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 ――俺は、今の今まで知らなかった。鉄生が自分よりも二歳年上であることも、母親と姉を自殺で亡くしているということも、以前言っていた“帰る家など無い”という言葉が真実であったということも。  また、驚きと共に妙に腑に落ちた事柄もある。鉄生の俺に対する過剰なまでの心配と過保護、入浴の際に風呂の扉を閉めさせない理由、それに時を遡って考えれば、秋ごろに遭遇した女の自殺騒ぎに対する態度だって。 「ん……、なんていうかその、俺なんかよりも鉄生の方がよっぽど真剣に苦労してるっていうか、あんなので死ぬほど悩んでた自分が恥ずかしいっていうか、……むしろ俺より、うーん、どう言えばいいか……」  思っていることをどう言葉にしたらいいか分からずに言いよどむ俺に向かって、鉄生はあっけらかんとした表情でいきなり核心をついてきた。 「オレの方がよっぽど死にたくなるよーな人生送ってるって?」 「えっ!? いや、そういう意味じゃ……」 「いいぜ、別に。遠慮すんなよ。でも、オレは生まれてから今まで一度も死にたいなんて思ったこと無いぜ。つーか、そう思ってたらオレ、既にここに居ないわ。簡単だったんだから、死ぬのくらい」  続いた鉄生の言葉に、俺は何故か頭から冷水を浴びせかけられたような気分になった。 「……ただ生きようとするのを止めるだけで良かったんだから。ホント、恐いくらい簡単だったろうぜ、きっと」  その感覚は恐怖だった。ただひたすらに真っ黒な、吸い込まれてしまいそうな恐怖だ。……この妙な体質に目覚めて以来、俺がメロンソーダの匂いのしない恐怖を感じたのは初めてのことだった。  瞬間、見えない衝動が俺の背中を強く押した。ベッドサイドに座っていた俺はまるで弾かれるようにして、寝転ぶ鉄生に向かってダイブしていた。 「おっ、……と」  鉄生は急に抱き付いて来た俺を危なげなく受け止めると、愉快そうに低い笑みを漏らす。 「同情するぜ、洋介。お前スゲーのに捕まったよな。オレ、実はめちゃくちゃ重い男なんだわ」  そうして、胸に顔をうずめる俺に向かって重い重い言葉を吐いた。 「洋介、愛してる」  それからは、まさに蜜月とも言えるような日々が続いた。俺達はいつの間にやら年が明けていることにも気づかず、昼夜を問わず無我夢中で抱き合い、行為に没頭した。 「セックスが危ないコトの代わりになるんなら、いくらでもすればいいじゃん。オレ、付き合うからよ。体に支障が出ないように手加減もできるし。遊園地もいいが、どうせ頻繁にゃ行けないだろ?」  との鉄生の言葉に甘え、俺はどうしてもメロンソーダが欲しくなったら彼に行為を強請るようになったのだ。もちろん、先に交わした約束(つまり、俺は恋人を作らない)は厳守する代わりに、という条件だが。  彼との行為(及び、それで得られるメロンソーダ感)に飽きがくることは無かったし、なにより鉄生と抱き合っていると安心した。いや、ちょっと違う。抱き合っていなければ、安心できなかった。これは、鉄生の過去の話を聞かされてからずっと尾を引いている感覚だ。  こうしてベッタリとくっついていなければ鉄生が消えてしまう、といったような考えがいつも頭に薄く纏わりついていた。  おそらく、俺と鉄生は共依存の関係に陥っているのだろう。でも、そうだとして一体何の不都合があるだろう? 「別に、オレはいつまでこうしていても構わないぜ。何ならずっとでもいい。そうすりゃ、洋介は一生恋人を作ることができなくなって、ずっとオレと居るしかなくなるんだから」  鉄生だって、こう言ってくれているし、もちろん俺もそうさせて貰うつもりだ。ああ、人生のこんなに早い段階で、この先ずっと幸せでいられることが確定するなんて思わなかった。……やはり、人生とは分からないものだ。  鉄生は、行為の最中によくこんなことを口にした。 「洋介、体の興味だけって言ってるけどさ、ホントはオレのこと好きなんだろ?」  それに返す俺の言葉は、ほぼ決まっていた。 「そうかな? ……そうかも。まだはっきりと分からないけど」  正直に言うと、俺は鉄生のことが好きだ。親友としては前から好きだったが、それとはまた違った感情が自分の中にあることに、最近になってはっきりと気が付いた。  でも、それが鉄生が俺に向ける“好き”と等価の感情とはどうしても思えなかった。だから、どうしても彼に“俺も好きだ”と答えることはできなかったし、まして“愛している”だなんて言う自信など無かった。  でも、きっとそれらは時が解決する問題だと俺は感じていた。そう遠くない未来に、俺は彼に胸を張って“愛している”と言えるようになるだろう、と。だって、俺はもはや鉄生なしではいられないし、それは愛ということだろう?  ある寒い朝、俺達はベッドからベランダのカーテン越しに透ける雪の影を眺めていた。  鉄生が照れくさそうにしながら、俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声で、小さく耳打ちをした。 「なんかさ、……の中にいるみてえ、オレ達」  こしょこしょと、肝心の部分が聞き取れない。でも、何を言いたいのか俺にはすぐに判った。 「……うん、そうだね」  胸がいっぱいになった俺は、頷くだけで精一杯だった。ただ、ずっとこうしていたいと素直に思えた。  ……その時は。

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