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マフラー

コンビニで、琉太は躊躇することなく100円の肉まんを二個購入した。100円より少しだけ高価な肉まんは贅沢なんだよね、と自分に言い聞かせるように呟きながらコンビニを出てから肉まんを手渡される。店に入った時と同様に二人肩を並べて肉まんを頬張りながら歩いた。 琉太の家、というよりもアパートは司の家の三軒手前にある。古いアパートの一階、角部屋のドアの前に立つと、琉太が鍵を取り出すよりも先に内側からドアが開いた。 「あ。お母さん。まだいたの?」 「これから出るのよ。…あらあら司ちゃん。さっきはどうもありがとうね」 ドアの向こうから現れた琉太の母親のふんわりとした空気は数時間前に司が会った時どころか、自分達が幼い頃から変わっていない。昼間は何も考えずにこの家にやって来たが、琉太の母親が不在であるのなら防寒具は手に入れられなかったことに今更ながらに気が付く。司の姿を目にした母親はにこにこと笑いながら下から顔を覗き込む。この女性と向き合ったり、このアパートに来たりすることは、幼い頃を思い出す。それは司にとっては同時に、自分の世の中や大人に反抗して悪ぶっているという行為が——意味の無いことであるということを自覚させられる瞬間でもあった。 「それじゃあお母さん行くわね。ちゃんとご飯食べててね」 琉太の言葉を借りれば「今日は夜勤の日」なのだろう。薄いコートを纏った母親が小さく手を振る。司にとってはいつの間にか自分より小さくなっていた琉太の母親がより稼ぎのいい夜勤を積極的に請け負っていることも、その理由の根本は、小学生の時に、琉太の父親がある日突然いなくなったからだということも司は知っている。 「うん。気をつけてね」 良く似た笑顔で言葉を交わし合う親子を傍から眺めては、はたと我に返る。こうしてここに立ち会う意味はないだろう。背を向けようとする司に、琉太がほとんど無意識のように司の学ランの袖を引いた。 「え。上がっていかないの?」 「…行かねえよ」 口の中で帰る、と足したものの、家に足を向ける気にはなれない。琉太は残念そうに眉を垂れるも、その横で琉太の母親が、またあらあらと小さく口にした。 「司ちゃんこそ寒そうじゃない。ほら琉ちゃん、それ貸してあげなさいよ。マフラーと手袋」 「あ、そっか。そうだね」 ぽんぽんと交わされる親子の会話に司が口を挟む余地が無い。たかが三軒だろうと言い出すより先に、スニーカーの足を引いた司を追った琉太がマフラーを外す。ふわりと首に巻かれる布地には琉太の体温と香りが含まれていて、それだけで鼓動が早くなるのを感じた。 「いらねえって、…明日お前が困るだろうが」 「俺が迎えに行った時に返してくれれば困んないよ」 さっき一方的に取り付けられた約束を琉太は当然のように覚えている。緩く巻いたマフラーの端を緩く結び終え、片方だけしていた手袋も司に差し出す様子を、琉太の母親が嬉しげに見守っている。 「それじゃあね。また明日ね」 あたかも今首にあるマフラーのように温もりを帯びて向けられる言葉が、幼い頃に交わし合った声を彷彿とさせて、司の胸が音を立てて締め付けられた。 琉太が家に入り、琉太の母親が歩き出した先の角を曲がるのを待ち、司は自宅に背を向ける。二階建ての一軒家には今日も母親がいて、やがて父親も帰宅する時間が訪れるが、家に帰る気にはなれなかった。 ——自分の方が余程恵まれているのに。 稚拙な反抗に伴う罪悪感は、側に琉太の家庭が在るからだということは解っている。ただ、琉太の家庭が昔のままであるのなら、きっと琉太は自分と同じ高校などには通っていない。琉太が高校二年になった今でも自分と一緒にいられる理由の根本を思っては、胸のどこかが軋む音を聴く。 車の入れない路地に足を踏み入れる。帰るか否かは煙草を一本吸いながら考えようとポケットの中を探る動作がマフラーの中に鼻を埋めさせた。 「……」 鼻腔から、琉太の香りが全身に広がっていく。このマフラーに煙草の香りを付ける訳にはいかない、と過ぎった思いはかき消すことが出来ずに司の中で根を下ろす。 「…明日…返さなきゃなんねえしな」 言い訳のように独り呟いた。知らぬ間に止んでしまった雪を求めるように空を仰ぐ。顎先から、マフラーの中に忍び込むように冷たい風が差し込んできた。

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