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 ぷるぷると震えて方向の定まらない指先で部屋の隅を指示しながら、見苦しく言い訳の言葉を喚き散らした。  鉄生は俺の言葉を聞くと大げさに胸をなでおろし、深々と息を吐いた。 「あー、もうオレすっげぇびっくりしたわぁ……」  肩で息をする俺の横をへらへらと笑いながら通り過ぎると、鉄生は押し入れから来客用布団を取り出すと、手際よく広げ始める。俺のベッドの隣に。  鉄生は俺の背をぽんと叩くと、冗談めかして俺の耳元で低く囁いた。 「じゃ、もう寝っか」  俺は赤面しつつ頷くと、リモコンでTVを消してぎくしゃくとした動作でベッドに潜り込んだ。  ちょっと遅れて鉄生が部屋の電気を消し、辺りが闇に包まれる。  余りの気まずさに頭から布団を被って引きこもる俺に向かって、鉄生が窘めるような口調でこんなことを言ってきた。 「……あのさ、洋介。オレ、見た目こんなんだけど、了承無くそーゆーコトしたりしねーから、そこは信用してくれよ。例え付き合ってたって、そのへん大事にしていきたいって思ってるし」  俺はセルフで洲巻になりながら、エロに関して疑心暗鬼になっていた自分を心から恥じた。そして、恥ずかしさに耐えるためにぐっと目をつむっていると、そのうちにすぐ寝入ってしまった。  そのため、鉄生が迷わず俺のベッドの隣に布団を敷いたこと及び、やっぱり来客用布団の場所はちゃんと知ってたんじゃないか、といった問題について突っ込む期を完全に逸してしまったのだが。  こうして、俺と鉄生の共同生活の一日目は過ぎていった。  大学の冬休みの期間はおよそ二週間。やたらに一日を長く感じていた子供のころならともかく、大人になってみればたったの二週間だ。  鉄生との共同生活も、不安に満ちた初日を無事乗り切った今となっては当初ほどの心的負担も感じなくなっていた。とにかく、鉄生側から無理に手を出してくることは無い、という言質を取れたことが大きかった。それさえ無ければ楽勝だ。  二週間なんてあっという間に過ぎる。その間、俺は大人しくして鉄生の疑いを晴らし、できれば彼とは今後も友達ということで穏便に収めてもらおうじゃないか。  と、そんな風に思っていたのだが、人生とは得てして思ったようにはいかないものである。  二日目、三日目と鉄生はかいがいしく俺の世話を焼き続け、また、なるべく俺を危険な行為から遠ざけようと見張り続けた。ある意味こちらも助かっていたのだが、その結果俺から欠乏していくものがあった。お察しの通り、“メロンソーダ”である。何なら、脳内麻薬と言ってもいいだろう。  たった二週間危険行為を我慢するなんて、簡単だと思っていた。いや、普通に生活しつつ、突飛な危険行為のみ我慢するだけだったら可能だったろう。  しかし、鉄生は俺の日常生活におけるささいな危険も全て取り除きつくしてしまったのだ。  一日目には気づかなかったが、実は鉄生が家探しを終えた時点で、俺の部屋からは包丁からカッターまで刃物という刃物が消えていた。  あとライターやマッチなどの火器類、混ぜるとヤバい洗剤、薬品(つっても置き薬だけど)類、果てはベルトまで、奴が危険だと判断したものは軒並みどこかへ隠されてしまっていたのだ。それらに対し鉄生は捨てた、とは言わなかったため、おそらくこの共同生活が終わる際にはちゃんと返却してもらえるのだろうが……。  あ、でも秘蔵エロシリーズはもう返ってこないような気がする。何となく。  全身用安全スーツで身を包んだ挙句、全ての家具の角にクッションの取り付けられたような日々。鉄生は俺から自主性を取り上げる如くあらゆる行動に先回りをし、少しでも俺が不服そうにしてみせるや否や、「やっぱり何かあるんじゃないのか」、「俺には話せよ」と探偵もしくはカウンセラーモードを発動し、こちらの痛くも無い腹を探ってくる始末。  面倒なので、そのうち俺は何か不満があっても顔には出さずに耐えるようになり……つまりはフラストレーションがフラストレーションを呼ぶ悪循環が、この短期間で俺の中に完成したといえる。  ――こんな生活をしていては、何かしらの歯車が狂うのも時間の問題だったのではないだろうか。  夢を見ていた。雲の上から見下ろすと、まるでミニチュアのような街が眼下いっぱいに広がっている。ここから飛んだらさぞや怖くて気持ちが良いだろう。  よし、飛ぼう。そう決心して飛び降りるが、落下する感覚に後悔を覚えた瞬間、俺はまた雲の上にいる。それを何度も繰り返し、一瞬だけの歯がゆい快感に焦れた俺は、飛び降りるのを止めて電車に乗りに行くことにした。  駅はいつになく人でごったがえしていて、いつまで経っても電車にたどり着けない。何時間も並んでようやく電車に乗れたが、今度は人に押されて席に座ってしまう。目の前の人に席を譲ろうとしても断られ、無理やり立ち上がってもカーブの前に差し掛かるといつのまにか席に座っている。  電車がカーブに差し掛かった時、わざと中腰になってみるものの、やはり余り気持ちよくはなれない。  そうだ、自転車で坂を下りに行こう。でも、この前自転車は山に置いてきてしまったし、まず自転車を買いに行かなきゃな。  俺は、遊園地のチケット売り場の中に居る自転車屋の親父に向かって、 「大人、自転車一台」  と注文を入れたところで、手持ちの財布に一銭も入っていないことを知り、自転車に乗ることは諦めたのだった。  このあたりで、俺は自分が夢の中に居ることに薄々気づき始めた。夢と気づいた夢の中では、何をしてもよい決まりだということは知っている。この夢が覚める前に、俺は何をすべきだろうか? もう起きるまでそう時間は無いから、ジェットコースターは無理だろう。  そうだ、起きてしまったら鉄生が居るが、夢の中では俺は一人きりだ。それじゃあ、奴がいたら絶対にできないコトをしようじゃないか。  俺はゴミ捨て場にあったエロ本をごっそりと拾って帰ると自宅に帰り、トイレに入って鍵をかけた。そしてはやる気持ちを抑えつつエロ本を開いたなら、何とまあどれもこれも大当たりの大豊作。  俺はパラダイスを再び手に入れた……今度こそ、これを失わないようにせねばならない。そう胸に誓いつつ、俺は神妙な気持ちでズボンを下して既に勃ち上がりかけた息子に右手を 「おい、お~い、洋介ぇ……ちょ、それさぁ……」  遠慮がちに肩を揺り動かされ、俺は浅い夢から目を覚ました。くそ、いい所で鉄生の奴……。  先ほどまで目の前に繰り広げられていた最高にエロい画像は霧消し、徐々に意識がはっきりとしてくるにつれ、現実の体の感覚が戻り始める。  淫夢(といってもエロいお姉ちゃんの夢ではなくエロい本の夢というのが非常に情けないところだが)を見た後独特の心臓の高鳴りや体の火照り、そのどれもが夢から覚めた今空しくて仕方がなかった。  しかし、どうもおかしい。あれは所詮夢だったはずなのに、この右手の感触は一体どうしたことか? 「……わぁ!?」

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