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第48話
「もう龍樹とは一緒にいられないのかな」
幼い水樹が、病室の窓からぼうっと空を見上げながら言った。
遠い記憶だ。
痛くて苦しくて哀しい記憶。
忘れたくても忘れられない忌々しい記憶。
活発で常に走り回っているような兄のそんな姿はあまりに意外で、似つかわしくなくて、けれどそうなっても仕方のない出来事がこの時にあって。
子どもには不釣り合いな生気のない顔をした水樹の手を、自由な方の手でそっと握る。
それに驚いた水樹がやっと空から視線を外して、龍樹と視線が合った。
身体中が痛くて、呼吸も苦しくて、余りの辛さに睡眠さえ妨げられているけれど。
なにより心が痛かった。
「やくそく、する」
「…?」
蚊の鳴くような声だったけれど、きちんと聞き取れるように水樹が顔を寄せてくれた。
「おれは、ぜったいーーー………」
αの射精は長い。
確実に孕ませる為に、大量の精を植え付けるからだ。
声もなくはらはらと零れ落ちる涙が、自分の目から零れ落ちるものだと気付くのに随分時間がかかった。
勝手に涙が出るなんて、そんな安い作り話みたいなこと本当にあるんだなと場違いにも感心してしまう。
暫くして、長い射精を終えた龍樹はその場に座り込んだ。
ドサリと鈍い音がして、支えを失った落合が目の前で崩れ落ちる。
落合が乱れた息を整えてこちらを振り返ったとき、落合の目が幼い水樹と重なった。
自分の目の前にいるのが落合なのかそれとも水樹なのか、もはや錯乱状態にあった。
「俺は、絶対…」
「え?」
「絶対…」
再び龍樹の目から涙が溢れたが、表情も声音も一切変わらない。
落合はやっとという様子で側に寄ってきて、右手を龍樹の頬に伸ばしてきた。
そうあの時の水樹も、ボロボロの身体で小さな手を龍樹に伸ばしてきて、けれどあの時は身体がもう動かなくて。
今度は、その手を取った。
「あんな獣みたいには絶対ならないって、約束したのに」
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