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屋上
家は近所であるものの、司は琉太と登校することはしない。
自分と付き合う事で琉太に余計な噂の類が立つ事が嫌だった。真っ当な、陽の当たる道を真っ直ぐに歩く琉太はいつも眩しい。まっさらな、穢れの無い琉太のその様を表す語彙を司は持たない。ただ、自分には眩し過ぎる琉太の頼りない背中を見ながら歩む学校への道は、好きだった。
学校では、決して孤立している訳では無い。
自分でも無意味な反抗だと気が付き始めている司の非行はいつしか引っ込みがつかなくなっているだけだ。そんな思いを知ってか知らずか、時たまやってくる司に気のいいクラスメイトは声を掛け、無邪気に触れてくる。教員などは眉を顰めつつ出欠の欄に丸を付け、その手の細かな動きを確かめた後には授業中は眠っているか窓の外を眺めていれば良い。クラスの中の居心地は、悪いと思った事は無い。
昼休みに、琉太のクラスに顔を出した。
琉太のクラスは三軒隣にある。一年の時にクラスメイトだった男に声を掛けて琉太を呼ぶようにつげた。廊下の壁に背を凭れて佇む司の手には家を出る前に探し出したデパートの紙袋がある。中には昨日琉太が貸してくれたマフラーが丁寧に畳まれて入っていた。
「司くん!着てたんだ?良かった」
「…マフラー、」
何が良かったのかはわからない。
自分はただ、これを返す為に。お前に会いに来る為に。
今日学校に足を運んだ理由を多くは語りはしない。無口であることがかっこいいと思っている訳では無い。ただ琉太の前では、いつも余計な口をきかない自分が一層物を言わなくなる。
ほとんど使用されていない紙袋を受け取り、中を覗き込んだ琉太は司が想像していた通りの顔で笑う。寒々しい冬の空の下、一点だけ温もっている陽だまりのようだと司は思う。それでも、礼も告げずに司は廊下を歩き出した。
屋上の、フェンスに囲まれた給水塔の日陰になる部分に吸殻が落ちていた。ここは自分のシマだとは思ってはいないが、司の他にも道を逸脱する人間はいるということだ。人の視界に入らないこの場所は、幸い今日は司の特等席だった。
腰を下ろしてフェンスに背を預ける。持参した菓子パンの袋をカサカサと鳴らし、時折吹く冷えた風に肩を竦める。雪が降ってしまうと屋上は閉鎖になり、ここは使えない。そうすると昼休みはどこに行こう。思い巡らせつつ甘いパンを一口齧ると、不意に頭上に影が射した。
「こんな所にいたんだ。探しちゃったよ」
琉太だった。自分を見下ろし、さっきマフラーを受け取った時と同じ笑顔を向けている。司は咄嗟に——自分のものではない吸殻を手で払って視界から隠す。ここは、吸殻は、琉太には似合わない。
「なんで、」
「教室に帰ったのかと思ったらいないから。ね、どうして教室で食べないの?」
ここ寒いね。相変わらず饒舌に口を動かしながら、すとんと隣に座ってしまう。何が楽しいのかにこにこと首を傾げる琉太がいるそこだけが、温度が少し上がる気がした。
「別に…」
「司くんのクラスの人も探してたよ。せっかく来たんだから一緒に飯食えば良いのにって」
件のクラスメイトを真似ているのか、少し声音を変えた琉太に邪気は無い。
昼休みを一人で過ごす理由に深いものなど無い。
格好がつかないだけだ、などと言えば自分が一層幼く感じられてしまう。黙り込んだ司の横顔を覗き込み、琉太はようやく口を閉ざす。晴れた冬の空を見上げ、軽く鼻歌を鳴らした。
「…お前こそ…、こんな所にいなくてもいいだろ」
口の中で呟く。水分を奪うパンが入った袋の口を閉じ、琉太に釣られたように空を仰いだ。
「ダチの所行けよ」
自分と一緒に居ることはない。居る理由はどこにも無い。琉太は——琉太には、綺麗なままでいて欲しかった。
琉太は少し間を置いて再び首を傾けたかと思うと、また視線を空に戻す。遠い上空に飛行機が一機飛んで行った。
「でも俺ね、司くんがいれば良いから」
「——…」
曇りのない声が鼓膜を通過し、喉を熱くさせ、やがて胸へと着地する。
軽く目を瞬かせ、何をどう返すべきかと内心で動揺する司の目を覗き込み、琉太がただ笑う。
「友達もいるけど、俺は司くんだけがいれば良いよ」
俺も同じだよ。
そんな風に返すことが出来たのなら、どんなに良いだろう。何気なく地べたに置かれた琉太の指に触れ、同じことを口に出来たら、自分が抱える全ても自分の世界も、全て陽だまりの中に包まれるような気がした。
「…そんな事、…ねえだろ」
胸に落ちた琉太の声は見る間に膨らみ、その温もりによって破裂してしまいそうだ。それでも自分は同じ言葉を返す勇気一つ持てない。
琉太は綺麗なままでいなければいけない。
触れることで汚してはいけない。
琉太は、ただ微笑んで司と肩を並べている。そういえば彼は昼ご飯はどうしたのだろうか。そんな事を思ったのは、短い昼休みを終えてから随分後になってのことだった。
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