12 / 17

夏暁1

夏休みに開かれる夏期講習に通うと申請した司に驚かない人間はいなかったと言っても良い。 半ば興味本位で理由を尋ねる者にほとんど明確な答えを寄越すことはなく、大学受験を希望する者向けの夏期講習に毎日通い、毎時間机の前に座ってノートを開く司を、教員も周りの生徒も初めの数日間は宇宙人を見るような目で見ていた。 司は進学をする。 場所がどこであれ、進学する為には、これまで授業を受けていなかった期間をこの夏に取り戻すしかない。 日中フルに頭を使い、同じ姿勢で過ごしていると自ずと夜に遊び回る時間は無くなった。 司の変化に担任や親は理由がなんであれ手放しで喜んだ。 この夏休みの間にするべきことだと見据えた中心に琉太がいるということは、誰にも、琉太にも口にしていない。 琉太は進学の───高校を卒業したその先も司と同じ時間を過ごす時の為に、堪えていた。 あの進路指導の教員が琉太に提示した条件はこれ以上なく理不尽で、醜悪だ。 司は今も許していない。 琉太が今どう思っているのかはわからない。 ただ、琉太が理不尽と屈辱と悲しみに堪えながら自分との時間を望むのなら、自分はその願いを叶えてやるしかないのだ。 琉太と同じ時間を過ごす。 自分に出来ることは、それしかないのだ───。 「司くん。帰ろ、」 夕方近くになって一日の課目を終え、各々ストレッチをしながら立ち上がる生徒の波を抜けるようにして琉太は毎日司の元へとやってくる。夏期講習も1週間が経てば、毎日学校にやってくる司を異質だとは誰も思わなくなっていた。 飽きもせずに司を迎えに来る琉太は何が嬉しいのか、今日も相変わらずにこにこと相貌を崩していた。 「…ん。…帰ろう、」 推薦が貰える筈の琉太が夏期講習を受けることが司は不思議だった。 琉太曰く、夏休みとはいえ校則で決められているからにはアルバイトは出来ないし、どうせ暇だから。 ───それに、「本当はズルはしたくない」のだと、軽く目を伏せながら言ったのは夏休みの初日のことだ。 何にせよ、司は琉太と帰宅することを拒否しなかった。 それどころか、講習中も昼休みも、ほとんどべったり琉太の近くにいる日々が続いている。 先月の放課後、進路指導の教員と琉太との間に起きたことを司は目撃した。そして司が目撃していたということをあの教師は知っている。 教師と琉太との交換条件はまだ続いているのかはわからない。だが、その関係を知る自分が琉太に着いていることで抑止力になっているのだろうかと気が付いた。 だから一緒にいる。 だから、放課後に肩を並べて帰ることが出来る。 周囲の目は気にならない。 そんなものは、琉太への感情を思うと全て取るに足らないことなのだ。 ───ただ、琉太を守りたかった。 傷つけられた琉太がもうこれ以上傷付くことがないよう、傍で守っていたかった。 「今年は涼しいねえ」 学校と自宅を繋ぐ道の途中にあるコンビニには、3日に1度くらいのペースで立ち寄った。 互いにスポーツドリンクやレジ前に置かれたスナックを買ってまた歩きながら飲み食いする。 都会とも田舎ともいえない道を、2人夕食までの時間を潰すように、たった数時間、翌朝までの別れを惜しむようにだらだらと歩いた。 吹く風の涼しさに目を細めた琉太が小さく笑う。 一日分の汗を吸った白いシャツと、まだ汗の雫が転がる首筋と、袖から伸びる少しだけ日焼けした細い腕に琉太は毎日見蕩れていた。 履き古した琉太のスニーカーに歩幅を合わせて歩きながら、琉太から向けられる言葉に頷く。 格好をつけているわけでなく、いつだって言葉は上手く出てこない。 先月の放課後のことには互いに触れない。 その事が時折ほんの微かにぎこちない空気生む瞬間があるが、すぐに夏の夕暮れの空気の中に霧散した。 「…うん、」 「明日もまたこうやって帰ろうね」 数日に1度、まるで小学生のような幼い口調で呟く琉太が好きだった。 あまりに短い夏と、あまりに儚い夏の夕暮れがいつまでも続けば良いと思うのはなんて陳腐な重いだろうと感じる。 それでも、司は別れ際にいつも焦がれるような胸の熱を感じながら無愛想に手を振る。 自分は琉太を守りたかった。 今度こそ守らなければという密かな意思は、琉太のそばにいる格好の言い訳になった。 そしてその言い訳が成り立つ前提には、琉太が見舞われた不幸がある。 自分は───琉太の身に起こった不幸を利用して琉太の傍にいる。 夕暮れのある日に気が付いたそれに愕然とした司は一瞬足を止めかけ、また歩き始めた。静かに笑う琉太の目に、垣間見た事実を見ない振りをした。

ともだちにシェアしよう!