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 事情が気になっていただけの薄い知り合いはこの時点で、「へえ、大変だったねお大事に」程度の社交辞令を述べた後、各々の席へと帰っていった。  一方、一緒の席についている普段から割りと仲良くしている連中の反応は、異常なまでにウケつつ、 「うわーバッカでーまじツボるわ~」  と失礼な態度を隠しもしない奴、 「で、鞄どうした鞄」  と微妙にずれた所に食いつく奴、 「…………」  と何故か機嫌悪そうにそっぽを向く等、三者三様に別れた。  俺の真向かい右隣に座る失礼男の名は透、鉄生経由で仲良くなったいかにもな感じのチャラ男。とにかく失礼だが悪い奴では無い。  隣の席の、やけに鞄を気にかけてきた男は敬一、専攻が同じという理由で何となく仲良くなった見た目普通の大学生だ。そして対面の席でずっと無言なのが鉄生である。 「あ、それが鞄は教授……救急車呼んでくれた古典の高野教授が回収してくれてたみたいで、今朝返してもらって。んで、ついでにレポートも出してきたけど普通に受け取ってくれた」  というか、あの時俺が落ちたベランダのある教室には元々教授もいたんだそうで、何でも自分の受け持つゼミ生の子達と昼食を一緒に食べながら、卒論の課題について相談を受けてたらしい。 「ほ~ん。良かったじゃん、財布とか無事で」  俺の説明に納得した様子で敬一はツナクリームパスタ(三百八十円)を啜る。 「うわ、惚れるわあ~。オレ高野ゼミ行こっかなあぁ!!」 「お前、英米文学科だろうが」  透がエビフライカレー(四百五十円)のエビの尻尾を噛み砕きながら嘯くも、鉄生が即座に的確なツッコミを入れる。  こんな状況でも俺と鉄生は未だにぎくしゃくとしており、二人とも日替わり定食(先着五十名限定・四百二十円)を食べる箸が進んでいない。 「あっ、そーいやスマホ確認した?」  敬一がフォークで俺の鞄を指し示す。と、何故か鉄生の顔色が変わった。無表情になって固まる鉄生の横で、透が盛大に噴出しまたもや何かにウケはじめる。それにしてもコイツ物すごい笑い上戸だ。 「いやまだ。今、持ってきたバッテリーで充電してるけど」  「見たら引くよおぉ~~」  俺が鞄からスマホを取り出すと、それを見た透がにやにやと邪悪な笑みを浮かべつつ意味の分からないことを言い出した。 「ってかまだ充電しはじめたばっかだし……あ、大丈夫そう」  スマホを手に取り画面に視線を落とす。しかし、顔認証をパスする直前、何やら妙な感じの通知が見えたような……?  と、同時に鉄生が勢い良く席から立ち上がる。そして、そのまま流れで操作を続行しようとする俺の横まで歩いてくると、 「え……何これ、バグってんの?」  というこちらの質問には答えず、流れるような動作で俺の上半身に軽めのホールドを決めた。 「あ、ちょ、何、鉄生、いたたたたっ!! 俺怪我人なんだけど!?」  不在着信×××件、留守電×××件。  強制的に携帯から顔を背けさせられているものの、一度見た画面に表示された尋常でない数の着信及びメッセージ件数の通知は既に俺の瞼の裏にしっかりと焼きついていた。 「鉄っさん、洋介のことものっそ心配してたからなあ」  敬一は鉄生のことを何故か鉄っさんと呼ぶ。以前鉄生が「おっさんくさく聞こえるからやめて欲しい」と抗議したところ、「じゃあ鉄っちゃんにする」という代替案を出したが、それじゃあ鉄道マニアだということで却下され、以後再び鉄っさん呼びに戻ったという経緯が存在する。 「だとしてもあの鬼電は引くわぁ。一日姿が見えなかっただけで警察行くとか言い出すし」 「まあ、連絡板の掲示で軽い事故って分かってからは多少落ち着いたな。病院分かったらお見舞いに行こうとか言ってたけど、割とすぐ帰ってきたから良かったわなぁ」 「いやあ、でもあの昼休みに聞こえたピーポーが洋介乗せてたとは思ってなかったわまじウケる」  透と敬一が飯をぱくつきながら人事のように談笑している間にも、俺は病み上がりの身で関節を決められ続けているわけだが……こころなしか、体を締める腕が控えめに震えているような気がする。 「鉄生……?」  おずおずと尋ねた途端、耳元にて押し殺した声で囁かれる。 「……なんかあったかと思ったじゃねーか。心配させんな馬鹿野郎」  その一言は……なにかこう、胸にぐっとくるモノがあった。別に変な意味でなく。  いや、なんかあったかと言われれば実際にあったわけで、そういった点で既におかしな台詞ではあるのだが、その言葉からどうしようもなく滲み出るニュアンスというかエモーションというかちょっと説明しづらいあれやこれやが俺のともすれば頑なになりがちな心にクリーンヒットしたのだ。 「ぐ……ご、ごめん、ごめんね鉄生……」 「おう。いや、俺が謝られるこっちゃねーけど」  腹の底から込み上げてくる謎の照れくささと戦いつつも、今日はじめて鉄生と会話を交わす。それはさて置き、そろそろこの体勢でいるのも体力が限界だ。 「……つーか、離してお願い……」 「その留守録、聞かずに消すんならな」 「うん、分かった、消す、今すぐ消すから……っ」  言った瞬間、上半身の関節を決めていた鉄生の手が離れる。一気に自由になった俺は、へなへなと座席に崩れ落ちた。  示しをあわせたかのように敬一と透が、俺のロックの解除されたままのスマホに同時に手を伸ばす。しかし、 「ちょい貸りるぜ」  鉄生が間一髪で奪取し、そのままテーブルの下に潜りこんでしまう。 「あっ、ずっけー! 俺めっちゃ聞いてみたかったのに」 「鉄っさんえぐいわー」 「うるせえ!! つーか洋介はともかく、そもそもお前らにゃ聞く権利なんて一ミリもねえんだからな」  手前勝手な抗議(?)の声を上げる二人に対し、テーブルの下で俺のスマホを操作しながら鉄生が怒鳴り返す。定食のトレイに乗ったコップの水の表面がびりびりと揺れる様を、俺はどこか人事のように眺めていた。 「つか洋介も聞きたかったよな? 鉄生のマジ心配ボイス百連チャン」 「しかも徐々に緊迫度が増してくるんだぞ」 「う~ん……気にならなくはないけどさ」  敬一も透も完全に面白がっている様子だが、生憎と俺には鉄生の留守録の内容どうこうについてさしたる興味は無かった。さすがに全く気にならないといえばウソになるが、彼がどれほど俺のことを心配してくれたのかは、先の一言だけで十二分に伝わったと感じたからだ。  しばしの間をおいて、鉄生がテーブルの下からごそごそと這い出てくる。どうやら彼の黒歴史は無事、闇の彼方に葬り去られたようだ。 「ほれ。悪かったな」  ぶっきらぼうな言葉と共に、スマホが手元にぽんと返却される。見ると、ここ数日の履歴からキレイに鉄生の名前が消えている。もちろん留守録のデータも0だ。……それを確認してしまった途端、何故か無性に惜しいような気持ちになった。 「そろそろ予鈴鳴っちゃうぜ、日替わり定食二人」  何時の間にやらパスタを食べ終えていたらしい敬一が、トレイを持って食器の返却のために席を立つ。当たり前のような顔をして、その後ろに透も続く。 「あ、俺も行くわ~」  食事にほとんど手もつけずスマホの画面をぼんやり眺めていた俺は、思わず鉄生と顔を見合わせる。気付けば、多くの生徒でごったがえしていた食堂は今や人もまばらになっていた。 「やべっ」 「やべっ」  声が揃った。ソレを合図に、俺達は猛然と目前の半ば冷めた日替わり定食をかきこみ始めた。 「……洋介、次の講義なんだっけ」  苦手な南瓜の煮物を前に躊躇しながら、鉄生が尋ねる。俺は、喉に詰まりかけた飯を水で流し込むと手短に答えた。 「体操。俺は一応見学だけど」 「うわぁマジかよ。こんなん絶対横っ腹痛くなるじゃねーか」 「あ~あ、折角久々に日替わりの食券買えたと思ったのに……」 「勿体ねーよな、味わうヒマがねえ。でも南瓜はいらねえ」  見かねた俺は無言で鉄生の皿から南瓜の煮物(食堂のは何故かいつもレモン風味がついている)を取り上げると、一口に頬張った。 「! 洋介、愛してるっ」 「いーから、早く食べなよ。鉄生着替えあるでしょ? 俺、着替えないからさぁ」  予鈴よ鳴るなと念じつつ、二人でひいひい言いながら笑いあう。そんな俺達を横目に、いつもの友人達が苦笑する。  ふと、俺は自分が鉄生とぎくしゃくし始める以前の空気の中に居ることに気がついた。  一時ひどい目にはあったけれど、結果オーライだ。雨降って地固まる。人間万事塞翁が馬だ。  ――ひょっとすると俺は、屋上から足を滑らせて落ちるというトラブルに見舞われたことにより、まさに例の自殺志願者の女が望んでいたような恩恵を受けているのではないだろうか。  そう思うとちょっぴり後ろめたくはあるけれど、まあ、それはそれ。きっとこれからみんな上手くいくに違いない。  嗚呼、素晴らしきかな大学生活。これほど楽しく充実していたことなど、今までの人生であっただろうか。  この時の俺は全身が清々しい希望に満ち溢れ、何よりも人と人とのつながり、友情に感謝していた。  大げさかもしれないが、自分にとって彼ら友人達ほど尊く大切なものもあるまいと心底思った。  “俺の最も大事な物、それは友情とかけがえのない友である”。当初軽く百年は揺るがないと思われたその価値観が脆くも崩れ去るのに、そう時間はかからなかった。

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