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「僕のオアシスがああああ! 脳内錦が来ないいいいい」
その日は頭の中は錦の事でいっぱいだった。
可愛いとは無慈悲な暴力でもある。
錦を思い出しては壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られる。
「錦君錦君錦君はぁはぁもう帰りたい錦君の顔みたい声聞きたい錦君吸い込みたい」
こういう時の脳内錦であるが、生錦の破壊力の所為で上手く脳内錦が作れない。
「二階堂様からお電話です」
「錦君っ何処にいるの」
「ご自宅では」
「脳内錦君だよ」
「実物が居るので現れないのでは」
適当である。
締め切り間近なのに、ネタが降りてこない。
等と言うスランプ中の作家の様な海輝を、凍てつく眼差しで見て部下の蓮城が携帯電話を差し出す。
「そんな事より錦君が降りてこない! 不能になったのか僕のアンテナ!」
「大変お待たせしました二階堂様。申し訳ございません。海輝様は不能になったそうです」
海輝が非常識なら直属の部下も非常識だった。
「ちょっ! おまっ、蓮城、お前何言ってるの? 電話の相手って海輝様の上司だよね?」
「溜息と共に切られた」
「大丈夫なのそれ!」
「大丈夫じゃないよ錦君がっ何で? あれは、春の蜃気楼だったのか!」
もう一人の部下の如月がツッコミを入れるが、海輝は無視した。
そんな物より錦だ。
「僕のオアシスがああああ! 脳内錦が来ないいいいい」
打ち合わせのホテルの一室で書類を全て床にまき散らし、膝をつき頭を抱え叫ぶが、脳内錦は何時まで経っても現れなかった。
「何故だっ何故なんだ」
作曲に行き詰った音楽家を彷彿とさせる叫びと狂気に、部下が怯える。
「蓮城、どうしよう。海輝様がおかしくなった」
「海輝様が狂ってるのは昔からだ。早く錦様のお写真を用意しろ」
床に散らばる書類を拾い上げながら、ベッドに投げ出された上着を指さす。如月は慌てて、ポケットから携帯電話を探り当てた。
「う、海輝様、スマホです!」
薬物中毒者を思わせる指使いでパスワードを入力する。
そして、写し出される錦の写真にぱっと顔を輝かせた。
「錦君!」
こんな情緒だが仕事でミスをしなかったことに、我ながら驚いた。
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