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出来損ない
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「…秋、起きなさい。…秋っ!」
「ひっ、ひゃい!」
しまった…。またやってしまった。
リビングのソファでちょっと横になったつもりが、いつの間にか深く眠り込んでいたらしい。
「ご、ごめんなさい!す、すぐにご飯の支度します」
時計の針は午後9時を回っている。パタパタと大急ぎでキッチンへと向かう僕を、大きな溜息が追いかけてきた。
ああ…。また呆れられた。己の不甲斐無さにもう涙も出ない。自分がこんなにダメ人間だなんて、結婚するまで知らなかった。
中条双葉さんと結婚してそろそろ1年になる。婚約中に色々と話し合った結果、僕は大学を卒業後そのまま院へと進み、ゆくゆくは実家である立花の会社へ研究員として身を置くべく、勉強を続けている。
一方の双葉さんも、グループ傘下の会社を幾つか任されていて、いつも忙しそうに国内外を飛び回っていた。
僕が腹を括って覚悟した子作りも、暫くは互いのやるべき事に専念する為、当分は作らない方向で話が纏まった。
これには正直ほっとした。ほっとしたんだけど……。
「あ、あの双葉さん。ご飯、出来ました」
「…ああ、今行く」
テーブルに並べた一人分の食事。それを見た双葉さんはまた小さく溜息をつく。けれど黙って席に着くと両手を合わせて一礼し、黙々と僕の作ったお粗末な食事に手を付けた。
今夜は鶏の照り焼きと小松菜の炒り浸し。里芋とネギの味噌汁に五穀米のご飯。本当は焼き茄子も付けるつもりだったけど、時間が掛かるから諦めた。
「秋、ちょっとそこへ座って」
お茶を出そうと用意していたら、双葉さんに向かいの席へと呼ばれる。…またお説教かな。
「…はい」
項垂れて席に着くと、箸を置いた双葉さんにジッと見られた。チラッと上目遣いで覗くように視線を向けると、無表情の双葉さんが口を開く。
「秋。学業と家事の両立が難しいなら、家政婦を雇うと言ったよな」
「……はい」
「要らない。自分がやる。秋はそう言ったよね。 どう? 今、ちゃんと出来てる?」
「……ぃぃぇ」
「声が小さいよ。どっち?」
「……出来てません」
そうなのだ。結婚当初、双葉さんは僕の負担を少しでも軽くしようと、家政婦を雇おうとしてくれた。でもただでさえ人見知りの僕には、例え家政婦といえども他人に家の中を動き回られるのが嫌で、折角の好意を断ってしまった。元々家事は得意だったし、一人暮らしもしていたのだから大丈夫だろうと高を括っていた。けれど、院の研究課程はかなりシビアで泊まり込む事も多く、その結果家の事が疎かになってしまうのだ。
「来週から週3日、家政婦に来てもらうよ。いいね」
「………はぃ」
ますます僕の存在意義が薄れた瞬間だった。こんなんで本当にいいのだろうか。夫婦らしい事なんか、もう他に何も無いよ。だって……
「ところで。 …あっちはどうなってる?」
ギクリ。この話題は苦手だ。どうしたって劣等感に苛まれる。
「……まだ、みたいです」
「…そうか」
双葉さんはそれ以上何も言わず、再び箸を持ち上げ食事を続ける。居たたまれなくなった僕は、今度こそお茶の用意をする為にトボトボとキッチンへと向かった。
僕はオメガだ。オメガは男性でも子宮があり、子を成す事が出来る。思春期から成年期にかけて第二次性徴期を迎えたオメガには、本来なら発情期が訪れ子を宿す子宮の成熟を促すのだ。…が、僕には未だにその発情期が来ていない。
婚前健診の時にオメガ専門病院では、未熟なだけで何れはちゃんと妊娠できますよと言われたが、その何れがいつなのかは分からない。
診断結果を双葉さんに伝えると『秋はまだ子供って事だな』と笑われた。それから『秋の身体がちゃんと大人になるまでは、夫婦の営みはおあずけにしよう』そう提案されてしまった。だから僕達夫婦は、もうすぐ結婚して1年になるというのに、未だに清い仲のまま。
その負い目もあって、せめて家事くらいはきちんとやりたいと思っていたのに。それすらちゃんと熟す事も出来ない僕は、この夜も双葉さんとは別々の寝室で、一人鬱々と夜を過ごす事になったのだ。
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