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ミスターバイオレンスの遺言【後編】3
「菫…!?お前なんでこんなとこに…!変な奴に目つけられたら危ないだろ!お前は自分のかわいさをわかってなさすぎる…!」
「お兄様…!あの、菫…心配で…」
「いいからほら、中に入ろう」
菫の手を引いて玄関に向かって歩き出す。焦った顔の菫は昨日とは全く違う雰囲気を纏っている。どうやら恭介のことで相当気を揉ませてしまったようだ。全く…なんていい子に育ったんだ俺の妹は。誰に似たんだか。
家の中に入ろうとすると、菫が立ち止まる。
「どうした?」
「…あの、ママが…誰も応接間に入ってこないようにって…みなさんに行ってたので…玄関からだと応接間に着く前に止められてしまうかなって…」
「ああ……じゃあ裏口からコッソリ入った方がいいか?」
「あ、あのでも…そもそもお兄様なら入れてもらえるのかもしれないんですが…その、一応」
「………菫」
「はい」
「お前……本当によく気が回るな」
「気が…まわる…?」
「よく気がつくなってこと…あー…つまりすごく賢い」
「……えっと、そうですか…?」
「うん……ありがとな」
頭を撫でると菫が照れたように笑う。色んな意味で末恐ろしい。こんなかわいくていい子で頭までよくって…一体どんな大人になるんだよ。嫁に行かせたくなくなるだろーが。困ったな。
裏口に回り、誰にも気付かれないようにそっと家の中に入る。同じ敷地にある結城本家とは違ってこの家にいる使用人はそう多くはない。誰とも出会わず応接間にたどり着くこともさほど難しくないだろう。
俺は一度振り返り菫の背の高さに合わせるようにしゃがみ込む。
「なぁ菫」
「はいお兄様」
「心配してくれてんのに悪いんだけど、お前は自分の部屋に戻っててくれるか?」
「え…」
「菫は本当にいい子だしとても賢いけど、でもな…だからこそ俺はまだ菫には大人の話を聞かせたくないなって思っちゃうんだ」
「……おとな…」
「うん…ごめんな、にいちゃんのわがままだ」
「……」
「わかってくれるか?」
「………はい、わかりました」
ここで潔く頷いてくれるあたりにも聡明さが滲み出る。普通の6歳児は絶対ごねるとこだ。
でもすぐに引き下がってくれてよかった。菫がいちゃ出来ない話になることは目に見えてる。むしろ、俺がこの家の敷居跨ぐの今日で最後になるかもな。
菫が自室に向かって去っていくのを確認してから俺も応接間に向かう。扉の前まで来ると、予想通り中からはおふくろと恭介の話し声が聞こえた。ドアノブに手をかけたまま、俺の動きはピタリと停止する。
「……それは…俺の母親が…かなのご実家に金の無心をしたということですか…?」
「ええ、そうよ」
「……そんな」
俺は立ち尽くし視線だけを彷徨わせる。聞こえてしまった会話の内容が頭の中で反芻する。
最悪だ。あの女……まだ恭介の人生に関わろうとしていたのか。これがおふくろが俺たちを別れさせる武器か。だから恭介だけ呼び出したのか。なんて…なんて残酷なことをするんだ。
今中に入っていくことが最善か、俺は必死に頭をフル回転させる。いきなり入っていって恭介はどう思うだろう。おふくろはなんて言うだろう。俺は一体どうしたら…
俺が考えあぐねている間も扉の中の会話は止まらない。
「本当に申し訳…ありません……なんとお詫びすればいいか…」
「お金のことはいいのよ」
「ですが…!」
「今回は要求されただけでこちらからお金をお渡ししたりはしていないしね」
「……え……今回は…?」
「ええ、以前要があなたの親御さんに渡したでしょ?」
「えっ」
「あら?私が知ってるのが意外?私はあなたたちの交際もずいぶん前から知っていたわよ」
「え!?」
恭介とほぼ同時に俺も心の中で"え?"と呟いた。知っていた…?俺たちが付き合っていることも、俺が恭介の親に金を渡したことも…?なぜ…?
「ご存知だったんですか…!?」
「そりゃ知ってるわよ」
「なんで…」
「交際についてはもともと秘書に調べさせていたのよ要が…心配で」
「………それで…お金のことも…?」
「ああそれは…あの子うちの顧問弁護士に連絡してきていたし、それにさすがに息子の個人口座から一気に1000万引き出されたら気付くわよ」
いや、普通気付かねーよ。成人済みの息子の口座事情なんて普通の親は知る手段なんて無い。それを当然だと思う時点でうちは普通じゃない。合法か違法かなんてことは問題じゃない。そんなことは金と権力があればどうとでもなってしまうのが世の常だ。
おふくろは…もっと俺に興味がないと思っていたのに。菫さえいればそれで…
「…あの……息子さんは返さなくていいって言ってましたが…俺はちゃんと全額返すつもりでいます…だから、」
「あら?そうなの?それは別にどっちでも構わないと思うけど」
「え?」
「だって要はあげるつもりであなたの母親にお金を渡したんでしょ?というかそれってそもそもあなたには返済の義務自体ないんじゃないかしら?」
「でもあのお金は…」
「あれは全額あの子のポケットマネーだから気にしなくていいわよ」
「は?」
「あの子まだ学生だけど、子供の頃からのモデル仕事のお金とか私の手伝いで得た報酬に全然手付けてなかったみたいだからそこそこ貯金あるのよ?だからあれはあの子が稼いだあの子のお金だからそれをどうしようと私がとやかく言うことじゃないわ」
「………」
「要って本当に物欲ないのよね…生活費だってたっぷり渡してるのにほとんど使わないの」
確かにその通りだ。生活費どころかおふくろは小さい頃から俺に真っ黒な魔法の板を持たせていたけれど、俺はそれをほぼ使ったことがない。だってあの人家とか車とか勝手に用意して鍵だけ渡してくるんだぜ?服も靴もアクセサリーも、おふくろの横のつながりで勝手に家に届くしじゃあもうそれ以上何に使えって言うんだよ。
だから正直、俺が恭介の母親に渡した金なんて俺にとっては本当に必要のないもので、あんなはした金で恭介と伊吹が解放されるならいくらだって出してやろうと思っていた。
生きていく上で金は必要なものだ。それは間違いない。だけど、俺はもう金以上のものを恭介から貰っている。俺は知ってるんだよ恭介。お前がいなきゃ他に何を持っていたって、俺は幸せじゃないって。
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