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結局その時は、“トイレに鍵はかけない”、“長くなる時は必ず定期的に外に居る鉄生に声をかける”等の約束を交わすことによって事無きを得たのだが、交換条件として“風呂に入るときはドアを完全オープンで入る”ことを確約させられてしまった。
――というか、まさかこっちが本命だったんじゃないだろうな……だとしたら、一体どんなドアインザフェイス・テクニックだよ。巧みすぎるよ……。
とか何とか思いつつ、俺は脱衣所(当然ここの扉も閉めることは許されない)で服を脱いだ。もちろん、何時ものように何も考えずに脱ぎ散らかすことなどできない。小学校の頃のプール着替えよろしく、あらかじめ腰にタオルを巻いて鉄生の視線からプライバシーを守りつつの脱衣である。
「別に、普段通りしてりゃいいのに」
脱衣所の入り口(つまり至近距離である)で腕を組んで仁王立ちをした鉄生は、さも俺の自意識過剰のような口ぶりで言ってくるが、そうはいかない。
「できるわけないじゃん!!」
自分を恋愛対象として見ているゲイの男の前で普通に裸になれる男がいたとしたら、もはやそいつもゲイなのだと思うのだが、俺の考えは間違っているだろうか。
「……チッ。あ、そーだ、ちょい待ち」
突然、くるりと踵を返す鉄生。しかし、その前に彼が小さく舌打ちをしたのを俺は聞き逃さなかった。
――あ~あ、やっぱ鉄生ガチなんだ……つーか一緒に入ろうとか言い出すんじゃないだろうな。うちの狭い風呂場じゃそれは無理だよ……。
などと多少警戒心を覚えながらも大人しく待っていると、しばしの間の後、鉄生は両手にビニール袋と輪ゴムを携えて戻ってきた。
「よっしゃ、手ぇ出せや洋介」
何やら得意満面の鉄生に不信感が募る。が、
「えぇ、それは」
「いいから! 手!!」
有無を言わさぬ気迫に押され、俺は彼の前に恐る恐る両手を差し出した。何をされるのかと見ていると、鉄生は俺の両手にそれぞれ小ぶりなビニール袋を被せると、手首の所に輪ゴムを強めにぐるぐると括り付ける。見た目的には、ちょうど指の無い手袋をしている感じなのだが、はてこれは一体。
「なにこ……」
「こうすると、手を怪我してても風呂であんまし痛くねーんだよ」
俺の訝し気な視線を敏感に感じ取ったのか、やや被り気味なくらいのタイミングで鉄生が解説を入れる。
「肉屋とか刃物つかう場所でよくバイトしてた時に編み出した技なんだが……変かな」
「いや、変とかそんなことは……うん、ありがとう」
どう反応したものやら分からなくなった俺は、鉄生に礼を言うともう風呂場に行くことにした。
――これ、ありがたいことなんだよな。そーだよな?
そんな風に自分の中で整理をつけようとしているのに、背後から鉄生がまた俺を惑わすような言葉を投げかけてくる。
「なあ、それで上手く体洗えっか? 良かったら手伝うけどよ」
――罠か? やっぱ罠だったのか?? どっちかっていうと、俺は鉄生の善意を信じていたいのだが。
「あ、スポンジ使うから大丈夫でーす……」
とかなんとか言いつつ、頭を洗う時は鉄生にしっかり手伝ってもらった俺であった。
その後、俺と入れ替わりに鉄生が風呂へ。当然ながら脱衣所とかは開けたまま脱いだりするもんだからヘンに気になったり、俺の視線に気づいた鉄生が何やら見せつけて来ようとして慌てて視線を逸らしたり等色々ありつつ、夜は更けていった。
これで一日が終わったも同然と思いきや、夜は夜で独特の緊張感に満ちていた。
風呂から上がってキレイな体になり、リラックスできるパジャマに着替え、歯を磨き……ベッドに入る時間が近づくにつれ、微かに体に纏わりついてくる甘い匂い。まだはっきりとメロンソーダであると判断がつかないその香りは、つまり俺の無意識が発する警告に他ならない。
いや、正直に言うと俺は、パジャマ(青の縦じまのザ・パジャマって感じのもの。これでないと寝た気がしない)姿を鉄生に“漫画みたいで可愛い”だの“すごく似合う”だのとハイテンションに褒めちぎられたあたりからある危機感をひしひしと感じていた。
――あれ? ひょっとしてこれってカップルが初夜を迎える流れじゃね……?
鉄生(余談ではあるが、風呂に入った後は外出用のジャージから部屋用のジャージに着替えたようだった)と一緒にソファに並んで下らない内容の深夜テレビを鑑賞しつつ、俺は密かに頭を捻った。
――……大丈夫だよな? 俺、無理やり襲われたりしないよね?
現在、鉄生と俺が付き合うかどうかは保留になっているはずなので、そこは踏み越えてこないだろうと俺は勝手に思っていたのだが、よく考えると何の保証がある訳でもないし……。
「あっはっはっはっは!!」
テレビの内容がツボに入ったらしい鉄生が、横から俺の肩をバンバンと叩いてくる。その力強さに、またまた俺は不安な気持ちにさせられてしまう。
――仮に俺が鉄生に寝込みを襲われたとして、それを振り払うだけの力が俺にはあるだろうか? 一応男同士だし体格差はあれど、さほど一方的なゲームにはならないと思うけれど……いやでも、以前腕相撲をした時なんかは瞬殺って感じで、さっぱり歯が立たなかったような記憶が……。
と、その時俺の頭に閃いたアイデアがあった。
確か、押し入れに来客用の布団があったはず。あれをちょっと離れた場所に敷いて、俺のベッドとの距離を開けてしまうというのはどうだろう?
別に物理的に壁ができるわけではないが、昨日みたいにベッドの真横で寝られるよりかは幾分マシなような気がする。
更に、鉄生に布団を与えることにより、“寒いから”という理由で俺の方に潜り込まれるパターンを防止する効果もあるって寸法よ。もちろん露骨に離したりすると、それはそれで気分を煽ってしまいそうで怖いので、あくまで常識的な距離だけ引き離す方向性で。
っていうか、鉄生は家探しをした段階でこの家にもう一組予備の布団があることに気づいていたろうに、勝手に使わないというのは礼儀正しいと見るのがいいか、それとも何か狙いがあったのかと疑うべきか……。
まあ、それは置いといて、そうと決まれば話は早い。
「よし!」
突然ソファから立ち上がった俺を、怪訝な表情で鉄生が見上げる。俺は真っすぐに鉄生の目を見据えると、必要以上に警戒されないようにと、笑顔でこう提案した。
「布団敷こっか!!」
自分が何もかもを誤ったことに俺が気づいたのは、そのすぐ後のことである。
「え……」
鉄生は一瞬あっけにとられた表情で固まると、
「……ええええぇ!?」
物凄い勢いでソファの端まで後ずさると、顔を紅潮させつつ両手で胸板をガードする姿勢を取り、再び固まってしまった。そして、おずおずと放った一言がこれである。
「……イイの?」
「んん?」
俺は鉄生の態度に、何か自分が致命的な失敗を犯したことを本能的に悟った。頭の中で己の行動を客観的に振り返った俺は、一気に気が動転してしまい、
「ち、違うよッ!! そーゆー意味じゃなくて! ほら!! 来客用の布団があるから、鉄生それ敷きゃいいじゃんって思って! あっちの方に! あっちの隅の方にッ!!」
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