94 / 131

第94話

「お母さん、俺明日整形外科行きたいんだけど昔かかってたところの診察券ある?」 「あると思うけど探さんと」 「お祭りで下駄履いて転けたんだって?ほんとドジ!どんくさ!」 「うっさいな!」 「番のα様に呆れられて捨てられないように気をつけなさいよーだ!」 「龍樹くんはそんなに酷くない!」 「どうかなーお兄ちゃんの数々のドジっ子エピソード聞いたら面倒見切れないって言うかもよ?」 「お、お前龍樹くんが来る時どっか行ってろよ…!」 「あんた達うるさい!喧嘩するなら手伝いなさい!」 「お兄ちゃんのせいで怒られた!」 「俺のせいじゃない!」 久しぶりに会ったというのに、顔を見れば喧嘩ばかり。龍樹と水樹とは大違いだ。どうしたらあんなに仲良くなれるのか不思議なくらい。 いや、本当はちょっと仲良すぎる気もしなくもないけれど。 「今日は優弥の好きな唐揚げだよ」 母はそう言って山になった唐揚げを差し出した。ちょっと揚げすぎだと思う。が、それが嬉しい。 優弥と呼ばれるのも随分久しぶりだ。大学の連中も落合と苗字で呼ぶし、学校では落合先生。 龍樹も普段から先生と呼んでくる。 龍樹の実家で優弥さんと呼ばれたけれど、当たり前だがこんな風に親しみある呼び方ではない。 そこでふと、龍樹の声が浮かぶ。 特別低いわけではない。 静かで落ち着いた、心が穏やかになるようなあの声で、もしも。 「優弥」 なんて呼ばれたら。 幸せすぎて召されるかもしれない。 「なにニヤニヤしてんの?きも!」 翌日、母の怒号が響き渡った。 「お父さん!!優弥病院に送って行ってって言ったでしょ!!いつまで寝てるの!!」 淑やかで少女のような龍樹の母沙耶香とは雲泥の差だ。 橘家の人達はどうしてあんなにも落ち着いているのだろうか。 白くなった寝癖だらけの髪に寝間着のまま車を運転する父の隣に座りながら、優弥は少し憂鬱な気分だった。 今から行く整形外科の近くには、かつての親友が住んでいたから。 今もそこに住んでいるのかはわからない。けれど近寄りたくないのも事実だった。 あまりに酷い喧嘩別れだったから。

ともだちにシェアしよう!