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キスする前に出来ること【解決編】7
伊吹と2人きりになった家の中に、静寂が訪れる。
かなは一体どこに行ったのかとか、ほんとにあのクソ親に会うのかとか、いつも通り死ぬほどいい匂いしたなぁ…とか、
色々思うことはあったけど、
でも…言いたいのは一言だった。
「……後悔なんて、するわけないじゃん…」
思わず俺の口からこぼれ落ちた言葉を聞いて、しばらく傍観していた伊吹がおっきなため息をついてテーブルに突っ伏した。
「はぁああああ~……なんつー殺し文句残して行くんだよかなちゃんっ…!!…マジですっごい男前じゃん……!」
「……やっぱ伊吹もそう思う…?やばいよねあの人…!俺、かなの彼氏なのに……かわいさでもかっこよさでも勝てるとこマジでねぇ……!」
「ほんっと、どこがよくてこの兄貴と付き合ってくれてんだろ…!!!?そもそもさぁ…ビジュアル的にも将来性でも絶対私の方が優良物件じゃない?あーっ性別が恨めしいーっ!!!」
「オイ核心ついたこと言うな伊吹っ!!傷付くだろ!!!!」
「あははっ!怒んなって兄貴~冗談冗談!!」
クスクス笑っていた伊吹は……ゆっくりと真顔に戻り、ギュッと眉間に皺を寄せた。
他人にはいつだってポーカーフェイスの妹も、俺の前でだけは心の内をモロに顔に出す。
「………かなちゃん、どうするつもりなんだろ」
「……」
「あの女をいくら説得しようとしたって無駄だよ……私、かなちゃんに傷ついてほしくない……」
「……そんなの、俺だって…」
「ねぇ兄貴…やっぱり今からでも約束キャンセルした方が…!」
「………いや、」
「なんで……!」
「どうせ、いつかはちゃんと向き合わなきゃいけないと思ってたし……それを先延ばしにしたのは俺だから……いい機会かなって…」
「……」
かながなにを言うつもりなのかは大体察しがつく。
きっと、俺の代わりに親に説教してくれるつもりなんだろう。
「大丈夫、かなにもお前にも絶対手出しさせないから…専門学校にも絶対行かせる」
「………私、学校のことは別にいいよ……4月から働いたっていいし」
「は!?それはダメだ!!!かなだって言ってたろ!!?お前には写真の才能があるって!俺もそう思うし、そっちの道に進んで欲しい」
「……私は、普通に…」
「……」
「普通に暮らしたいだけだよ…?…兄貴…」
「……伊吹…」
"普通に暮らす"という言葉が、俺たち兄妹にとってどれほど大きな意味を持つのか。みんなが当たり前に手にしているはずの最低限の幸せを、諦め続けた人生だった。
もういい加減、あの人たちを断ち切る覚悟をしなければ……
じゃなきゃ、俺は……誰も幸せに出来ない。
「…とにかく、かなの言う通り今日で全部終わりにしよう」
「……」
「この話し合いが終わったら十中八九…引っ越すことになると思うけど…いいか?」
「それは全然……どうせもう、高校も卒業するし……でもお金は?アイツらに貯金全部取られたんでしょ?学校のお金も用意しなきゃいけないのに、引越しのお金もなんて……大丈夫?」
「…それは、大丈夫だよ……伊吹が心配することじゃない」
まぁ、今月の給料でその辺はなんとかなるだろう。学費も、直近で必要なのは入学金くらいだし……
「…あ、もしかして…また爽くんの家に行くの?」
「あー…いや、それは無理…アイツ今同棲中だし」
「…え!!?爽くんが!!!?嘘ぉ!!?」
伊吹は仰反るほど大袈裟に驚く。
その気持ちはわかる。だって俺たちが爽の家に厄介になっていた頃のアイツは、まるで恋愛に興味なしって感じだったから。
伊吹は爽が長年片想いしている相手がいたことすら知らないから、あの爽が1人と真剣に付き合ってるってだけで驚きだろう。
爽が伊吹に暁人の話をしなかったのは…コイツの口説き癖のせいだけど。
「はぁー…あの完璧超人の女タラシ王子様を射止める相手がついに現れたんだ…!意外…!なんだか……私まで感慨深いよ…」
「…まぁ、射止めたのはだいぶ昔の話なんだけどね…」
「ん?」
「いや、こっちの話…」
「ふぅん…まぁいいや!今度会わせてもらおうっと」
「それは…!どうかな…?たぶん爽が嫌がるんじゃ…」
「はっはーん……ってことは……相当美人なんだ?」
やばい。変に伊吹の興味を引いてしまった。これ以上は…爽に怒られる。
「ぶっちゃけ…かなちゃんと爽くんの彼女…どっちが美人?」
「なんだよその質問…!」
「いいじゃん教えてよ」
というか、暁人も男なんだけど……まぁそれは今は言わなくていいか。
「はぁ………そうだなぁ…系統が全然違うけど…正直、2人とも同格の美形だと思う…」
「ええっ!?マジ!!?爆裂面食いの兄貴がそんな風に言うなんて…」
「…それお前が言うのかよ…」
「ますます会いたくなっちゃったー!」
「ゲッ!!!おい頼むからやめろ伊吹っ!!!俺が爽にキレられるだろっ!!!」
兄妹2人でギャアギャア騒ぎながら、これから訪れるであろう苦痛の時間を待った。
今考えたら、こうやって騒いでないと正気でいられなかったんだと思う。母と話すことは、俺たちにとってそれほど覚悟のいる事だったから。
1時間後、
何やらでかいカバンを持ったかながご機嫌で戻ってきて…、ますます俺と伊吹は困惑。
かなのご機嫌な笑顔が見れるのは嬉しいけど、今じゃなきゃもっといいのに…
「よかった…まだお母さん来てなかったか…」
「あーあの人…どうせ遅れてくるよ…」
「そうなのか?」
「うん…てかかな…お願いがあるんだけど」
「ん?なに?」
「その……あの人が帰るまで隣の部屋にいてくれない?扉は開けとくから…」
「え!?なんでだよ!俺も参加させろよ!」
案の定なかなの抗議に、俺は黙って首を振る。
「ダメだよかな…」
「はぁ!?俺さっき言ったよな!?俺は今日お前らを助けるために来たって!!ここまで来てそんな…!」
「わかってるよ…?でももう十分…かながあの人に連絡してくれ無かったらこんなすぐに向き合う覚悟出来なかったと思うし…だからもうここからは俺たちに任せてくれない?」
「…」
「もう十分、背中押してもらったよ?」
だから、お願い……
あの人と関わってわざわざ傷付かないで…
俺たちを見つめていた伊吹も、黙って頷く。かなは暫く顰めっ面をした後、諦めたように小さくため息をついて隣の部屋に入って行った。そのままドカッとソファに腰掛けて恨めしそうに脚を組む。どうやら渋々納得はしてくれたようだ。
かなには悪いけど…やっぱり大切な恋人をこの問題の矢面に立たせるのは躊躇いがある。
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