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18 マーキング②

「柚にい! ごめんね!」 「うわっ! びっくりした!」  柚希は和哉と色違いの明るい黄緑色のベッドカバーの上仰向けになって、スマホをいじりながら動画を見ている所だった。 扉を開けしなおもむろに叫んだ和哉の声が聞こえなかったのか、起き上がって片耳のイヤホンを外して小首を傾げる柚希の首筋には、大きめのガーゼが大仰に貼り付けられていて痛々しい。  和哉は後ろ手に閉めると、扉の前で怒られてしょぼくれる犬のようにすまなそうな顔をしている。 柚希はその顔を見てぷぷっと明るく吹き出すと、起き上がってベッドの上に胡座をかき和也に向かって両腕を広げて愛らしくにこっとする。 「おいで」 和哉もぱあっと光が射すように広がる笑顔で返しすぐさま一目散に柚希の細くも長い腕の中に飛び込んで、勢い余って2人揃ってベッドの上に弾みながら寝転んでしまった。 それでなんだか楽しくなって、温かい身体を互いに抱きしめあうと、どちらともなく笑い声をあげる。  ひとしきり笑いあってから柚希が和哉を抱きしめたままむっくりと起き上がった。和哉は背丈はあってもまだ体重は軽いのでこんな時現役バスケ部員で、隠れマッチョの柚希にひょいっと抱き上げられるのが悔しい。  兄の膝の上に載せられ向かいあわせで…座りながら、和哉は殊勝な様子で俯きながら呟いた。 「……柚にい、ごめんね。痛かったよね」 「ほんと、痛かったぞ! もうやらないでくれよな?」 「ごめん」  膝の上だと白く滑らかな兄の額やすっと通った鼻梁、そして長い睫毛がすぐ傍にあり、もちろん抜群に感じの良い口元も手に届きそうだ。  魅了されたまま兄の顔を見おろしていたら、睫毛を伏せそよがせてから柚希がためらいがちに呟いた。    「でもさ。オレも母さんに叱られたよ。和哉はちっちゃい頃から兄弟がいた訳じゃないから、悪ふざけの度合いが分からないんだろうって。お兄ちゃんなんだから柚希が止めてあげないとダメでしょうって」 お兄ちゃんという所を少し誇らしげに強調する柚希は偉ぶる訳ではなく心の底から和哉を慈しんでくれている。そう分かるだけに、恋愛的感情を自覚している和哉はこと、複雑な気持ちを抱きやすくもなるのだ。 「兄さんが悪いわけじゃないよ。僕がふざけすぎたのがダメだった。本当にごめんね。……痕残るかもね?」    柚希が無抵抗なのをいいことにそっとガーゼを固定していたテープを外すと、噛み痕は和哉の綺麗な歯並びの歯型がしっかりついて周囲は少しだけ赤くぷくっと膨れていた。  その痕を見つめていると、先ほど柚希に噛みついた時の高揚感がぞくっと呼び起される。また和哉が噛みつくとでも思ったのだろうか。柚希が身体を強張らせたのではっとする。 (怖がらせちゃ、駄目だ。僕はいまはまだ『ワンちゃん』だろ?) 「ごめんね、痛そうだね。もっと冷やす? 腫れないといいな。痕が見えたら学校で何か言われるかな?」  すぐにやや首を下げて兄の顔を覗き込み、形良く太い両眉を下げ、くぅーんと仔犬が啼くような健気な表情をみせながらも、和哉は内心うっすらでも痕が残ればいいのにと願う。 (兄さんは僕のものだっていう証。消えないで)  しかし単純な柚希は和哉のその貌にうっとりと絆されて、和哉のまだまろい頬をするっと撫ぜ、両手を投げだすように和哉の肩から首に回すと、ほっそりした鶴首をこてっと倒して優しくも悩ましく微笑んだ。 「学ランだから襟元まで見えないから大丈夫だよ?」 『だからもっとして?』とでも続けそうな甘い甘い雰囲気を醸し出すから和哉の方がうぐっと詰まって途端に恥ずかしくなってしまった。  兄だと強調するくせして、まるで恋人同士のような甘い仕草を仕掛けてくる。和哉の胸はドキドキと高鳴るが、兄は普段から無意識にこういうことをしでかして、かつまるで平静なのが本当に憎らしい。   「母さんがさ、和哉はもしかしたら‪α‬かもねって。‪お父さんが‪α‬だし、遺伝的には出やすいって。‪αってやたらと人を噛みたくなるのかな? わかんないけど。番を作る時の練習でもしてるのかな?」  脈絡があるのか分からないような会話は柚希と桃乃の得意とするところで、たまに和哉の理解の範囲を超えてしまう。 (αだから人を噛みたくなるとかはよくわからないけど、僕が噛みたくなるのは兄さんだけだ)  そう告白したいけど、今はまだ、言えない。言いたくない。 「……僕がαだったら、兄さん嬉しい?」 「嬉しい? うーん。まあαの知り合いは今のとこ敦哉さんぐらいしかいないけどさ、αって俳優さんとかにも多いし、チートなイケメンが多いっていうだろ? 弟がそんな風にかっこよく育ったら俺なら『俺がこいつを育てたんだぜ』って自慢しちゃうかな? まあでも和哉がαじゃなくても、俺にとっては大事な弟だってことに変わらないし、和哉は今も十分誰よりも可愛いもんな」   「……可愛いより、かっこいいのがいい」 「はいはい、和哉はかっこいいって」 「心こもってない」 「だって可愛いんだからしょうがないだろ? この大きくて綺麗な目! つるつるほっぺ。女子より可愛い、あ。いいすぎか? ああ、でもさ別に俺、男だし、まあちょっとぐらい痕残ってもさ、いいけど。もうやめとこうな。ワンちゃんごっこで噛みつくの」 「……」  柚希は目をきらきらさせた笑顔のまま、和哉が尖らせた唇をほっそりした指先できゅっとつまむ。ぐりぐりっと頭を撫ぜられて、頬をぷにっとつままれ、いつもならば嬉しいのにその時はなんだか子供扱いが嫌に癪に触って手をゆっくりとのけたら、柚希がしゅんっとしてしまった。 「あ、ごめん……。俺がこうやって構うからお前が調子に乗っちゃうんだもんな」 「兄さん、僕がαで、兄さんがΩだったら。僕が兄さんに噛みついてもいい?」 「えー。俺がΩ?そんなわけないだろ。お前はαかもしれないけど」  はぐらかしてゆらゆらと膝を上げ下げして和哉の腰に手を回して子どもをあやすように揺らしてくる。相変わらず呑気な柚希の様子に苛立った和哉は、思い切り兄の左肩を押してベッドの上に共に縺れるように倒れこんだ。 (小5男子、舐めんな)  和哉は力で勝る兄がすぐに立ちあがられぬように兄の腰にまたがり、ぐっと身体を押し付けると、兄の細い手首をバンザイをするような形で素早く頭上に縫い留める。  笑みを湛えた純粋な瞳が柔らかく細められ和哉を見上げてくるが、和哉は最近ではぐっと父の面差しを濃くした眦に力を籠める。 「和哉! だから、あんまりふざけるの……」  先ほど可愛いと褒めちぎった大きなぱっちりとした瞳が細められると、途端に色気のようなものが迸る和哉の目元に柚希が息をのんだ。その桜色の柔らかな唇に狙いを定めると、和哉は顔をやや横に倒し角度をつけながら兄の唇に吸い付くように唇を重ねる。 「んーっ、ん、ん!!」  流石の柚希も今度は暴れて足を使って弟をベッドの奥に投げ飛ばすと、口に手を当てて目を白黒とさせている。  和哉はむくっと起き上がると乱れた長めの前髪をかき上げ、どこか男っぽさを宿した瞳で柚希をひたっと見つめてきた。  面白いぐらいに色白の顔を真っ赤にさせた柚希の手を掴んでぎゅっと握るとにこっとそこは愛らしい笑顔を見せた。 「キスはいいでしょ? 噛んでないよ」 「だめだめだめ!!!! こういうのは好きな子とするんだよ」 「僕は柚にいがこの世で一番大好き。前にも言ったし、知ってるでしょ? 柚にいだって僕が一番好きだっていった」 「いや、それは、兄弟としてこの世で一番好きってことだろ……?」  一番聞きたくない言葉を思いがけずぐさりっと食らって和哉は胸を抑えると俯き、本当に口に出して呻いてしまった。 「あ、和哉、大丈夫? ごめん乱暴して」  心配気な顔をして寝台の上を這って近寄る柚希の隙をつくと再び唇を狙うと、流石に二度目は食わないとばかり柚希も身体を引いて的がずれて頬に軽いリップ音が弾けた。 「もう! 駄目だって」 「……母さんはよくしてくれたよ? 駄目なの?」 (口にじゃないけどね?)  再びきゅるん、きゅん。っと目を潤ませて見つめれば、まだこの手は通じたみたいで柚希がうぐっと詰まる。亡くなった母が恋しいのだろうと思うと大抵はもう柚希はそれ以上拒むことができないのだ。 「じゃ、じゃあ。……い、いいけど。口は、やめとこ」 「えーっ」 「だめだめ。口チューはだめ」 (口ちゅーだって。可愛いな) 「……分かったよ。口以外ならいいんだよね?」    そういうとクラスの女子から『王子様!!!』と何をするでも騒がれる美貌を存分に発揮して兄の手を取るとその甲に口づけした。 「ひいっ! 和哉、お前こういうことどこで覚えてくるんだよ?」 「クラスの女子が見せてきた少女漫画? 僕に似ている男の子が出てくるんだって。真似してって言われたんだけどさ」 「少女漫画あ!!?? 今どきはこんなことクラスでやってんの?」 (そんなわけないだろ。柚にい、ちょろすぎて……。心配になるな) 「和哉!」  耳まで真っ赤になってわたわたと手をばたつかせる、柚希は本当に可愛い。年上なのに和哉のクラスメイトの誰よりも純粋で愛らしい。 (でもいいんだ。そうやって純粋なままいて。そのうち僕が、がぶっといくんだ。頭から全部、丸のみだよ?)    

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