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進級
北の街の桜は遅い。
幼い頃、入学式や卒業式を描いた絵には決まって桜の花が書き込まれていることが不思議だった。
司や琉太が住む街の4月はまだ冷たい風に吹かれながらも、空や空気に幾分か春の気配を感じる事が当たり前のことだった。
春休み中に購入した真新しいスニーカーが汚れてしまわないよう、普段よりも時間を掛けながら登校したのは始業式の日に学校に行かなければ今年度に自分が向かうべきクラスもわからなくなる可能性があるからだった。メールか何かで教えてくれても良い、と鼻から抜いた息が肌寒い空気に乗って消えていく。
相変わらず学校に行く気は進まない。春休み中、校外の悪友達には退学を唆されてはいたし、司自身も高三になったからといって心を入れ替え真面目に学校に通おうという意思も無い。司が学校に足を向ける理由は、そこに行けば琉太がいるから。最早ほとんど、それだけになっていた。
雪の降る土地特有だという玄関フードがある校舎に足を踏み入れる。中の大きなガラス戸には大判の模造紙が貼られ、クラス別に生徒の名前が羅列してあった。本来であればそこに群がり、友達と同じクラスだだの、担任が苦手だたのと言って一喜一憂する生徒達の姿が無いのは司が登校時間から大幅に遅れてやってきたからである。始業式などに出席するつもりは毛頭なかった。とりあえず自分の所属するべきクラスと、担任の名前くらいが知れたらそれで良い。
模造紙を見上げて自分の名前を確認する。ついでに──の名前を探し、軽く目を瞬かせた。
脳裏に、琉太のそれこそ春の日のような笑顔が浮かぶ。
同時に、緩もうとする頬を懸命に堪えつつ、校舎の中に足を踏み入れた。
校内は静かだった。遠くからマイクを通したような声が聞こえる。体育館ではまだ始業式が行われているのだろうかと思いつつだらだらとした足取りで廊下を歩み、階段に足を掛けた所で、何かが弾けたような賑やかな声が聞こえてきた。式が終わったのだろう。体育館のある方向から生徒達の声が届いてくる。誰ともかち合わぬように、それと自分のクラスの人間達に紛れてしまおうと算段して校舎の中を早足で歩く。増築を繰り返した複雑な造りをしている校舎の構造は時に役に立つことを司は知っていた。
ぞろぞろと教室に向かう生徒達の群れの足元を見遣る。学年ごとに分けられている上履きのラインの色の中から自分が履いているものと同じ色の物を見付け、何食わぬ顔をして列の最後尾に加わった。この列がどのクラスの列なのかはわからないが、人の波に流されながら教室へと着いてしまえば良い。人の気配に不思議がって振り返る同級生を意味もなく睨み付けて黙らせ、後はそっぽを向いていた。
やがて3年生の教室が続く廊下へと辿り着く。廊下に並ぶ教室には既に生徒が到着してるクラスもあった。上を見上げて自分のクラスの表示を探す司の背に、ぽんと声がぶつかった。
「司くん!」
声の主は振り返らなくてもわかった。それでも首だけを返してやると、相変わらず人懐っこい笑顔が嬉しくて仕方がないという風に司に向かってやって来る。おう、気の無い声を発してみるも、司の素っ気ない態度には慣れている琉太が腕に飛び付くように距離を縮めてきた。
「来てたんだ?始業式終わっちゃったよ。これからホームルームだって。ね、クラス同じになったね、」
「……」
顔を合わせて言いたいことは、おそらく司が逆の立場でも同じだっただろうし、重要なことは最後の1項目だけだ。
玄関に貼られていた大きな模造紙の上、区分けされた括りの中に自分と琉太は同じ箇所に入れられていた。
ただそれだけの事が、本当は嬉しくて仕方がないくせに。
司は眉間に皺を寄せ、唇を尖らせて見せる。琉太はにこにこと司に寄り添うように──逃がさないとするように腕が触れ合う距離で自分たちの教室へと進もうとする。所属のクラスだけを確かめて帰れば良かった、と思うも初日から不在も気が引けた。何より、確認すべきことがまだある。
「担任は?」
「…えっとね、……あ、原田先生。現代社会の、」
尋ねたところで教員の顔や名前など覚えてはいない。それでも薄らと記憶の隅にあったのは、その年配の教員が2年生の時に琉太の担任であったからだろう。ひょいと片眉を上げた。
「なんだ。持ち上がりでまた同じじゃねえか。お前」
「うん。…そう。…でもね、」
何となく琉太の顔が曇ったことには気が付いている。だがその理由は司にはわからない。珍しく歯切れが悪い琉太は廊下の隅に視線を落とした後、何かを見つけたようにぱっと顔を上げた。
「でも今度は司くんと一緒だからね。大丈夫だよ、」
妙な物言いだと思った。
何から──何に対しての、大丈夫、なのか。
尋ねようにも琉太はまたさっきと同じような笑顔で教室のドアの縁に背を預ける。共に姿を現した司を見つけた新しいクラスメイトの中から声が掛かる。知った顔を何人か見つけた。
司くんは人気者だから、と琉太は言うが自覚はない。遅いぞ、とはやし立てられる自分は悪ぶってはいるものの、中途半端だと感じている。それでも琉太は眩しげに司を見上げ、どこか安堵したように息を吐き出した。
「ほら。入ろうよ、」
ぽん、と琉太の掌が司の腰に触れる。
じんわりと熱を帯びてしまいそうな感覚をひた隠し、司は教室に足を踏み入れる。そのすぐ背後に、大柄な原田の姿があったことに司は気付いていなかった。
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