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16 約束②

 ひと月もそんな生活をしていたら、当然アパートにいる間に柚希の母の桃乃が帰ってくることもあった。  柚希がその部分を受け継いでいる、誰とでもすぐに話ができて打ち解けられる才能のある桃乃は、公園で幼い和哉と母とが遊んでいる時に何回か話をしたことがあったらしい。柚希も小さな和哉と遊んであげていたらしいがそれは全く記憶がなかった。  思春期の息子である柚希だが母の桃乃とは相変わらず何でも話し合う風通しの良い母子関係ようで、和哉の家の事情を聞いているのか2人してあれこれと和哉の世話を焼きたがった。 父の敦哉も大きな喪失感から茫然自失となっていたその気持ちの整理がつかないまでも、ようやく和哉のことを気にかける余裕が生まれ、仕事を調整して早めに帰宅できるようになっていた。 しかしもうその頃には和哉は父親よりも柚希に毎日逢いたくて、今更父にベッタリという気にも慣れず、変わらず公園に入り浸っていた。  ある日。かなり早く帰宅した父と柚希、そして同じように珍しく早めに帰宅した桃乃までもが公園で一堂に会する機会があった。  その日は和哉の誕生日当日だったのだ。敦哉は単純に息子を喜ばせようと、景気づけに奮発した二人では到底食べきれない大きなホールケーキをもって登場した。 そんな敦哉を見て驚いた和哉は、柚希から『誕生日だって言えよ‼』と怒られややきまり悪そうな顔をして照れていた。  食事はデリバリーのピザでも頼んで父子で誕生会をしたいと思っていた敦哉に、和哉がそれなら柚希たちも呼びたいといったら、『折角なら家ですればいいんじゃないか? 和哉の誕生日なら俺と母さんが料理作ってあげる』と和哉の為に何かしてあげたい柚希母子が申し出てあれよあれよという間にアパートで誕生日会をすることになった。 和哉だけでなく柚希もこんなに大きなバースデーケーキを家族で囲んでの食べるのは初めてだったので、とてもはしゃいで鼻先までぺちょりとクリームまみれになって食べるさまは和哉よりむしろ嬉しそうだった。 この日のことは暗い雰囲気が漂っていた生活に再び灯った明かりのように、楽しかった思い出として皆の記憶に刻まれている。  そしてその後は家族ぐるみの付き会いにゆっくりと発展していったのだ。 家族の方向性を決定づけた出来事はそれからまた半年はたった頃だろうか。桃乃が抑制剤の過剰摂取で体調を崩して倒れ、ほとんど真夜中近くに柚希が泣きながら和哉の携帯に電話をしてきた。 和哉の携帯に敦哉に向けたSOSを発信してきた柚希は、最愛の母の最大のピンチにぐちゃぐちゃの涙声だった。 『カズ、ごめんっ。敦哉さんに代わって! お願い!!』 自立心の強いなんでも抱え込むたちの柚希がこんな夜中に電話してきたのだからただ事ではないと、敦哉と和哉は直ちに柚希たちのアパートに駆けつけた。 桃乃は辛うじて意識もある状態であったが顔色は紙のように白く、敦也が抱き上げアパートの一階まで下ろすと、車を出してくれ病院まで付き添ってくれることになった。もう夜も更けていた為、柚希が和哉の面倒を見ることになり、2人でマンションに留守番することになった。 客用の寝具がなかったので、柚希は和哉の布団で共に横になった。和哉も目が冴えてとても眠れる気分になれず、かといってこちらの背中を向けている柚希の震える身体をどう慰めてあげればよいかも分からずただ焦れ、その背に自らの温みを送るために縋ってやることしかできなかった。 柚希は、和哉に聞かれぬように口元を手で抑え、時折くぐもった泣き声を漏らす。まだ成長期の少年のほっそりした頼りない自分の身体を腕で抱きしめて、不安に打ちひしがれて泣きつづけていた。 (柚にい.......、柚希。僕がいつでも傍にいるよ) 赤子のように縮こまってさめざめと泣きぬれる、切なすぎるその姿に和哉は何もできぬ自分自身がもどかしくてたまらなかった。  柚希の名前を呼び慰め、ほっそりした全てを包み混むように抱き締めてあげたかった。 だが和哉はまだ柚希の喉元までしか背丈のない小さな自分の身体が恨めしかった。それでも果敢に背中から腰元に手を回して抱きしめると言うより抱きつくような形になったが、逆に寝返りを打った柚希に腕の中に引き寄せられられ、石鹸の香りのする薄い胸に顔を埋められぬいぐるみのように抱きしめられた。 「カズ、こんな遅くまでお父さん借りちゃってごめんね。.......でも敦哉さんがいてくれて本当に良かった。俺一人だったら.......。ううっ」 再び震えた声に混じる心からの安堵と父の敦哉への思慕を感じて、和哉は幼いながらも嫉妬を募らせ胸を焦がし歯噛みする。 (僕が兄さんより3つ年下じゃなくて年上だったら.......。兄さんは父さんより僕の事を頼りにしてくれた?)  その時強烈に、和哉は感じ、欲した。 (柚にいに甘えられたい。柚にいを甘やかしたい。僕の全てで、柚にいを愛したい、愛してほしい)  今までのような柚希に幼気な動物や可愛い子どものようにひたすら愛でられたいという望みではなく、柚希を一人の対等な人として愛し、そして愛されたい。思春期にゆっくりと向かっていく心と身体は初めて会った時よりもずっと成長し、そして欲深くなっていた。 (柚希の全てを、僕のにしたい)  真っ白な光に目に眩むような、その欲求で和哉の頭は満たされ次第にそれは大きな武者震いと確信をもって全身に満ちた。  思考に突き動かされるように、和哉は腕と脚までも使って渾身の力で柚希の全てを雁字搦めに強く強く抱きしめた。 「柚にい。僕が兄さんを護ってあげる。世界中で一番、兄さんのことが大好きだから。ずっと傍にいるよ? だからもう泣かないで?」  これでも意を決して心を全てを捧げる覚悟で吐いた告白だった。  柚希は分かっているのか……。しゃくりあげて頷きながら返してくれた。 「……僕も和哉のことが、この世で一番可愛い。大好きだよっ。ずっと傍にいてね?」  そのたった一言で、和哉は恋の抜けられぬ淵に突き落とされ溺れた。 「絶対だよ……。約束だからね?」    和哉は自分からも抱き着いていた腕をとくと、幼いながらも長いそれを懸命に伸ばして柚希の後頭部の黒髪の間に指を差し入れた。 「かず?」  そして戸惑う柚希の顔を必死に下に向けさせると、バネのように伸びやかな長い脚で寝具を蹴り上げ懸命に背を伸ばし、涙でぬれた柚希の唇の端に自分のそれをぶつける様に押し当てた。  ふにゃりと柔らかな感覚に互いに身体をびくっとさせ、しょっぱい味の広がった生まれて初めての下手くそな口づけに和哉は顔から耳の先まで熱くなった。  くっついていた身体の中で心臓の鼓動が激しさを増すのを柚希から隠しきれないのではないかと恥ずかしくなる。 (柚にいも……、キスが初めてだったらいいな)  茶色く灯りの落ちた部屋の中、柚希がどんな顔をしているか見るのが恥ずかしく、和哉は眠たいふりをして柚希の胸に再び埋める。 すると柚希の心臓の音も自分と同じように高まっていて、それが柚希も確かに和哉のキスで心を揺さぶられたと物語っていた。和哉は嬉しかったが、だからといって多感な年ごろの二人はもうそのまま何も言うことができずに押し黙った。  温みを全身に感じ、爽やかで甘い柚希独特の香りに包まれていると、あまりの心地よさに和哉は本当にうとうととしてきた。  柚希の柔らかな手が優しい手つきで何度も何度も和哉の背を摩りトントンとされているうちに、和哉は夢見心地の気分のまま眠りに落ちていった。 「和哉……、傍にいてくれ、ありがとう」という優しい声を遠くに聞きながら。    そうして和哉はその後の人生全てを愛する男に縛られることになったが、自ら誘われ入ったような、それはそれは甘美で美しい檻に違いなかった。

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