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19 予感
和哉としてはその後も幼なりに柚希に真剣なアプローチを繰り返したつもりが、信じられないほどに鈍い柚希に『和哉可愛い。俺のことそんなに好きなの?(弟として)』とありありと顔に書かれたような反応でのらりくらりとかわされ続けた。
それでも二人は休みの日ともなれば買い物に出かけたり、家でゲームや共に好きな音楽を選んで聞かせ合ったりとべったり一緒で、はたから見ると大分距離感がバグった仲良し兄弟として暮らせていた。和哉としては柚希が自分を一番に想っていてくれているだけで溜飲が下げ今のところは良しとしたのだ。
中学生に上がる頃にはすでに柚希のおさがりの学ランをそれほどぶかぶかでなく着こなし、すぐにでも柚希の背丈を越えてやる気満々だったが、成長期真っ只中なのは柚希も同じこと。高校に入ってからもバスケ部で鍛えていたので痩せているくせにそれはそれはよく食べ、よく眠り、身長もぐんぐん伸びていて和哉は柚希と越すに越せないデッドヒートを繰り広げていた。
柚希の大きな黒目がちな瞳に白い肌、背中から腰に掛けての曲線が美しい身体つきは背丈があってもどこかエロくて、和哉は一緒に風呂に入ると身体が明け透けな反応してしまいそうで、柚希はまだ一緒に入りたそうにしていたが泣く泣く諦めた。
季節はちょっとした動作でもじっとりと汗ばむ初夏を迎え、和哉にとって待ちに待った柚希のバース検査の結果が発表されたのは高2の夏休みに入る前だった。
「柚にいさあ、バース検査の結果ってどうだったの?」
この頃にはもう『ワンちゃんごっこ』で噛みつくことはなくなっていたが、相変わらず暇さえあれば相変わらず台所に立つ柚希に後ろから抱き着いたり、ソファーに腰かけた時は必ず隣に座りこんで柚希の肩に頭を凭れかけさせたたまに彼の海風みたいに爽やかな甘い香りを嗅いだりと、甘えたな動作は自然にしつこく続けていた。
この時も仲良くソファーに並んで座って、いつもどおりべったりと柚希にくっつき兄の腕に腕を絡め、顔では平静なさりげなさを装いつつも和哉はいよいよその日が来たと胸の高鳴りを抑えるのが大変だった。
(柚にいが、Ωだって言ったら……。僕は高2になる前に絶対自費でバース検査を受けて、僕がαだったら番って欲しいって兄さんに申し込みたい。そうしたらあと2年ぐらいで兄さんと付き合えるよな? 絶対、僕αだろうし! 自信あるし。兄さんがβでもαでも僕は兄さんがいいから、その時はどうやって振り向いてもらうか考えないとな。『可愛い弟』作戦はそのうち限界がくるだろうし……)
夏にはすでにズボンを買い替える程のスピードで背が伸びていた和哉は、成績も抜群、兄の柚希もかつて所属したバスケ部では一年生ながらレギュラーを勝ち取っていた。生徒会役員に推す声も多く、男女ともに(より女子から)恰好が良くてでも人懐っこくて優しいと人気が高い。いわば同年代で負けなしで、口に出さないまでも自分にかなり自信があったのだ。
胸の中には幼いころからの兄を護れる男になりたいという強い決意を胸にしたまま、どうやったら三つ年上の同性からお付き合いのOKをもらえるのだろうと考えて。ちらりとみた兄のスマホを弄る色白の綺麗な横顔は、喜色を浮かべいつも通り明るく屈託ない。
「ねえって、兄さん、どうだったの?」
しかし柚希はその質問にはあまり興味がなさそうにスマホの通知の音を夥しく鳴らしながらバスケ部グループからの連絡をスクロールさせて見つめてはニコニコとしている。兄が自分以外に夢中になることは少ないが、和哉は何となくムッとして腹を小突くと、痛っといって頭を軽く叩かれた。
そして本当に何気なく……。今日の夕飯のおかずぐらいの気安さで和哉にこう告げたのだった。
「あ、俺、多分βだった。あと彼女できた。夏休みにバスケ部のみんなでそれぞれ彼女も連れて水族館行くことになったけど、和哉も一緒に行きたい?」
頭をがつん、と殴られるという表現はこういう時に使うのだろう。それほどに衝撃的な告白だった。
(多分βってなんだよ? 彼女ってなんだよ?! 僕も一緒に行こうって、なんなんだよ??)
「……彼女できたの? 柚にい、好きな人いたの?」
「うーん。好きっていうか……。なんか一年の女子が沢山いるところに呼び出されて告白されたんだけどさ。今どきスマホで告白してこないの珍しいし、みんなの前で断ったりしたら傷つくだろ? 別に俺今彼女いないし、だからいいかなあって」
「なんだよそれ! そんな付き合い方って!」
(いいわけないだろ?! この馬鹿兄貴!!!)
と叫びだし、今すぐ別れろと喚き散らしたくなったが、柚希に告白をしたわけでもなく、彼氏でもない和哉にそんな風に言える資格もない。
ただ茫然と兄がイルカショーの時間を確認したりシラス丼が美味しいのがどうのとか話してくるのをどこか上の空できいていた。
その晩のことはショックすぎて断片的にしか覚えていない。おかずが好物のカボチャのコロッケだったのに全然食が進まず、憎たらしい程普段通りの柚希に体調を心配されて、逆に突っぱねて部屋に帰ったことは覚えている。
あまりのことに冷房すらつけ忘れて部屋でふて寝をしたせいで起き上がると頭が痛くて汗だくになっていて、気持ちが悪くて風呂には入ろうと下まで降りて行った。すると母と柚希とが『あのいつもニコニコ和くんもついに思春期到来か知らねえ?』なんて話しているのを聞いて、頭にきてそのまま部屋に戻ってまたふて寝した。
和哉は小さなころからの強い思い込みで、柚希がΩでなく、さらにまさか自分以上に大切な人ができるとは思えなかったし、そんなこと想像でも考えたくなかったのだ。それだけに言葉にならないほどダメージを受けた。
柚希が風呂に入っている間に、こっそり彼のスマホをのぞき見して(兄のパスコードはいつでも和哉の誕生日がらみだ)相手の女の子を見たが柚希の一つ年下の女の子で、柚希や和哉とは同じ中学でもなかったようだ。ごく普通の、ちょっと可愛い女の子。
(同じ高校通ってる女の子ってだけで柚にいと付き合ってもらえるなんて、それだけでいいなんて、本当に死ぬほどムカつく)
憎たらしくて他愛のないことしか書かれていない初々しいやり取りを、ブロック削除でもしてやろうかと思ったが、流石にそれはできなかった。
夏休み中はなんとかバスケットに打ち込んで忘れようとしたが、イライラして柚希の顔もまともに見ない日が続いていった。
水族館に行ってきた後、柚希がお揃いのストラップを買ってきてくれて、無神経な柚希は彼女とも同じものをつけているとぺろっと舌を出しながら話してきた。
怒りから頭の中ではどうにかこの呑気で可愛い顔を、涙でぐちゃぐちゃにしてやりたくてたまらなくなった。
そんな欲望からみた淫夢はいやにリアルで、和哉は兄の部屋に押し入ると、おもむろにベッドに柚希を押し倒し、驚く彼のブレザーからシャツを引き出すと、震える胸を目の前に晒させ、泣きわめく白い肌にむしゃぶりつき、噛み痕をつけまくる。
許しを請うその唇を無茶苦茶に舐めまわし、頸筋に今も残る噛み痕を舌でなぞって探さがすとその上から容赦なく噛みつき、散々に嬲り犯す。
白く長くしっかりと筋肉質な脚を抱え上げて欲望を埋めようと狼のように喉を鳴らして唸る。
そんなとんでもなく淫らで乱暴な夢を見た。
朝になって目覚めた時には寝巻のジャージを汚すほど欲を吐き散らしていて、目覚めを促しに来た兄の窓から零れる朝日に眩しく清純な笑顔を見ると自己嫌悪で死にそうな気分になり、「出ていけ!」と叫んで誰よりも愛する柚希を深く悲しませてしまった。
人生史上最悪に日々だったが、それに一旦終止符が打たれたのは柚希のバスケ部の友人たちが遅くまで大勢で遊びにきて、ゲームをしたり映画を見たりと家が賑やかになった、秋のテスト休みだった。
どうやら柚希はとっくに彼女に振られていたらしいと友人たちが暴露してきたのだった。
「兄さん、もう彼女いないの?」
「水族館でさ、こいつ俺らとばっかはしゃぎすぎて、帰りもさ、疲れたから帰るねって言ったのにそのまま送りもしないで俺らとカラオケ行ったから、愛想つかされて、すぐにな?」
「だってさ……。仕方ないだろ? 学年も違うしあまりしゃべったことない子だったから二人っきりになったらどんな話したら喜ぶのか分かんなかったんだよ」
兄の仲間たちの片隅で一緒に夕ご飯代わりのピザを食べる羽目になっていた和哉はその朗報に嬉しすぎて、久しぶりに兄とまともに口をきいた。
『思春期の和哉がまた俺に笑ってくれた!』と柚希も泣きながら笑っていたので和哉はやはりその笑顔を見たら柚希で好きでたまらない気持ちを忘れることなどとてもできないと思った。
みなが階下でゲームをして騒いでいる間に、二階の自室に上がって行ったら、柚希の部屋の扉が少し開いていて、やたら背が高くがっしりとガタイが良い少年が何故か部屋の中にいるのが見えた。
(あの人、今日一人だけ1年生だって言った……)
「あの? 兄の部屋になんか用ですか?」
机の上の何かを手に取っているように見えて、和哉が不審に思って声をかけると、彼はあからさまに慌てて、足元にバサバサと何冊かの漫画本と兄のスマホが落ちて行っていった。
「……和哉君、あの。先輩たちに頼まれて、部屋からこれ、全巻運んで来いって……」
「手伝います」
ぶっきらぼうにそう答えた彼のどこか焦った様子に和哉も少し違和感を感じながらもページが折れながら開いてしまったりカバーがずれたりした本を一緒になってかき集める。
彼は素早く全巻を重ねなおして和哉に僅かに会釈をすると、やや慌てた雰囲気で階下へ降りていった。
「兄さんスマホないって探してたの、ここかよ……」
兄のスマホも拾い上げたら、そこについているはずのあのイルカのストラップの先だけがなくなっていた。周りを見渡すと机の上に、ネックレスの金具のようなもので外れるようになっているイルカ部分だけが残されていた。
「外れたのかな?」
彼女と別れても、お揃いで買ったイルカをつけているなんてと柚希は未練があるのかもしくは、やはりそこまで彼女を好きなわけではなくて何の頓着もなくこれをつけっぱなしにしているのだろうと苦笑する。彼女に振られたのならば、このイルカを見るたび嫌な気分になる必要もない。元通りつけてやろうとしたとき、違和感を覚えた。
(このイルカと一緒についてた小さい星、青だったっけ?)
確か柚希の物は緑だった気がした。和哉のイルカの星は黄色で、頭にきて袋ごとしまい込んだままだ。
その時感じた違和感、柚希の部屋に佇んでいた背の高いがっしりとした少年。それがのちにバスケ部の先輩で頼れるキャプテンとなった晶だったのだが、ふとした拍子に彼のスマホに取り付けられていたイルカのストラップの星が緑色だと気がついた。
もしかしたら、あの時。柚希と自分のストラップをすり替えたのではないかと。何のためにそんなことをしたのか。それは勿論晶が柚希のことを……。
その時の疑念から和哉の中で、晶は油断のならぬ相手として心に刻まれている。そして後に彼が和哉に立ちはだかる最大のライバルになったことは必然と言えただろう。
あれからどうしても諦めきれずに片付け下手な母が訳の分からない場所にしまい込んでいた柚希のバース検査結果を何とか探し出せたのはそれからさらに半年が経った後。
そこに書かれていた『判定不能(要再検査)』の一文字に一縷の望みを託した柚希は、何とかして柚希をΩにする方法はないかと考え始めていた。
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