結局肌寒くて榊原に断りもせず上のスウェットも借りてしまったが、まあなんとかなるだろう。 大林はすいとんを温めながら、手際よくサラダも片手間に作り終えると、同じタイミングで風呂から上がってきた榊原も香りに釣られるかのように、ひょこりとリビングに顔を出した。 「なんだろう、凄くいいにおいがする…」 ぐるるる、とまるで猛獣のような腹の音を響かせながらふらふらと近寄ると、鍋をかき回す大林の横から顔を出し、おお！と目を輝かせた。 「すいとん！最高じゃないか！」 「そりゃよかった。不味くても文句言うなよー？」 「言うもんか!ふふ、おかわりしてもいいかな？」 「勿論。ほら、テーブルセッティングしてきて。」 ポン、と腰のあたりを叩いてやれば喜々として布巾片手にテーブルに向かう。 鼻歌でもしそうな勢いで丁寧にテーブルを磨けば、中央に分厚い雑誌を置く。 「さあ！この上に鍋を置いて！」 「お、おう…器によそって持ってくけど？」 「鍋ごとおいたほうが楽じゃないかい？さあさあ！」 「いや、雑ぅ…別にいいけどさ…」 見た目と反し、あまりにも大雑把な様子に苦笑いする。 大林は別に構わないが、奥さんとかは絶対にキレるだろうな…などと思う。別居してるにしろ、見知らぬ男に旦那が胃袋を握られるというシチュエーション、なんというか絵面がやばい。 「なんか考えてる？」 「いやべつに」 そういやさっき口を舐められたんだった。と思い出し、うずりと口端が痺れた。 榊原はというと、そんな大林の百面相なと露知らず、受け取ったすいとん鍋を美味しそうにはぐはぐと味わう。 「久しぶりに栄養のあるもの食べてる…手料理ってこんなに美味しいんだなぁ…」 「ふぐ…っやめ、しみじみするのやめろ面白すぎる。」 「白菜ってこんなにやわこくなるんだね…」 「煮込めばな！」 まさに、至福極まれりと言わんばかりの反応に照れくさくなる。大林自身も、今回作ったすいとんは上手くできたと思う。食べる相手がいるだけでモチベーションが違うからだろう。 「…俺もたのしかったからいい。」 「んぐ、」 むぐ、と小さい口を動かしながら頬を染める。　素直な気持ちを伝えた大林に、こちらまで照れてしまう。 まるで新婚のようなやり取りに、榊原はドキドキしっぱなしだ。 付け合せのサラダも芋餅も美味く、バイト初日からこんな具合では外食も減って健康まっしぐらである。 大林君、まじでうちのこにならないかな…などと本気で思うくらいには、この晩ごはんで見事胃袋を鷲掴みにされてしまった。 「後片付けは僕がしておくから、大林君はお風呂はいっておいで。」 嬉し恥ずかし幸せ晩ごはんの後、皿を重ね始めた大林に提案すれば、キョトンとした顔で言われた。 「え？帰るからいいよ。」 「え？なんで？」 榊原の中で、完全にお泊りするだろうと思っていた手前、呆然としてしまった。 「なんでってなんで」 「泊まってけばいいのに」 非常に残念です、と言うような声のトーンで大林を見やれば、困ったような顔で、だって…と続ける。 「まだ終電あるし、明日も仕事だからさ」 「何番？」 「遅番。」 「着替えは貸すし、できれば一緒にいてほしいっていうわがままなんだけど…」 こころなしか、しょぼくれた榊原の頭から犬のような耳が見えた。 「……………………いいけど。」 他意はないだろう。あれば唇を舐めるだけでは終わらないだろうし、そもそも奥さんいるならノンケだろうし、きっと火遊び感覚でのやり取りに酔っているだけだろう。多分きっと恐らくメイビー。 というかわがままなんだけど、と自分を下げる割には押しが強い。大林はそういうのに流される傾向にある。 たっぷり逡巡し、しぶしぶといった口調で返せば、にこにこと嬉しそうに笑う。 「嬉しい!」 「う…ん」 素直に気持ちをぶつけてくる相手にどういう反応をしていいか戸惑う。 自分より年上のくせに、幼子のような純粋さで好意を差し出して来るのだ。しかも、プラトニックなまでに。 自分はそんなふうに好意を持たれるような綺麗な人間ではないのに。 「じゃあ、着替えは置いておくから入ってきちゃいな！」 「え、これでいいよ？下着も乾いてるだろうし。」 「水に濡れてそのままだったから、さっき洗濯機回しちゃった。大人しく僕の着替えで我慢しなさい。」 「え、ありがと…」 さあさあ！と浴室へ促される。榊原はラタンの引き出しからバスタオルを取り出すと、その上に入浴剤を一つ置いた。 「山の香りだよ！ゆっくりリラックスしてきてね！」 じゃあ、とそのまま宣言どおりに皿を洗いに行く様子を見て、嬉しいとテンションあがるんだなあ…と少し面白くて笑う。 だがちょっとばかし騒がしい気がしないでもないが、自分のことで一喜一憂されるのはなんだかむず痒い。 いそいそと受け取ったバスタオルを棚に置き、借りていたスウェットを脱ぐと丁寧に畳んだ。 家では適当にまるめておくのだが、榊原からの借り物だ。生まれたままの姿になれば、そろりと腰の位置にある燕の入れ墨を撫でた。 隠しているつもりもないが大林にとって意味のあるそれを榊原が見る日が来るのだろうか。 「山の香りっていってたけど…」 コロンとした緑色の入浴剤を手に転がす。 パッケージにはしっかりと森の香りと印刷されていた。 榊原の可愛い勘違いのせいで、静かな浴室に大林の吹き出す声が響いた。