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春遠い、バレンタイン 前編

☆バレンタインエピソードは和哉中2柚希高2ダブル二年生で燻りまくってそうな時期のお話です。  中学生のバレンタインなんて、先輩も入試前なら、自分たちもテスト前。  こんな時期に浮ついてなんぞいるんじゃないぞとばかりに、教師たちは挙って授業のたびごとに『まさか今日、チョコレートなんて持ってきた奴はいないよなあ? 見つけたら先生がいただくぞ』なんて煽ってくる。  からかいと生徒受けを狙った教師の何気ないそんな発言。  朝からうんざりするほど何度も聞かされて、テスト前で部活がなくストレス発散できない気持ちのざらつきも手伝って、和哉は面倒な気持ちで一杯になった。 「和哉~ お前今年幾つチョコ貰えそうか? 俺ら、三上とお前とどっちが多くチョコ貰えるかかけてんの」  こんな風にクラスメイトから揶揄われるのも心底億劫なのだ。  小学生の頃から女子に人気の和哉がチョコレートを沢山もらっているのは他校出身者の間でも有名で、去年も散々絡まれたが、軒並み無視してしまいたいところだ。しかし一応外面のいい和哉は笑顔を張り付けて応じるのだ。 「さあ、三上のがもらえるんじゃない? サッカー部今年成績いいし。それよりテスト前だからバレンタインどころじゃなくない?」 「和哉は真面目だな~ 成績もいいし、バスケも上手いし、イケメンだし、チョコの数とか気にしたことない人生なんだろ? 羨ましいよ」  そんな風にへらへらとした顔で羨ましがられてもちっとも嬉しくない。  和哉がチョコと告白を貰いたい人はたった一人だし、それ以外のチョコなど正直欲しくはない。上手く断るのもテクニックがいるし、しかし今日なんてそんなことにすら労力を使いたくない気持ちでいっぱいだった。 (とにかく学活終わったら即、帰ろう)  女子は女子で卒業してしまう先輩へ告白をしてみたいだの、友チョコを食べながらテスト勉強したいだのそれはそれで盛り上がっているが和哉にとっては全てどうでもいいことだ。 (くそ、バレンタインなんてこの世から消え去ってしまえ)  和哉にとってはこの日は鬼門だ。  女性の方から告白するのにハードルが下がる日というだけあって、和哉が知る限り兄の柚希が何らかのアプローチを憎からず思う女性たちから受ける危険性がかなり高まる日なのだ。  中学時代は背丈が高い方ではなかった柚希はあまりモテたためしがなかったようだが、高校に入った頃から急激に身長が伸びて、女の子からしたらともすれば爽やかなアイドル風の見た目に見えるようになってしまった。  そのためか今年の夏にはあの朴念仁にも彼女ができ、和哉は秋に彼女と別れたときかされるまで嫉妬に苛まれ、煮え湯を飲まされ続けた。その後も何度か告白されたようだが、直近ではクリスマス辺りに一人付き合いかけて結局自然消滅になっている。この状態を何とか保ちたいのだ。    だから今日は一刻も早く自宅に帰って、兄宛に送られてきたりポストにダイレクトインしてくるチョコや手紙などを確認しなければならない。  もちろん直接兄に手渡してくる子もいるだろうから、うまい具合にその子のアカウントを探して、なんとなく疎遠になるように仕向けねばならないという一連の工作まで開始することになったら、テスト勉強どころではなくなるだろう。  とっとと家に帰ろうと荷物をまとめている間に、どんどんクラスの扉の前に別のクラスの女子が集まってきて行く手を阻もうとする。紺色の制服がペンギンのコロニーのように膨れ上がった女子の群れ。  しかし今一歩みなもじもじとして和哉に声をかけられずにいるので、小学生時代から『王子様』とも異名をとる笑顔で強行突破しようとした。  しかしその時。顔見知りの女バスの新部長である岸がすらりとした身体で行く手を遮るように先を急ぐ和哉を廊下で待ち伏せし、声をかけてきたのだ。 「一ノ瀬君、ちょっといいかな」 (……ファーストペンギン、きたか)  岸は女子だけれど上背があり、きりっとした美形で髪も短い。数は少ないがいるαの女性なのではと女生徒からも憧れの眼差しで見られている目立つ生徒だ。  その彼女が一歩前に出たので、ほかの生徒は何となくその場に張り付いたように前に出ては来られなくなった。  教室の内外からひゅーともぴーともつかない下手くそな口笛が上がった。   「なに?」  意地悪かとは思ったがあえて廊下の真ん中で聞き返せば、案の定衆人環視のその場では口に出したがらずに彼女は「ちょっとここでは」とか呟いている。 「ごめん、今日。用事があって急いでるんだよね。後で個チャして」 「そっか、ごめん」  岸が怯んで一歩下がると、今度は彼女の背後にいた何人かの女生徒が小柄な女性との肩を掴んだり腕を持ったりして何かささやきあっているのが見えた。  真ん中の腕を掴まれている子は顔を真っ赤にしているし、周りの子も小さな声で『どうする?』『私家わかるよ』とか言っているのが耳に入ってくる。 (内緒話なら静かにやってくれよ……。こんな人数で家とか来られても迷惑だしな)  もちろん話がまとまるまで待ってあげる義理もない。和哉はさっさと下駄箱まで駆け下りると、スポーツメーカーの部活用にも使っている黒い鞄を肩に担ぎ上げて家まで駆け足で帰っていった。  和哉たちの家は学区の端の方にあるから、本気で走れば誰も追いついてこられないはずなのだ。案の定後ろから追ってくるものはいない。  家の門を越えたらすぐに鞄をその辺に放り出して、和哉は自宅の銀色のポストを開いて中身を確認する。  幸い何も入っていなかったが、今度は鍵をガチャつかせて靴をそろえる手もおざなりに二階の部屋まで駆け上がった。  中学はスマホの持ち込み禁止のため、意外と真面目な生徒である和哉はしっかりそれを守っている。机の上で充電ケーブルが刺さったままのスマホを手にすると、さっそく兄にメッセージを送ったが、返信が来ない。 (高校も入試期間に入ってるから柚にいの帰りも早いはずなのに、まだ帰ってない)  中学は給食ありの日程だったが、高校はそれもないはず。だとしたらバスケ部の友人たちとファーストフードにでも寄っているのかもしれない。  こんな時、兄の居所がすぐに分かればいいのにと和哉は気が気ではなくなった。  かといって闇雲に兄を探すに行くわけにもいかず、和哉はいつでも外に出られるように私服に着替えると、『ヘッドホン』をし、チョコレートを届けに来た生徒が現れても徹底的に無視をすることを決めこむと、テスト勉強をし始めたのだった。  一度没頭すれば耳元で流していた音すら聞こえなくなるのは和哉の集中力の凄みだが、その時はちょっと裏目に出てしまった。 「おい! 和哉!」    兄の声がしたかと思えば、頭に着けていたヘッドホンを乱暴に奪われ、その上肩を掴まれて、がくんがくんと心臓ごと揺さぶられてしまった。 「なんだよ! 急に」  思春期で何かにつけてかりかりときやすい。なんの身構えも無かった今、いくら大好きな兄の所業とはいえ流石に頬がかあっと熱くなるほど大きな声を出してしまった。 「インターフォン鳴らしたのに出てこないから呼びに来たんだよ。下にお客さん来てるぞ? 女の子の!」  黒とも見まごう濃紺のブレザー姿の兄はにこにこと邪気のない笑みをうかべている。嫌な予感がしたがなんとか表情と心を落ち着かせながら、何気なく兄の手元に目をやれば、案の定青色のラッピングが覗く紙袋を手にしているのが見えて堪らず顔を強張らせた。

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