってしまい、改めて謎の責任を感じ、安請け合いをした自分を呪った。
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