43 / 80

番外編 ありがとう、おめでとう、よろしくね その9-1 Xmas

とりあえず、股間のポジショニングもあったもんじゃないパンツを大人しく穿き、曇った鏡の水滴を掌で雑に拭うと、映った自分の姿をちらりと見て柚希は『はあ……』と一つ溜息をつく。  濡れて額に張り付いた黒髪をかき上げ額を出して大人の男っぽさを出してみようとしたが、すぐに曇っていた鏡に白い身体だけがぽわっと映った。 (尻が小さくてもなあ……。全体的に線が細いっての本人は気にしてるんだから、誉め言葉じゃないぞ、和哉)  小さな尻、細い腰などと和哉に嬉しそうに言われたが、バスケ部時代周りと比べて当たりの弱い薄っぺらめの身体がコンプレックスだった。その代わりに試合中持ち前のジャンプ力や瞬発力を活かしていたわけだが、内心晶や和哉のようにパワフルでアグレッシブな攻撃をしてみたいと常々憧れていた。  柚希だって、今でも腹筋は鍛えつづけている。バッキバキな和哉のシックスパックには負けるがそれでもちゃんと腹の辺りにしっかり線は残っている。 抱き合う時、和哉の指の長い大きな掌で腰のラインに沿って掴みあげられ、時には後ろから揺さぶられながら、括れが強調されて綺麗だなどと褒めそやされるが、小さな尻と共に柚希的にはあまり気にいっていない。できれば敦哉や和哉みたいな戦士の如き立派な身体つきに生まれたかったと二人と並ぶと華奢な自分が残念でならないのだ。柚希の亡くなった父は風流を愛し、着物の良く似合う美男子だったらしいが、αの割に早死にした上、身体つきは柚希に似ていたらしいからもうこれは遺伝なので仕方なさそうだ。 (紐パン、サイズあってる、のか? ケツ大分はみ出てるけど、これで正解? あいつ俺がこんなの穿いて嬉しいのか? ……まあ穿き手はともかく、下着自体の雰囲気はエロいか。よく見ると柄入ってるし、ちょい透けてる......。カズのやつ。あんな爽やかそうな顔して、意外とむっつりだな……)  早々にふわもこのズボンに足を通して尻を隠してしまうと素肌の上に上着も羽織る。風呂から出たての身体はほかほかと湯気が立ち昇り、まだちょっと羽織るには熱いぐらいだが、前をはだけさせておくのもどうかと思ってボタンをいそいそと止めた。  今までは夏場パンいちで弟の前に出て冷房の前に立って涼むぐらいのことは平気でしていたのだが、流石に和哉を『異性』であると認識してからはそれなりに慎むようになったのだ。それにちゃんと着ておかないと遠慮なく和哉が手を出してくるから要注意だ。お腹もすいているし、行き成り押し倒されるのは勘弁してもらいたい。せめて腹ごしらえはさせて欲しい。 (食事の時についでに酒飲んじゃえば、ややくい込み気味に紐パンはいてる、このいたたまれない気持ちも和らぐか……。でも明日も仕事だしなあ……。酒飲むとすぐ眠くなるし……。明日のシフト……。仕事……、職場……、あ? ああ!! え、あ?? 俺まさか……) 「ああああああ!!!!!」  思わず上げた叫び声に反応して和哉が床をみしみし言わせて足早に近づいてきたら、柚希は思わず口元に手を当ててしゃがみこんだ。 「兄さん大丈夫??」 「う。あ……。ちょい、脚吊りそうになっただけ、大丈夫!!」  和哉が今にも開けそうな扉を反対側から抑えて柚希は蹲る。 (やらかした、絶対やらかしてる!!!!)  色々あった夕方から今の今まで忘れていた。自分がしでかしてしまった大大大失敗のことで柚希の頭の中はいっぱいになってしまった。 (最悪、最低、ううあああああ。やってしまった……。 カズにばれないようにわざわざ職場に隠し持ってたプレゼント……、鞄に入れた記憶ない! 絶対置いてきてる!!!)  晶がきて気が動転してしまい、持ち帰るべき荷物を整えないまま飛び出してきてしまった。結果三枝が今日のオードブルとケーキを手渡してくれたけれどプレゼントまで頭が回らなかった。 (どど、ど、ど、どうしよう……。和哉は絶対今晩か明日の朝にでもプレゼント渡してくれるつもりだよな? ツリーのとこにこれ見よがしに置いてあったもんな。あ、言い方悪いか。その辺も含めてあいつのことだから完璧に何かしようとしてくれてるよな?? 俺だって今日渡そうと思ってあそこまで準備してたのに、何やってんだよ。ほんと俺のバカバカバカ!!!! 取りに行くか? 今からタクシー飛ばして鍵開けて入る?? 和哉になんて言って出ればいいのか……。折角サプライズ予定がばれたら意味ないし!! あああもう。仕方ない……。今日はイブ、明日はクリスマス。とりあえずマフラーだけ渡して、|本命《あっち》は明日渡せばまだ間に合うってことで) 「柚にい? 本当に大丈夫?」  がらっと扉が開いて冷たい床にへたり込んでいる姿を目撃されてしまって、情けない顔でへらっと笑って弟を見上げれば、彼が腕を差し伸べてゆっくりと立たせてくれた。 「湯あたりしたの?」  そのまま抱き上げようとするから「へ、へいき」と呟いたがやっぱり抱き上げられてしまう。反射的にしがみ付いたらそれは嬉しそうに笑われて、まだ濡れ髪から雫の滴ってきた額に口付けられた。 「やっぱりこっちの色にしてよかった。風呂上がりで肌が真っ白で余計透き通るみたいに見えるから、余計にこの綺麗なモーブピンク、柚希によく似合ってる」 「ふぇっ·····、ありがと」 至近距離でまじまじと見つめられるとさすがに照れる。いつの間にか映画の代わりに和哉が持ち込んだスピーカーから音楽がかかっていて、これまたしっとりとした外国の女性のハスキーな歌声で夜の少し気だるげな雰囲気が出ていた。  部屋の中はキッチンスペースの明かりがまだ灯るほかは間接照明だけが付けられて映画館の上映前程度の明るさを保たれている。 (……いきなりムード満点すぎだろ)  ソファーの上に下ろされるかと思ったら、和哉が何食わぬ顔をして、柚希をお姫様抱っこしたまま、王様のようにどかっとソファーに腰を下ろしてしまった。  思わず戸惑いと驚きで顔を見上げたら、「なに?」とか笑顔で応じられて二の句を継げない。 (このまま、食べると?)  しかし和哉が折角先ほどまでの色々を今は水に流してくれようとしているのだからと柚希は顔には出さず抱えられるがままになった。 「お腹すいた……。まずは食べよう。な? ちょい明るくしてもいい? 食べ物、明るい方が美味しく見える方がいいだろ?」 「そうだね」  といって和哉は手早くテーブルの上にご丁寧に置かれていたキャンドル型のライトと足元にあった丸い灯りの一つをソファーの上に置いて光源を増やすからもはやなすすべがない。 (いい感じに美味しそうに見える)  敦哉がプレゼントしてくれたシャンパンも景気よく開けて、和哉の長い腕が柚希が前にいる体勢をものともせずにグラスに注がれた液体は淡い黄金色でしゅわりとは弾ける。   「よし、分かった。じゃあ、いただきますしよう」 「そうだね。いただきます。はい、あーん」 「え。あーん?」  番になったお祝いにと届いたものと同じお店のオードブル。今回はクリスマスらしく赤や緑の櫛が刺さっている。その中でフルーツトマトとチーズがサンタのようにも見えるピンチョスを口元に差し出してきた。  柚希は見た目は優美でほっそり目の姿形だが大柄なものの多いバスケ部内でもよく食べる方だった。日頃はゆったりした食事など柚希に求めても皆無で、食卓で弟と二人向かい合って『いただきます』をしたら黙々と食すことの方が多い。  だからもっとゆったり食事を楽しみたいという和哉の意向なのかもしれないが、とにかくどんどん食べたい柚希もここはぐっと我慢をした。 (姫抱っこで、あーん、だと? )    普段柚希が何気なくやりがちなことを今日は和哉が先回りしてくる。小さい頃から料理をしている最中に和哉に頻繁に味見をさせているうちに、食事の最中も口元の運んでしまうのが癖になったのだが、こうも堂々と甘い雰囲気を醸し出されながら逆にされると中々恥ずかしい。 「ほら、食べなよ? トマト好きでしょ?」  和哉がちょっと意地悪く片眉を上げながらくいくいっと差し出してくるから、これはきっと柚希の反応を楽しんでいるのだと分かった。しかしまあ、抵抗しても仕方がないと。素直に口に含んだ。 「んっまい」 「一気に食べたら危ないよ。ピンの先、気を付けて」  和哉も彼の好物であるバケットに生ハムがついたものを二口ほどで食べきっている。柚希はもしゃもしゃとハムスターよろしく口いっぱいに頬張り暫し無言になった。 身を乗り出して皿から次のものも柚希がとろうとする前に和哉が幼子にでもするように、母の差し入れであるチーズを差し出すから、2、3回同じようなやりとりを繰り返した。ピンチョスはどれもこれもとても小さいながら素材の旨味を凝縮したような作りなので、口にするたび夢中で舌の上で味を追ってしまうのは柚希の癖だ。  ふむふむ、とでも顔に書いてありそうな兄を覗きこんで和哉は甲斐甲斐しく声をかけてきた。 「スープも飲む?」 「飲むよ」 ミネストローネはお気に入りの底が平たい青磁色のカップに注がれていて、まだ少しだけ湯気が立っている。じんわり手先から伝わる熱が心地よい。猫舌の柚希にはちょうど良い温度と言えた。  口にする前に和哉が粉チーズをたっぷり振りかけてくれたから、目配せしあって微笑みあった。リボンパスタを口当たりのいい木のスプーンですくい上げては、はふはふ言いながら口に運べば、懐かしい母の手料理がきっちり再現されていて柚希が目を丸くした後思わず頬が緩んだ。和哉も嬉しそうに柚希の胴を腕を回して抱きしめてきた。 「和哉、これ母さんのやつと同じ味だ! 」 「それはそうだよ。母さんに習ってきたからね」 「美味しいよ。これさスープジャーに入れて明日仕事場に持ってって昼に飲むんでもいいかも。少しあまりそう?」 「沢山作ったから大丈夫。これ簡単だから、夜作っておいて、朝食に飲むのいいかもね。また作ってあげる」 「ありがとうな。ん?」 すっかり食べ物を運んでもらうことに慣れて再び唇を鳥のヒナよろしく大きく開けたら、和哉が僅かに目を見張ってから穏やかに微笑み今度はハーブがかかった香ばしいチキンを持たせてくれた。 それを繊維に沿って齧りとる口元を和哉がじっと覗き込んでくるので柚希もドキドキさせられてばかでなるものかとわざと上目遣いで、赤い舌で口の端を挑発的に舐めまわした。 「なあ? これ、なんかのプレイ? 俺を赤ちゃんみたいに扱いたいの?」    グラスを傾けシャンパンを口にした後、和也は即座にむせこんだ。 「違うよ。そういうのじゃなくて……。たまには兄さんのことを僕が甘やかしたいって思ったんだよ。仕事もだけどいつも家事もしっかり分担して学生の僕に押し付けたりもしなくて、頑張ってるから。恋人として柚希を甘やかしたいんだ」 「ふーん。甘やかしてくれるんだ?」 和哉の手ごと掴みあげて柚希はグラスを唇に運ぶと、景気づけにクイッと飲みほす。和哉が魅せられたように顔を傾けて、その形良い唇を近づけてきたから、柚希は手ごわい美姫のように鼻先に素早くグラスを押し付けてブロックした。 「シャンパンすごく美味しい。もう少しちょうだい?」  わざと出した甘えたな声を上げたが和哉がグラスを取り上げて窘めてくる。柚希が自分の分のグラスに危なっかしく指先を伸ばしたから、倒す前にと和哉が先回りして持ち上げ柚希に手渡してくれた。  すかさず飲みほそうとした柚希の手を包み込みこんで掴んだ和哉が、今度はグラスを空けたから、柚希は和哉を艶美な表情で軽く睨みつけ、彼の唇についた雫を唇と小さくだした舐めとる。すると酒のせいだけではなく和哉が耳だけ赤くなった。最近は余裕すら漂う和哉のちょっと年下の学生っぽい若々しい表情が可愛くて胸の奥を擽られながら、柚希はしやったりといった気持ちで和哉の腕に凭れてとろとろとした表情で瞼を閉じた。 「くふふっ」 「柚希、ご機嫌なのはいいけど、ケーキ食べないの? ほら、もう眠くなってる……」 「いいだろ。クリスマスなんだし。ここで眠ったらお前がベッドに運んで?」 「だから、まだ夜更かしって程じゃない時間だし、眠っちゃダメだよ?」  ぺちぺちと頬を指の背で羽のように柔らかく叩かれたり撫ぜられるのが心地よい。身を預けてもびくともしない和哉の腕に抱かれていると、揺りかごにゆられているような安心感が番にしか感じぬ柔らかな甘い香りも相まって、心の中にたっぷりと満ち満ちてくる。 (んーっ。最近の和哉の包容力半端ないな。気持ちいい。どうにでもしてくれって気持ちになる)  半分は早くも酔いが回り始めているのかもしれないが、ふわふわのパジャマ姿の柚希がご機嫌よく腕の中で身をよじっているのは和哉側から見ても安心感が満ち満ちてくる眺めと言えた。   「……·寝てる俺でも、手ぇ出していいよ? そしたら起きるし?」  そんな風に和哉をたぶらかすような口ぶりで目を眇めたまま弟の頬を悪戯して撫ぜ返したから、その手を掴まれて掌に柔やわと口づけられて、その後は目覚めを促すように指先を齧られた。  

ともだちにシェアしよう!