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シルクハニーの死にたい理由【前編】8

俺はゆっくり立ち上がると、正面に座るかなの前に歩み寄ってそっと両手を握る。 明らかに動揺した表情のかなは、俺がこれから何を言うか理解したようだ。 察しが良すぎるのも、困りものだな。 「かな………」 「……っ、やめろ、恭介……」 「俺」 「やめてくれっ………終わりたくないっ……」 「…聞いてかな」 「いやだっ……!お前、わかってないっ…!お前がそれ言ったら……!俺たちもう、」 「言ってたよ……俺、初めて会った時から、ずっと言ってた…っ」 「………っ」 「…かながっ……かなが聞かないようにしてただけでしょ!!!」 俺のいきなりの剣幕に、かなの肩はビクリと跳ねた。 お願いかなっ……… 逃げないで、 俺も、もう逃げないから。 そう心の中で唱えながら、かなの手をひたすらに強く握る。 「………ねぇ、かな………俺が過去の話した時のこと……覚えてる?」 「………」 数日前の夜、その日もお酒を飲みながら……俺はこれまでの人生の全てをかなに話した。 たぶん俺は半分以上泣いていて、それをかなはいつになく穏やかな顔で聞いてくれた。 他人に過去の話をすると、大抵は泣かれるか…もしくは怒ってくれるか……大方その二択なんだけど……… かなの反応は全く違った。 全てを聞き終えた後……… かなは、 優しく、笑ったんだ。 『あーもう…そんな泣くなっての』 『うっ……だってぇ…』 『ふふっ…、なぁ恭介……俺思うんだ』 『ぐすっ……なに…?』 『人生にはさ……プラスな出来事とマイナスな出来事が同じだけあるんじゃないかなって……』 『……』 『そう考えなきゃ生きてこれなかったっていうのもあるけどさ……でも、どん底のマイナスを味わった人間は超強いんだぜ?』 『……え?』 『だって、これから先の人生は……プラスになるだけだから』 俺、あの時のかなの言葉に救われたんだよ? 俺の過去の話なんて、何の救いもないし…クソみたいな人間や汚い物に溢れてたけど……同情でも、蔑みでもなく、本当に当たり前みたいに呟いたかなの言葉が…人生で一番心に響いた。 同時に、やっぱりかなは俺に似てるなって思ったんだ。 だって…… あの言葉を言えるのは、 死にたいほどの"マイナス"を経験したからでしょう…? 「……かな……、かなは間違いなく…俺の人生最大の"プラス"だよ」 「………っ…」 「初めて会った時、これから先の未来…隣にいて欲しいのはかなだって思った」 「………」 「かなさえいれば、俺もうなんもいらないよ……」 「………」 「お願いっ……もう、いいでしょ…?俺のものになって………」 「きょ……う…すけっ………」 「愛してる……かな、俺と付き合って……?ずっとそばにいたい」 握っていたかなの両手を自分の口元まで持ち上げ、そのまま顔を埋めるように甲にキスをする。 かな、手の甲へのキスの意味……知ってる? 忠誠と、敬愛。 俺、一生かなのこと………… 「…やめろっ…!!!!」 「……ッ」 バッと勢いよく腕を振り払ったかなの右手が、俺の頬に当たって口の中に痛みが走った。どうやら歯が当たって口の中が切れたらしい。 顔を歪めた俺に、かなは少し焦ったような瞳を向ける。 だけど、それより…… かなの瞳からこぼれ落ちた涙に驚いて、息が止まる。 「……!」 「ご、ごめんっ恭介………!大丈夫か…?」 「ん……平気……、それより…かな……なんで泣いて…」 「………え」 かなはハッとした顔をした後、腕で涙を拭って、 それからゆっくり話し始めた。 「…………俺………、お前の告白を真面目に聞かなきゃ………ずっとそばにいれるんじゃないかって……思ってた」 「……かな」 「関係をハッキリさせなきゃ……有耶無耶なまま友達として近くにいれるって……」 「………なんで…?俺のこと…友達としか思えないってこと…?」 「…………そう、じゃないっ…」 かなは長い前髪を耳にかけて、目を泳がせる。必死に言葉を探しているようだ。手は可哀想なくらいブルブルと震えていて…まるで、心と連動しているみたい。普段とは全く違うその雰囲気から、かなの背負ってきたものの重さがなんとなく感じ取れた。 もう一度手を握りたいのに、触れたらその瞬間かなの中の大切な何かが壊れてしまう気がした。そう思ったら……触りたいのに、触ることが怖くて、俺は自らの拳を握りしめることしか出来なくなった。 「………お前は…悪くないっ……」 「……じゃあ、なんで…?」 「俺っ……トラウマがあるって言ったろ…?お前がどうとかじゃなくて…俺の問題なんだ…俺は……誰とも恋愛出来ないんだよ……恋愛、しちゃいけないんだ…」 「なに、それ………そんなの、納得できないよっ!!!かなにどんなトラウマがあったって…俺の気持ちは絶対に変わらないよ!!?お願いだからちゃんと話してよっ…!!!」 「簡単に言うなっ…!!!俺はっ、お前には…お前にだけは…知られたくないんだよっ…」 「なんでっ……、どんなトラウマも過去もっ…俺、一緒に背負うからっ…いやだ、かなっ…俺のこと…捨てないでっ……」 もう、半分嗚咽混じりに俺は涙をボロボロ流していて…ぶっちゃけめちゃくちゃみっともなかったと思う。 だけど、カッコつけている余裕なんてもう無くて……俺から離れていこうとするかなを引き止めたい一心だった。 ………3年付き合った彼女に振られた時だって…こんな感情にはならなかったのに。 「ごめん、恭介っ……」 「やだ、無理…俺、かなじゃなきゃ無理っ…」 「ごめんっ……もう、泣かないでくれ…」 「だって…!いやだ、かなっ…行かないでっ」 「……ごめんな……恭介…お前のこと…傷つけるつもりなんてなかったのにっ…」 「そんなっ…」 何度も何度も、ごめんと口にするかなに…俺はもう涙が止まらない。 かなはカバンを引っ掴むとそのまま部屋を出ていこうと歩み出す。 「思わせぶりなことばっかりして……期待させてごめん………もう、二度とお前の前には現れないから」 「え………」 「……今までありがとう、恭介」 「そんな、嘘でしょ……友達にも戻ってくれないの…?」 「戻れないって………」 扉を開いたかなは、最後に一度俺の方を振り返って泣きながらニコッと微笑んだ。 「………俺、お前のこと好きだったよ」 そう呟いたかなは…… 世界一綺麗で、 世界一残酷だった。 そして、 扉が閉まる最後の一瞬、かなは言葉を発さず口の動きだけで俺への懺悔を口にした。 "ごめんな、幸せになって" その日俺は、前の彼女に振られた時と比にならないほど………目が溶けて無くなるまで 泣いた。 …To be continued.

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