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番外編 夏祭りの約束 3-1
「ねえ、柚にい、今日が何の日か忘れちゃったの?」
「今日……? 母さんがお線香あげにおいでって……」
所謂顎クイ状態で唇が触れそうな位置で和哉が囁くと、柚希はまじまじと和哉の顔を見つめたのち、ぽぽっと頬を赤らめ、何とも言えない可愛らしい顔をした。きゅっと桜色の唇をすぼめて困り切ったような、見方によってはキス待ち顔のような悩ましい雰囲気を出したので、和哉は一瞬頭の中にキラキラと小さなハートマークが舞ったように胸を高鳴らせ、しかし次の瞬間がっかりした。
(なんだよ、その顔。また父さんと似てるって思ってる?)
和哉が柚希の意外な反応に焦れて再び不機嫌なオーラを漂わせたら、柚希が明らかにおろおろと視線を揺らしながら気づかわし気に囁いてきた。
「和哉、……なんかさ」
「なに、また、父さんに似てるって言いたいの?」
柚希は顎に手をかけた和哉の腕にそっと手を添え、僅かに頭を引いて口づけされそうな位置から逃れようとした。長い睫毛を伏せて頬を染めた柚希の表情が色っぽくも可愛らしく映る。
(何を考えてるの? 兄さん。いつでも僕でいっぱいになっていて欲しいのに。よそ見なんかしないで)
あれほど大人になろうと思ったのに、柚希を前にしたら簡単に煽られてしまう自分に嫌気がさしながら、しかし誰より愛しい兄に触れたい欲は抑えられるものではない。和哉は柚希の手を乱暴に掴み上げると、びくっと震えた柚希が大きな目を零れんばかりに見張って和哉を見つめ返してきた。怯えた瞳にぞくぞくっと嗜虐的な興奮が沸き起こり、和哉はもう少しで自分の中の狼を解き放ってしまいそうになるのを腹筋に力を込めてぐっとこらえた。
「違うよ……。そうじゃなくて……。なんかこういうのさ、もう、ちょっと恥ずかしい」
「え……」
(う、うわあああああ、これって……)
思わずなにか変な声を上げてしまいそうになりながらも、和哉は何とか人から何かと褒めたたえられる怜悧な面差しをなんとか死守しつつ、腹の中では勝利の雄たけびを上げ続けた。
(は、恥ずかしいだって!!!! 兄さんが僕に向かって、こんな……。父さんにするような可愛い反応したこと今まであった? ついに兄さんが、僕のことを男として意識してる! そういうことだよね?)
兄は物事を深く考えてから口に出すというより思ったことをそのまま素直に表現するタイプだ。事件以後は少しだけ大人しい感じにはなったものの、元々は裏表のない性格の柚希のことだ。それは本人にとっては本当に何気ない無意識の呟きだったのかもしれない。しかし確かに柚希は確かに和哉の中に『男』を感じたからこんな反応を見せたのだ。そのことに長年兄に焦がれ続けてきた和哉は胸がぐっと熱くなってしまった。
「こういうのってなに? どうして恥ずかしいと思ったの?」
当の柚希も和哉から指摘をされてからようやく、自分の言った言葉を不思議に思ってしまったのか、大きな黒目がくるんと上の方にあがり、色々と考えを巡らせているようだ。
「それは……。その……」
口の中で言葉をもごもごと転がしたまま、しどろもどろになるのが妙にリアルで……。和哉は柚希の腕を目線の高さまで持ち上げると、相変わらずほっそり美しい柚希の手の甲に唇を這わせてから裏返す。そして恥ずかしがって頬を染める柚希にわざと目を合わせながら、まだそこは日に焼けず残って白い手首を項に見立ててがし、っと歯を突き立てる。
「んっ……。痛いっ」
色っぽくため息をつくような声で喘ぐ柚希は身をよじって手を取り戻そうとするのが、和哉はそれを許さなかった。痛いほどの力で手首を掴み上げたまま、むしろ兄の柳腰をさらに強引に自分の腰元に引き寄せて、今度は堂々と桜色の甘い唇へ、自らのそれを寄せていく。
「いつだってキスはさせてくれたよね? どうして今は駄目なの?」
「……和哉」
戸惑う顔が色っぽくて、湯上りに上気した頬に伝う雫すら愛おしくて舐めとりそうになる。そして鼻をくすぐるふわふわと甘い、兄の香り。昔から知っていた石鹸と花々が合わさったような清潔感の中に優しい色香漂う兄の香りに、和哉が薄く開いた唇の奥で、ひっそりと獲物を求め尖った犬歯を舌で舐め上げると、ガチャリと玄関の扉が開く音がした。
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