42 / 80

番外編 ありがとう、おめでとう、よろしくね その8 Xmas

 和哉は口づけを深めたまま、おざなりにしかしやや嗜虐的なほど強めに柚希の足の間の高まりを摺り上げたが、くぐもった声を上げる柚希から唇を離すと少し呻いて我が身を兄から引きはがした。 「はあ、はあ、はあっ」  濡れた赤い唇をだらしなく開き、乱れた吐息を漏らしながら、じんじんと股間を腫らしたまま、柚希は欲情し潤んだ瞳でシートベルトを締めもはや前を向いた和哉を小さく睨みつけた。 (こんな……。中途半端で……)    まだ互いに乱れた呼吸をいなせていないのに、和哉はエンジンをかけた。  柚希は和哉に振り払われ足元に落ちてしまったバッグと紙袋を拾う気力もなく、のろのろとシートベルトだけは締めようとしたら、長い腕が横から伸びてきてカチャッとバックルをかしめてくれた。 「……柚希、あんまり、煽んないでよ? そんな色っぽい顔で見られたら……。止められなくなるだろ?」 「うっ……」  柚希から求められたことで僅かに機嫌が上向いたのか、和哉に優しい声を出されたから、安堵感から余計に涙腺が緩んでしまった。それを和哉がシートベルトを限界まで引き延ばして身を乗り出し口づけで拭ってくれる。頭の中では狼が番の鼻先にすりよっているようなそんな映像が浮かんでしまった。 「泣かないで」    低いが聞き取りやすく甘くもある声色で囁かれると、兆した場所でなく、お腹の奥の方がぎゅんっとなる。ここはΩになってからは柚希が無視し続けた、しかし大切な場所。  和哉と番になってからは、彼に焦がれるたびに切なく疼くそこを受け入れようと思った場所。 (いい年した男がさ、大学生に翻弄されて、そんで慰められて……)    それでも和哉の熱を帯びた瞳が柚希だけを見つめてくると、その輝きに惹きつけら息することすら忘れそうだ。 「柚希、意地悪な態度をとって、ごめんね。さっき……どうしても自分を抑えられなかった。先輩の横にいる兄さんの姿が見えたら……。堪らなくなって、二人に嫉妬してた……。でももうこれは僕の、癖みたいなものだね。柚希はもう僕の番なんだから、もっと鷹揚に構えないといけないのに」    長い長い片思いの間、柚希をめぐる嫉妬心は和哉にとっては慣れ親しんだ感情であったにもかかわらず、自分が唯一の男となり逆に攻め込まれる立場になったことへの、切り替えがうまくいかないようだ。  素直な年下の男は少し恥ずかしそうに凛々しい眉を下げて、柚希の髪や頭をゆっくりと撫ぜてきた。和哉のそんな表情に弱い柚希は、申し訳なさに胸が疼かせ、睫毛の長い大きな瞳からはまた涙が零れ落ちた。  両手で身長の割に小さな柚希の顔を頬ごと覆うように添えた和哉の指先がまだ熱を持つ水滴を拭い、兄に詫びるようにかすかに触れるだけの口付けをした。 「カズ……」 「僕はね、今日は兄さんと楽しい思い出を作ることしか一日考えていなくてさ。迎えに来る時間が待ち遠しくて仕方なかったよ。高校生の時に憧れた普通の恋人同士がするような、すごくベタなデートみたいなことしてみたいとかずっと願ってきたから……。兄さんと手を繋いでイルミネーション見て、家に戻ったら二人で映画見ながら食事して……。兄さんの大好きな三日月屋のデコレーションケーキ。口いっぱいに頬張ったら兄さんどんな笑顔になるんだろうって。そんな幸せなことばかり考えてた……」  心を躍らせて迎えにいった番が、まさか恋敵と親密そうな雰囲気を漂わせながらイルミネーションの前で寄り添っているなどと、流石の和哉にも想像もつかなかった。 (そうだった。二人でイルミネーション見ようねって……。俺はカズとの約束を破ってた……。一番大事な奴、悲しませてどうするんだよ。柚希、お前どっち向いて生きてるんだ。誰にでもいい顔しようとして! 本当に、馬鹿野郎だ)  心の中で自分を罵り、少しずつ落ち着いてきた身体の高まりにほっと息を吐きながら、柚希は今度こそ素直に頭を下げた。 「俺こそ、ごめん。和哉が嫌な気分になるって、ちょっと考えればわかるぐらいなのに。……軽率だった」 「いいんだ。佐々木先輩とは、付き合い長い付き合いだろ……。僕ら二人ともさ? お別れの挨拶したくて、柚希の顔を見たくなったとか、そんな感じなんだろ? 」 「……うん」  全てを話してしまった方がいいのか、端的な事実だけを共有すればよいのか。柚希は迷って、ただ頷くだけにとどめた。 「じゃあ、帰ろ? 僕、今日頑張ったんだよ? 母さんに聞いてリボンパスタってやつ? あれ入ってるミネストローネ初めて作ってみた。赤いからクリスマスっぽい奴。上にかけるパセリさ、乾燥したのを小さな瓶詰で売ってるって知ってた?? 母さんがさ、二人分ぐらい作って持ってってあげるとか言ってくれたんだけど、僕が作ってレパートリー増やしたくて。柚希の方がどうしても料理は旨いからさ、頼りがちになるだろ? もっと僕にも頼ってもらいたいから……」  幼い頃、一日の自分の成果を一つ一つ柚希に話して労いを求めてきた健気な和哉。やっと取り戻した、その頃のように明るい笑顔を護ってやりたい。 (和哉はいつでも一生懸命だ……。なのに俺は、迷ってばかりで) 「ありがとう。楽しみだな。俺あのスープ昔から好きだよ」 「兄さんトマト系の料理好きだから。カプレーゼも用意しておいたよ?」  今度は沈黙を打ち消すように和哉は運転しながら懸命に話しかけてきたから、柚希も和哉の為に意識を切り替えようとわざと明るい声で合図を打ち続けた。心の隅にまだ鮮やかな晶の寂し気な顔を追いやりながら。 「うわあ。すごい!」  扉を開けた瞬間、和哉がその日一日どれだけ柚希のことを考えてクリスマスイブの『お家デート』の準備をしてくれたのかがよくわかった。  柚希が女の子だったらその場で感涙してしまったかもしれないほど、いつもの狭いアパートが華やいだ雰囲気に変わっていたのだ。  柚希は愛らしいお菓子作りを仕事にしているだけはあり、ユニークな雑貨から美しく生けられた花々まで綺麗なものを愛するから、部屋の中の彩りを目にして心が踊った。  そもそも扉の前からして多分桃乃手製の花々をあしらったクリスマスリースが取り付けられていたし、扉を開けたら赤と金と白の風船がつけっぱなしにしてあった空調に揺れてふわふわと浮かんでいた。足元には日ごろ家にはない丸い和紙のような紙製の間接照明がコロコロと何個か置かれてて、わざと明かりを抑えめにつけているのがムード漂い過ぎだろう。 「外国の映画みたいだな」 「大げさだよ」  ちなみに赤と白は柚希と和哉の所属していたバスケチームのユニフォームカラーだから二人ともなんとなく親しみがある。そしていつも二人で座っているソファーの横に今朝はなかったはずのクリスマスツリーがどーんと飾られており、その足元にはディスプレイなのか本物なのか、いくつものプレゼントが置かれている。   「驚いた?」  柚希の嬉しそうに紅潮した頬を見て、和哉は満足げな顔にこりっと花が咲いたように綺麗に笑うと、柚希の肩を抱き寄せ頬に軽く口づけてくる。 (なにこのいい男? どんな育て方したらこんなふうに育つの? 本当に俺の弟なのか?)  なんて思いながら柚希も惚れ惚れと和哉を見上げてしまう。   「驚いた。別のうちに来たみたいだ。このツリーは?」 「母さんに言って家のを貸してもらってきた。見覚えない? 僕ら家族が初めてみんなで集まったクリスマスイブにさ、父さんケーキもだけどこのでっかいツリー買ってきて、でもたしか三年も飾らなかったよね?」 「俺もすぐ高校生になったし、和哉も中学に上がってツリーで喜ぶような年じゃなくなってから、どっかしまわれてたんだよな。実際デカいし……。でもすごく綺麗だな。クリスマスって感じがするし」 「でしょ? 部屋の片づけ頑張った甲斐があったよ。……まあ実家の部屋に不用品運んだだけだけど」  柚希は持ち物が多い方ではないが、和哉が半同棲のような形で転がり込んできてからはお洒落な彼の諸々が増えて、意外とものだらけになっていた。それも今日はすっきり片付いて、リビング代わりに使っている部屋のソファーの隣に電飾までちっかちっかとついてこれまた赤と白と金を基調にしたオーナメントが品よく飾られていた。 「和哉、頑張ってくれたんだな。ありがとう」  背伸びして頭をくしゃくしゃっと撫ぜてやれば、小さな頃のように懐っこい笑顔を見せてくれたので、きゅんっとした柚希はそのまま和哉に抱き着いた。 「じゃ、スープ温めるから、兄さんそっちにオードブル広げて? 映画は……、なんか選んどいて?」  ぎゅぎゅっと兄を胸の中に抱き込んでからゆっくりと身体を離して互いに視線を絡めて微笑みあってから、和哉は台所に向かっていった。 「何がいいかな……。クリスマスっぽい奴?」 「クリスマスっぽい奴じゃなくてもいいけど……」    柚希はボディーバッグをいつも通り寝室の隣のラックに片付けにいって、ついでに紙袋もその横に置いた。  そのままリビングダイニングに戻って、クリスマスソングを鼻歌交じりで歌う和哉を見ながらさっそくスープを温めているのを尻目に、柚希は飲み物の用意をしようと父の敦哉が前に持たせてくれたとっておきのシャンパンを運んできた。 「カズ、お酒飲むよね?」 「兄さん明日仕事でしょ? 大丈夫? すぐ眠くなるだろ。寝られちゃ困るんだけど?」 「困るかあ? じゃあ俺は先風呂入っておこうかな。これ飲んだらもう眠くなっちゃうかもしれないけど……。まだ8時だし、夜中までには酔いも醒めると思うけど」 「風呂入ってきていいよ。沸かしてあるから。でも、その言葉忘れないでよね? いいかい? 今日はクリスマスイブなんだよ」 「うん、だな」    ケーキを一度冷蔵庫に入れるために中をごぞごそ整理していた柚希がこともなげに合図づちを打つから、和哉ははあっと大きなため息をついた。 「……分かってないよね? 兄さんクリスマスイブに恋人と外泊まではしたことないものね?」  焦げ付かないように湯気の立つ赤い鍋をお玉でくるくる回しながら、器用に柚希の方を振り返って和哉は、人が悪そうな顔でにやにやと揶揄ってくる。 (え? 外泊って……、あ。そういうことか)  暗に夜のことを仄めかされて、相手が長年可愛がってきた弟であることになんとなく照れてしまう。番になった二人だけれど、柚希の中ではまだまだ和哉は恋人兼、可愛い可愛い弟という意識が抜けない。勿論弟とどうにかなってしまうとかそういうのはちょっと禁断すぎて考えてはいけない感じがするけれど柚希の意識の中ではどっちも両立してしまっているのだから仕方ない。   (ああ……。なんか意識すると恥ずかしいって思ってる自分がハズイ)    番になってからの二か月。若い和哉に求められたときは求められるまま流されて、何度か肌を合わせてきたこともあるが、いつでも翌日が仕事の柚希を気遣ってか、負担にならない甘く優しいやり取りをしてきたことが多かった。  明日も仕事だから、もしかしたら食事をとったら映画を見終わる前、早々に床に就くつもりなのかもしれない。 (うう……。これから抱くよって宣言されたみたいで……。死ぬほど恥ずかしい)  風呂で豪快にごしごし身体を洗っている時もさっきの和哉の発言を意識せずにはいられない。なんとなく時間をかけて身体を洗っていると思われるのもしゃくで、折角金木犀に似た香りのする入浴剤が使われている湯船に、つかって大して立たないうちに出てくると、なぜだかおいていたはずのいつもの着心地はいいがややくたびれたライトグレーのスウェットセットがない。 「おーい。和哉? ここ置いておいたやつ、ないんだけど」 「はい、こっち着て」 「え? はあ?? なんだこれ??」 「兄さんに似合うと思って買ってたんだよね。この色、兄さん色白だからすごく映えると思うんだ。僕も色違いの買ったから、きてよね?」  がらっと扉を開けて和哉が満面の笑みで手渡してくれたのは、若い女性に人気のブランドの、ふわふわもこもこっとした部屋着だった。  しかもくすんではいるが柚希に差しだされたものはまごうことなき、薄いピンク色。襟があるカーディガン調がゆったり品良い感じで、いわゆるユニセックスタイプなのかもしれないが、20代男子として一応ピンクの部類の入る色合いを着るのは正直恥ずかしい。今どきはこういったお洒落な服を着るのは皆抵抗はないのかもしれないが、学生時代から専門学校の半ばぐらいまでお洒落着といったらちょっとよさめなジャージ程度のファッションセンスで暮らしてきた柚希には少々ハードルが高かった。勿論最近ではだいぶ晶と柚希に矯正されて贈られた服をそのまんま着ることでやや、見た目のセンスは上がったと言えた。  パジャマは胸元にさがら刺繍のエンブレムが縫い込まれていて、ふわふわとスポンジケーキのような肌触りは極上と言えたので触感が気に入って思わず頬ずりしてしまった。 「うん、まあ。肌触りよさそうではあるしなあ」  家の中で着るものだし仕方ないと思って身に着けようとしたが、その前に下着も見当たらずにパジャマの間を確認すると、とんでもないものがぴらり、と落ちてきたのだ。  最初、ハンカチか何かかと思ったそれは……。 「ひぇっ!」 (な、なんだこの布面積の少ないパンツは?! )  ちょっと女性ものでしか想像したことのないような形状の下着に慌てふためいてタオルを腰に巻き付けたままひょこっと浴室から顔だけ出した。 「おい、和哉! これなんだ! く、黒いけど。ひ、紐パンじゃないか!! ちょっとなんか、ううっ薄手だし……。つ、つるつるしてる……。女物だろ?」    日頃はボクサータイプしかはかぬ柚希が顔を赤らめ指の先にちょんっとつまんでぴらぴらさせると、和哉は再び人を食ったような笑みを浮かべて腰のエプロンを外しているところだった。 「ちゃんとメンズだよ? 嫌がられるかと思ってしまっておいたけど……。でもきっと今日ならきてくれるよね? 黒い紐パン!」 (うう……。普段なら突っぱねられるかもしないけど……。今日は流石に分が悪い)   「わ、分かった……。でもな? サイズ的に無理かも?だぞ」 「ちゃんと兄さんのサイズのものかったつもりだよ? 兄さんお尻小さいし、腰も細いからきっと似合うよ」  舌なめずりする狼のような、妖し気な声でそんなことをいうから揶揄われているのか本気なのか、どちらにせよどきどきがとまらなくて困る。    柚希が浴室の前に再び引っ込むと、兄の場所を開けてソファーに悠々と腰をかけた和哉はうっそりと瞳を細めて柚希に聞こえないほど小さな声で呟いた。 「まあ、ちょっとは恋人として意識してもらわないと、ね?」

ともだちにシェアしよう!