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第10話さようなら
「ん……」
柔らかい光がレースのカーテンから漏れる。その暖かさに気づいて楓は微睡から目が覚めた。
いつもと違う寝心地の良いベッドの感触にサーッと血の気が引いた。急いでベッドから身を起こし辺りを見回すとそこが桔梗の部屋だったことで一気に昨夜の事が思い出された。
「ぼ、ぼくは……なんてことを……」
ーー昨日の僕は体がとても変だった……。でもだからって……桔梗様になんてことをしてしまったんだ……。
これからのことを考えると、どうしても体がガタガタ震えてしまう。それをなんとか抑えよう自分の体を両手でぎゅっと抱きしめた。それと同時に自分が何も着ていないことに気が付いた。
「と、とりあえず何か服を着ないと……」
痛む腰に手を添えながらそっとベッドから降りると自分の太腿の間に白くとろっとした液がつたった。
ーー……ひっ!……これって、桔梗様の……。
昨夜の記憶は残っているがどれもぼんやりとしていた。覚えているのは快楽と痛み、ピリピリと伝わる桔梗の熱、そして自分の桔梗を求める声……。それが交わった証が自分の中から溢れるのを見た瞬間、体がブワーッと熱くなった。
ーーどうしよう、僕……こんなにも幸せだなんて。抱いて……もらえた。ダメだってわかってるけれど……好きな人に抱いてもらえたんだ……
嬉しい気持ちで涙がこみ上げてくる。でもその涙は『ただ嬉しいだけ』、の涙ではなかった。
ーーこれがバレてしまえば、この家から追い出されてしまう……でも嘘をついても隠し通せる自信なんかない。なによりこんなことをさせてしまった桔梗様に申し訳ない。それならいっそ自分から……。
「この家を出ないと……」
幸いにもここに桔梗はいない。決心が鈍る前に……と、涙を手の甲で拭い、よろける足で着るものを探した。
が、ここは桔梗の自室。当然桔梗の服しか置いておらず楓は裸のままうろうろするしかなかった。
「とりあえずシャワールームにあるタオルでなんとかするしかないかな……」
桔梗の自室にはシャワールームとトイレが備え付けられている。現在の時刻は朝の6時半。この時間、使用人は働いているが、誠一郎も桜子もまだ自分の部屋にいるだろう。バスルームにあるタオルで隠せるところだけでも隠して、急いで自分の部屋に戻らなければならない。
「あっ、これならタオルよりは……」
シャワールームに駆け込むと脱衣所の棚に白いバスローブが置いてあるのが見えた。必死に足をつま先立してして手を伸ばすと運よく中指がバスローブの襟に引っ掛かり思ったより早く取ることが出来た。
「早くここから出ないと」
自分に言い聞かせるように呟くとバスローブを着込みシャワールームを飛び出した。
廊下に繋がる扉のドアノブに手をかけそっと扉を開いた。左右確認しても誰の気配もしない。
「誰もいないみたい、良かった……」
頭の中で最短で自分の部屋に行くまでの道をシミュレーションする。
「よしっ、非常階段から外に出られたらあとは裏口からこっそり行けば大丈夫なはず……」
そして廊下に進もうと一歩部屋を出ようとした瞬間、ふわっとシトラスのような爽やかな香りが楓の鼻腔をツンと刺激した。
「この香り……」
ーー間違うはずがない、忘れられるはずがない
「桔梗様の……」
まるで『出ていくな』と呼び止められているような感じがして、思わず振り返った。
そこにはいない桔梗の香りを、忘れないようにくん、と一つ嗅ぐと目頭が熱く頬が濡れる感触がした。
ーーありがとうもごめんなさいも言えなかった。
「さようなら」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟くと楓は廊下へ飛び出した。
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