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第104話

愛弓はまだ車が運転できない。 だから必然的に行かれるところは限られている。 母から有益な情報は得られなかったが、優弥は思い当たる場所を虱潰しに回るつもりで車を走らせた。 が、一番最初にたどり着いた公園で、2人の姿を見つけた。 家から近い、子供の頃よく遊んだ公園だ。 「愛弓ね、お前の兄ちゃんキモΩって、いじめられてたの」 そんな声が聞こえて来て、優弥は思わず立ち止まった。 よく覚えている。愛弓が丁度10歳の頃、第2性について詳しく学校で学ぶ頃のことだった。 「愛弓はみんなと同じβなのに、お兄ちゃんがΩだからってキモいとか菌がうつるとか言われて…それで、お兄ちゃんに酷いこと言った」 優弥はすぐに思い当たった。 あれは雨の日だった。土砂降りで、道路にも泥が少し流れているような。 中学生だった優弥が家の近くまで帰って来た時、とっくに帰っているはずの小学生の愛弓と鉢合わせた。 傘もささず、頭のてっぺんから靴まで泥だらけになって独りで歩いていた。 どうしたんだと声をかけたら、雨なのか涙なのかわからない、けれどきっと涙だった。ぐちゃぐちゃになった顔で睨みつけられて。 「『Ωのお兄ちゃんなんか要らない、どっか行って』…って。酷いでしょ。でもね、お兄ちゃん怒んなかったの」 怒らなかったんじゃない。 怒れなかった。 自分がΩであるせいで妹がいじめられているのは事実だったから。こんなに傷付くまで気付いてやれなかったのが情けなかったから。 「愛弓、今はお兄ちゃん大好き。いっちばん幸せになってくれなきゃやだ。…龍樹さん、お兄ちゃん泣かせたら、愛弓が龍樹さんのこと許さないから」 2人の表情はわからない。 優弥はすっかり出て行くタイミングを逸して、その場から動けなかった。 父も、愛弓も、そんな風に思ってくれていたなんて。 再び、愛弓の声がした。 「あ、えーっとあのね、なんでこんな話したかって、翔くん…お兄ちゃんの幼馴染の今里 翔太郎って人が昨日の夜来てたの。愛弓が追い返しちゃったんだけど」 昨夜翔太郎が来てたなんて微塵も気付かなかった。 きっと両親と龍樹の顔合わせが済んで、愛弓だけがバイトに出かけたから、その時だろう。 両親は知らないが、愛弓だけは優弥と翔太郎の間に起きたことを知っているから。 「…龍樹さん、翔くんには気をつけてね。あの人、お兄ちゃんのことストーカーしてたんだよ」

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