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17 マーキング①

その後父母が再婚し、ひとつの家族と言うよりはふた家族が同居しているような感覚が強かった一ノ瀬家だが、それでも日頃から互いに思いやりを持って接し、家族仲はすこぶる良かった。 それは多分桃乃が敦哉よりも年上でかつては親子ほど年の離れた男性と添い遂げた、酸いも甘いも嚙み分けた部分があったからだろう。妻を失い糸が切れた凧のようになり、ともすれば後でも追いそうだった敦哉に『和哉を一人前に育てるまでは踏ん張れ!」と背中を張り倒し、柚希とよく似た底抜けに明るい笑顔を浮かべて激励した。 そんな桃乃だからこそ発情期にはフェロモンに翻弄されて、時にこの世にいない番を求めて乱れ狂うそんな婀娜っぽい姿との落差に敦哉は心を奪われ、つい手を差し伸べてしまいたくなったのだろう。 そしてその母譲りのどこが放っておけぬ色香は確実に柚希にも受け継がれ、バスケをしている時はひたすら爽やかな普通の子なのに、ふとした仕草がぞくっと来るほど色っぽい少年に成長してきた。友達だと家に連れてくるものの中にも確実に柚希に気があるものも多そうだったが、大抵は和哉が割って入って邪魔をすれば柚希は和哉の方を優先してくれた。 終始そんな調子で和哉はますます柚希からべったりと離れられなくなった。 思春期真っ只中の中学生だというのに相変わらず、柚希は母ともそして複雑な関係とも言える義父の敦哉ともとても仲が良かった。 新しい生活に慣れてくると、敦哉も和哉と柚希を連れてキャンプに出かけたりと、以前のような活発な姿を取り戻した。  実父とは普通の親子らしい思い出が少なかった柚希は、「敦哉さん敦哉さん』としきりに呼んでは照れくさそうに頬を緩めてはにかんで、嬉しげに彼の後ろをついてまわっていた。敦哉もどちらかといえば父には反応薄めの息子よりも、素直で愛らしい柚希と気が合っているようだった。  もちろん相変わらず、柚希は和哉のことは誰よりも可愛がってくれる。  この年代での3つの年の差からか、今まで共にいると少し奇異にみられていた二人だが、家族になった後は気にするものもいなくなって、好きなだけ一緒にいられて出かけられるのはありがたかった。  和哉も五年生の後半ともなると背丈もぐいぐい伸びて、眩しい程美しく精悍な少年らしさが増してきたが、同時にあの柚希に愛でられていた少女のような容姿の可憐さは少しずつ鳴りを潜めてきた。  丁度その頃。少年から青年に移り変わっていく中途半端な時期が和哉にとっては精神的に一番辛かった。  以前のようにべったりと甘えるにはちょっと大きくなりすぎたし、だからと言って柚希に頼ってもらえるまでには程遠い。  うっとりと敬愛を込めた目線で父を見上げる柚希の輝く笑顔。  そんな彼の姿をみると胸に小さな棘が刺さったようにチクチクとして、和哉は二人が仲良くしてほしいはずなのに、なぜだか父が妬ましくて堪らなくなった。  スーツ姿も禁欲的な色気が漂い、男盛りで誰が見てもハンサム。そして頼りがいのある敦哉のことを、和哉は心の中ではどうしてもライバル視してしまっていた。だからといって自分が父の代わりに柚希を甘やかしてあげられるほど男性らしく成熟し成長しきったわけではない。 (早く大きくなりたい。柚にいに『和哉かっこいい』って言ってもらえるような男になりたい)    バスケも勉強も何でも頑張るから、早く柚希に見合う存在になりたい。  和哉は表面上は以前と変わらぬ可愛い弟分として気ままに柚希に甘えていたが、次第にそれでは物足りなくなっていった。  あの晩、母の様子を心配して再び泣きじゃくる柚希の涙を止めたのは敦哉で、それは桃乃の容態を丁寧に説明した後、今後は自分が桃乃と柚希を護ると約束してあげたからだ。  和哉にはこれから先の未来を全部捧げて、彼を護ると約束はできるが、今実際に和哉が柚希にしてあげられることは少ない。それがとても歯がゆかった。 (もっと僕を頼って、僕だけを見て、僕だけに笑いかけて欲しい)  それにはやはり、自分はいつまでもただ愛玩されるだけの仔犬のままではいられない。いつか必ず、父に成り代わって柚希を護る強い男になろうと。  しかし焦りから無意識に柚希は自分のものだと周囲に分からせるように『ワンちゃんごっこ』をエスカレートさせ、ある日痕が残るほどの噛み痕を兄の身体に刻みつけてしまった。  再婚後のことだから、二人が出会って二度目の冬。  その日も普段通りソファーから跳び付いて柚希の背中に飛び乗ってふざけていた和哉だった。あの柚希特有の石鹸に似た清らかな色香漂う、素肌の香りを嗅ぎたくて相変わらず真っ白な首筋に顔を埋めて唇を寄せると、柚希がくすぐったがって和哉を振り落として逃げようとした。  『柚希が逃げる』というその符号にだけ身体が強く反応し、反射的にぞくぞくぞくっと得体のしれぬ感情が胎の奥から背中まで駆け抜けた。  気が付くと和哉は柚希に後ろから組み付き引き倒しながら、身をよじる柚希に馬乗りになって、真っ白でまだか細い首の付け根に無我夢中でがっつりと犬歯を突き立てていた。  「ああっ!! 痛い、痛いよ! やめて! カズ」 当然床をずり這い逃げようとする柚希の背に乗ったまま、手首を上から押さえつけ、和哉は血のにじむ噛み跡に舌を這わせると、柚希が「やめて、お願いっ」とすすり泣くような憐れでありつつ色香漂う悲鳴をあげたのに、なお煽られる。 (欲しい、兄さんの全部が欲しいよ)  ずくんっ、と。成長の早い身体の奥が重たく疼き、このまま兄の首筋に何度でも唇を押し当てながら、学生服の下に手を入れ滑らかな素肌をまさぐりたい衝動にかられた。柚希と共に風呂に入るのをやめたのも、どこもかしこも真っ白で下映えだけが薄くも黒々とし、腰が艶めかしくくびれたその身体を夢にも見て朝起きた時に下着を汚してしまったからだ。  優しい柚希は目に涙をいっぱいにためながら弟が支配欲と牙を剥き出しにし自分を力いっぱい押さえつけているというのに、抗って振り払うことで弟に怪我をさせることを恐れて拳を握って耐えていた。  騒ぎを聞きつけてリビングに戻った敦哉が二人を引き離した時にはもう柚希の首には消えない痕がついた後で、流石にもうそういうことは止めなさいと親たちを困惑させ、こっぴどく叱られた。  もしかしたら敦哉は何となく、息子が自分と同じα性を持つのではと直感的に感じていたのかもしれない。  母が亡くなった時もそうだが、二人は親子ではあったが、どこか別の群れを率いる狼のα個体のように、息子をべたべたと甘やかさず対等に接している部分もあった。 「和哉、ちょっといいか?」    反省の為、部屋に籠っていた和哉と二人きりの時、戸口の前に立ったまま父は声をかけたが、説教の予感に和哉は返事もせずに本の字面だけを追った。  思春期に差し掛かった息子の頑なな態度に、敦哉は作戦を変えると小5の息子には少し難しいと思いつつもきっと理解できるだろうとこう切り出した。   「欲しい相手を従わせたいと沸き起こる欲求にけして屈してはいけないんだ。強い、抗いがたい感情だろうが、自分の力で無理にでも封じこまないと、一番愛するものをひどく傷つける。守りたい者に向けてよいのは、牙でなく惜しみない愛情だけだ。分かるな?」  聡い和哉は父が何を言わんとしているのかなんとなく見当がついていた。もしかしたら成長期とともにホルモンが不安定に増していくこの時期、α性を持つものが陥りがちな激情に似た衝動なのかもしれない。   「父さん。僕の中にはね? 真っ黒で凶暴な狼みたいなやつがいるんだ。それが兄さんが欲しいって、全部僕だけのものにしたいって、たまに暴れるんだ。父さんのことを見つめてる、兄さんの顔をひっつかんで、いつでも僕の方を向かせたくなる。兄さんに、噛みつきたい、僕の印をつけておきたい。兄さんは僕のものだって周りのみんなに叫びだしたくなるこの気持ちは……。僕の中の狼がそうさせるの?」    初めて吐露した本音に、敦哉は双眸をやや見開き、その後何か悟り納得したような顔をして大きく息を吐き息子に頷いた。 「それは……。成長して、お前が本当に俺と同じαだったら、きっと。いつかお前だけの番を得たら収まる感情なのかもしれない」 「番? 僕は兄さん以外欲しくないよ。だったら兄さんが僕の番だと思う。違うの?」    和哉と桃乃とは楽しそうに話す癖に、父親のことはそっちのけになりがちだった和哉が饒舌になったので机に向かっていた和哉の後ろを通って敦哉はベッドに長い脚を持て余すように腰かけた。 「それはまだ分からない。年齢的に判別ができる年じゃない。もしかしたら柚希はΩではないかもしれないし、お前もαじゃないかもしれない』 「別にΩじゃなくたって、αでもなくたって。僕は兄さんが一番好き。大好きなんだ。誰にも盗られたくない。もちろん父さんにもね?」  だいぶ父に面差しが似てきた息子がそこだけはより母親に似た薄い琥珀色の『ウルフアイ』を光らせて父を威嚇してきたので、まだまだそんな程度では屈しないと父も眦に力を込めた。 「分かった。だけど柚希がβだろうがΩだろうが、無理やり奪うことだけは止めるんだ。自分の中の狼を飼いならせ。優しい犬の皮でも被って、忠犬みたいに穏やかに、大事な人と心を通わせるんだ」 「犬のふりをするの?」 「まあ、平たくいうとそうだな。その方が怖がらせないで済む」 「ガブっといくの? 母さんのこともそうしたの?」    亡くなった母の話は何となく柚希たちの前ではしないできたので、敦哉は息子が初めて妻を番にした経緯を聞いてきたことに彼の成長と時の流れのたゆまなさを感じて少し胸にぐっと来るものがあった。 「……まあ、そうかもな。|和香《のどか》とは高校の頃から付き合ってたからなあ。あいつはまあ、美人なのにかなりぼーっとした性格だったから、色々危なっかしくてね。言い寄ってくる奴に牽制しまくって俺も必死だったな。発情期に入りそうって時に、俺に対しても警戒心なくくっついてくるから、まあ、最初の発情期の時にたまたま一緒にいて、がぶっとな。あいつを誰にも盗られたくなかったんだ」  それには和哉も頷きながら振り返り、悪戯っぽい目をして父を見おろした。 「父さんそれ、たまたまじゃないでしょ?」    鋭い息子の突っ込みに頭を掻きながら目元を細めて『どうだったかな?』とにやりと微笑んだ。 「とにかくな、相手もお前だけを一番に愛する様になったら……」 「愛されるさ。絶対に。今だって一番に愛されてるだろ? 見てて? 僕はあんたを軽く越えてやる」 「まあ、俺程度は軽く超えてもらわないとな?」     敦哉の大きな掌が亡き妻によく似た息子の肩にがっしりとかかる。久しぶりにゆっくり息子と話をすることができ、息子の成長を感じられた眼差しは深く温かく、その貌はどこか満足げだった。和哉の方が調子がくるってぷいっと横を向くと椅子から勢いよく立ちあがった。 「僕、兄さんに謝ってくる」 「そうだな。そうしろ」  敦哉が長い腕を惜しみなく振って送り出し、和哉はそのまま直ぐに部屋を飛び出して、隣にある兄の部屋の扉を勢いよく開けはなった。

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