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 やってしまった。いや、やられてしまったと言うべきか。  汚れたシーツを引っ剥がしたベッドの上で、俺は大の字になって放心していた。パジャマも汗やら何やらでぐちゃぐちゃだったため、パンツ一丁だが、もはやこの格好でいて恥じらう必要も無い。  鉄生も鉄生で、ベッドの下で似たような状態でいるはずだ。それにしても、最後の一線こそ越えなかったとはいえ、一週間経たずしてこのようなコトになろうとは……。  この何とも言えない空気を緩和させようとリモコンでTVのスイッチを入れるも、どこの局に合わせても映るのは年末仕様のグダついたスペシャル番組ばかり。  俺はぐるぐると二周ほど選局ボタンを押し続け、結局番組表の穴埋め的に放送されている退屈そうな映画にチャンネルを合わせるとリモコンを放り投げた。 「あ痛っ」  こつんという音がしたかと思うと、鉄生が額を押さえつつベッドの下から身を起こす。 「ごめん。わざとじゃない」  いつものノリで床にリモコンを落としたつもりだったのだが、そういえば今は鉄生がいたんだった。 「ったく、気を付けてくれよ……あっ、そうだ」  俺の不注意に文句を言いかけた鉄生だったが、途中ではっとしたような表情になると、このようなことを聞いてきた。 「そういや洋介、正月どうすんの。実家帰ったりとか」  まあ、確かに妥当な疑問ではあると思う。  もしも帰る予定があったなら、ここでこの共同生活に強制的に終止符を打てたかもしれないのだが、今年に限って俺は年末年始の予定がフリーなのである。 「や、今年は親が二人で旅行に出かけるらしくって、帰らないんだけど」 「え!? 洋介ん家って金持ち……?」 「何でそうなるんだよ、ってか鉄生は?」  真顔で変な冗談を言ってくる鉄生に俺は水を向けるも、 「いや、オレには帰る家なんてもう無ぇからよ」  更に変な答えを引き出してしまい、どうして良いか分からず途方に暮れた。あと、今思いついた“あ、じゃあ鉄生、年末年始だけ帰ってくりゃいいじゃん”という逃げ道を失ったことにも途方に暮れた。 「そっかぁ……」  俺は一旦すべての会話を放棄し、視線を天井に彷徨わせた。視界の外で鉄生がごそごそと布団に体を横たえる気配がし、再び部屋を気だるい雰囲気が支配する。  ただ漠然とTVから流れて来る意味の分からない英語の台詞に耳を傾けながらも、俺は自分がここ数日間で最も心落ち着いていることに気が付いた。今は脱力の方が勝っているが、相当にリラックスしているし、頭もスッキリしているような気がする。  その理由については、すぐに思い当たった。久々に充足したのだ。何が? メロンソーダが、である。  しかも、性的快感とメロンソーダ感を同時に味わったのは初めてのことだった。  食欲と睡眠欲が同居しないような感覚で、俺は今までそれらを一緒に味わおうと試したことは無かった……というか、一緒にできるシチュエーションがどこにも無かった。  自転車で坂を下りながらエロいこととか常識的に考えて出来ねぇし、遊園地でチ○コ出してたらお縄だし。あ、電車でもだ(遊園地よりももっと重い罪に問われそう)。  が、まさかセックス(未遂だが)とメロンソーダの相性が悪くないどころかむしろこんなに良いものだとは思ってもみなかった。  ――ちょっと待てよ……。  この時、俺の脳裏にふと過ぎった考えがあった。  ――未遂であれだけ良かったんだから、マジでやっちゃったら俺はどうなってしまうのだろうか……?  俺は己の良からぬ考えを打ち消すようにぐっと目を瞑ると、鉄生に向かって一応の確認作業を行うことにした。 「鉄生さぁ」 「ん?」 「……俺たちって、あれでもう正式に付き合いだしたことになったわけ?」 「んん~~……」  鉄生はしばらくの間考え込むようにうんうん唸っていたが、 「あれは……あれは……ギリでノーカン…………かな」  絞り出すような声音で、こう結論付けた。 「そっか」 「あれでそーゆーことにしちゃうのは、さすがに卑怯くせーぜ……つーか済まねぇ洋介……許してくれ……」 「あ、うん」  ホッとした。“あれはノーカン”、その答えで何の問題も無い。が、別の答えを期待していなかったといえば嘘になる。  とは言っても、鉄生のことを愛し始めたわけでは無い。と思う、多分。まあ、多少の情が移りかけている自覚はあるが。  じゃなくて、もしあれで二人が恋人であるということに決まってしまったのならば、俺は自分に対してある言い訳が可能になるのだ。  ――なら、しちゃえばいいじゃん、セックス。どうせ遅かれ早かれすることになるんだし、今やったって変わんないって。  頭の中で、その文面を思い浮かべた途端、つい数時間前に感じた濃厚なメロンソーダの味がじわりと口の中に蘇る。  ――サイテーだわ、俺。  俺は自ら考えを打ち消した端から、気になって仕方がないのだ。鉄生と最後まですることによって、どれほどのメロンソーダ感が得られるのか、ということが。  つまり、俺はもう既に次のメロンソーダを欲しているのである。  俺は悩んだ。シーツの洗濯(途中で鉄生に取り上げられた)をしている間、年末年始のための食料品等の買い溜めに出かけて(鉄生と一緒に)いる間、夕食の宅配ピザ(鉄生の提案により)を食べている間、延々と悩み続けた。  鉄生に、自分たちは両思いであると嘘をつきセックスに持ち込むか。それとも、単に俺は自身の興味のために男同士でセックスをしてみたいだけなんです、ご協力いただけませんか、と正直に打ち明けるか。  ……それをしないで我慢し続けるという選択肢は、自分のこれまでの行動を振り返った結果、無理であると判断したため排除した。  考えた末、俺は嘘をつくのはやめておくことにした。どっちにしたって鉄生に対して失礼であることは変わらないが、嘘を吐くことの方がより失礼であると思ったからだ。あと、嘘がバレた際に想像を絶するこじれ方をしそうだし。  正直に打ち明けた場合、もし鉄生が不愉快に感じ、こんな俺に幻滅したとしたら断るという道もある。もし断られたら……どうするかなぁ……。  などと思いながら、俺はピザを食い終わって漫画を読みながらごろごろしている鉄生に向かってこんな風に切り出した。 「なあ、鉄生、……ちょっと相談っていうか、聞いてほしいことがあるんだけど」  “ついに来たか”。そんな表情でいそいそと起き上がって胡坐を組み、 「……よし。何でも聞いてやる。ゆっくりでいい、話してみろ」  などと座布団を勧めてくる鉄生にあんな恥知らず極まりない相談を持ち掛けようとしている俺の気持ちを三十文字以内で簡潔に述べよ。答えは……知らねぇよ! 赤裸々とかそのへんじゃないの? え? 三十文字? あぁ、やけに解答欄広いと思ってたよ!!  さておき、俺の“相談事”を聞き終わった鉄生の表情は、「無」そのものだった。色々ありすぎて一周しちゃった感じだ。そりゃそうなるよ。鉄生にしてみれば、俺から相当深刻な悩みの相談を聞かされる覚悟をしていただろうに、蓋を開けてみれば“セックスを試してみたい”なんだから……。

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