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第11話赤い椿の花言葉
廊下を出た楓は誰にも見つからないように息を殺し足音を立てないように走った。
十一月の朝の気温は思った以上に冷たく、裸足で非常階段を降りる楓の足先は凍えて真っ赤になっていた。非常階段を降り裏庭を誰にも見つからないように身を屈めながら走ると、裏口から一番近くにある楓の部屋まであっという間で楓は誰に見つかることもなく自室まで戻ることができた。
「はぁ、はぁ……良かった。誰にも見つからなかった……」
ドアに背をもたれながら息を整える。しばらくへたり込みながらぼーっとしていたが、ドアの向こうから早番で来ている使用人の話し声が聞こえたことでハッと我にかえった。
「ぼーっとしてる暇ないのにっ……!」
楓は急いでバスローブを脱ぐとチェストを開け濃紺のジーンズと深緑のセーターを出すと着替えた。数少ない楓の私服はほとんどが目立たない地味な色ばかりだった。それは自分の肌や瞳、髪の色がただでさえ目立ってしまうのを少しでも隠すためだった。
小さめのボストンバッグに下着といくつかの服を入れる。チェストの奥にしまってあった通帳と刺繍の道具を入れるともうそれだけでバッグはパンパンになった。
「これは……持っていってもいいですよね、桔梗様」
ハンガーラックに掛けてある上質なキャメルカラーのトレンチコートをハンガーから外すと楓は大切そうにぎゅっと抱きしめた。
このコートは一年前、楓の誕生日に桔梗からプレゼントされたものだった。
ボストンバッグの上にトレンチコートを置くと楓は机の引き出しからシャープペンシルとノートを取り出した。桔梗に置き手紙をと、ノートから一枚紙を破りペンを握りしめるが溢れる想いを上手く書くことができず何度も書いては消しを繰り返したが結局『今までありがとうございました』しか書けなかった。
机の上には手紙とこの間完成したばかりの刺繍入りの白いハンカチーフを置いた。
「せめて、これだけでもあなたに届いてくれたらいいな」
赤い椿の刺繍が入ったハンカチーフ。
赤い椿は西洋の花言葉で『あなたは私の胸の中で炎のように輝く』。
ーー出会った時から僕の胸は桔梗様……あなたで、いっぱいでした……。
そっと指先で椿の刺繍に触れた後、ボストンバッグとコートを持つと部屋の扉の前に立った。
時刻は7時前。今なら使用人達は忙しく働いているからきっとここには誰も来ないはず、そう思いながらドアノブに手をかけた。
すると、力をかけていないのにドアノブが動きドアが開いた。
「楓っ!!」
「ひゃっ……」
勢いよく開いたドアに押され楓は尻もちをついた。
驚き顔を見上げるとそこには悲しそうに微笑む桔梗が立っていた。
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