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10-1
翌日、早朝。まだ陽も昇りきっておらず、窓の外は薄暗い。そんな中、俺と鉄生はローテーブルを挟んで向かい合った形で座っていた。……どうも、以前にもこんなことがあったような気がする。
「……は?」
俺の話を聞き終えた鉄生は、そう言ったきり黙り込んでしまった。俺は祈るような気持ちで彼の顔を見つめる。
鉄生はこちらから視線を反らすと小首を傾げて腕を組み、しばしの間考え込んでいるようだった。そして、たっぷり五分は経った頃、ゆっくりと俺に目線を戻し、遠慮がちな態度でこう聞いて来た。
「さすがに冗談っつーか、何かの間違いだよな?」
「いや、冗談のつもりは無いよ。俺、正直、昨日からかなり混乱してて……自分で自分が分からなくなってきて。お願い、一日でいいから一人で考えさせ」
「……洋介」
鉄生が俺の言葉を遮る。別に大声を被せられたわけでも無いのに、俺は言いたいことを途中で飲み込んでしまった。
「洋介、今更何言ってんだよ。もう決まってるんじゃなかったのかよ、ずっと一緒に居るって。それを、考えさせろって……」
鉄生の震える声は徐々に高ぶってゆき、終いには悲鳴ともう大差が無くなっていた。
俺は早くも自分のしたことに後悔の念を抱き始めていた。彼が割と直情的で思い込みが激しく、そして顔に似合わずナイーヴな性格だということは前々から知っていたはずなのに。
そんな彼に、いたずらに不安な気持ちをぶつけたらどうなるか、冷静に考えたら予想もついただろうに……ここしばらく、生活面で彼に頼り切りだったため、俺にもつい彼に甘えてしまう癖がついていたのかもしれない。
「鉄生、俺は別に」
彼のテンションに不穏なものを感じた俺は、どうにか宥めようテーブル越しに手を伸ばすものの、敢え無く振り払われてしまう。
「オレのこと愛してるって言ったろ!? あれ嘘だったのかよ!!」
鉄生が一際大きな声で叫んだ。俺がここで、すかさず“それは嘘じゃない”とでも言えるようなタマだったなら、展開は少し変わっていたかもしれない。しかし、どうでもいい時ほど細かいことが気になる性格の俺は、鉄生の渾身のシャウトを聞いた時に、ついこんなことを口走ってしまったのである。
「――いや、ちょっと待て。俺、鉄生に面と向かって“愛してる”って言ったことあるっけ……?」
確かに、鉄生から“好きだろ?”って聞かれることはたくさんあったと思うけど、それに明確に答えたことは無いはずだ。ましてや、“愛してる”なんて言えなかったはず。何故なら、自分の気持ちに自信がなかったから。
……それは己の正確な記憶に基づく事実だ。しかし、敢えて今主張すべきことだっただろうか?
鉄生の顔がどんどん青ざめていくのを目の当たりにした俺は、漸く自分が超ド級の失言をかましたことに気が付いた。
「……っち、ちがうよ鉄生!! 俺、鉄生のことちゃんと好きだって! 先にあんなことになっちゃったから言う勇気が無かっただけで、愛してないわけじゃないっていうか、そこのところ、きちんと整理する時間が欲しいっていうか……っ」
「……わかった」
鉄生は、見苦しい言い訳を繰り返す俺を後目にふらりと立ち上がると、電気の消えたキッチンの方へ歩いて行ってしまう。
追いかけるべきか否か迷っていると、鉄生は意外に早く俺の居る部屋へと戻って来た。
……片手に、ぎらりと銀色に光る、一振りの包丁を携えて。
「えっ、あっ、ちょ、鉄生、何ソレ!?」
俺は反射的に立ち上がると、思い切り挙動不審に陥りながら、背後に後ずさって彼との距離を取る。
その包丁には見覚えがあった。というか、俺の包丁だった。共同生活の初日に鉄生に隠されてしまったヤツだ。確かに、一昨日あたりに鉄生がリンゴを出してくれた時、一体どうやって剥いたのかチラッとだけ不思議には思ったが、一応俺の家の中にあったんだな……包丁。
とか言ってる間に、俺はベランダへ続くサッシの前まで追い詰められてしまった。これ以上後退するためにはサッシを開けねばならないが、目前に迫った鉄生の様子を見る限り、そんな隙は無さそうである。
無様にテンパりつつも、俺は己の胸に問いかけた。
――俺、刺されるようなことしたっけ? ……いや、してるわ。十分してる。誰がどう見ても俺の行動、完全にクソ野郎だもん。しゃーないわ。
刺されることを受け入れる方向で腹をくくった俺は、鉄生と目を合わせたまま、ごくりと唾を飲み込んだ。
と、終始無表情だった鉄生が、やにわに笑みを浮かべたではないか。
「どうだ、洋介。気持ちよくなれたか?」
「……ぇ?」
言っている意味が分からず聞き返すと、鉄生は顔に笑みを張り付かせたまま、ゆっくりと包丁の切っ先をこちらに向けてきた。
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