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新婚旅行〜①
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「う、わぁ…」
見晴らしの良い高台の部屋からは、頭に白い雪化粧を纏った富士山が見えた。
「双葉さん、見てください!富士山があんなに近くにありますよ!凄く大きいですね」
「ああ、そうだね」
凄い凄いとはしゃぐ僕を、優しい眼差しで双葉さんが見ている。
月末の週半ば。僕達は伊豆高原の温泉旅館に来ていた。格式高い高級旅館に僕は少し気後れしてしまったけれど、中庭を通り案内された部屋は離れ家のようで、仲居さんが退室した後は双葉さんと二人っきり。ようやく窓の景色に目を向ける余裕ができた。
「頭痛はもう大丈夫かい?あまり無理をしちゃいけないよ」
「ええ、もうすっかり良くなりました。 双葉さん、今日はありがとうございます」
本当はまだ少し頭が重い。でも折角の初旅行だもの。ちょっとくらい具合が悪くても、楽しみの方が上回る。それに忙しい双葉さんが、僕の為に仕事の調整をしてくれていたのも知ってる。本来なら平日に3日も仕事を抜けられる程、暇な人では無いのだ。
「秋。すまないが、2、3目を通さなければならないものがあるんだが、いいか」
「はい、勿論です。あの僕、温泉に入ってきてもいいですか?」
「あ、ああ。 内風呂があるからそちらを使いなさい。大浴場には、後で一緒に行こう」
「はい!」
いそいそと浴衣を抱えて脱衣所に向かう。内風呂と聞いて内心ちょっぴりがっかりしたんだけど、浴室のドアを開いたら…
「ふ、双葉さんっ!内風呂ってこれですかっ!?」
「…ああ。ここは内風呂も露天風呂なんだよ」
部屋から双葉さんがそう応えてくれた。こじんまりとしてはいるが立派な露天風呂だ。ワクワクする。
「余り長湯はいけないよ。折角良くなったのにまた頭痛がぶり返すからね」
「分かりました!」
服を脱ぎ、洗い場で軽く汗を流してから露天風呂へ足を沈める。
「はぁ〜…、気持ちいい…」
湯の花の香りと乳白色の柔らかい湯に包まれて、指先までじんわりとした暖かさが染み渡る。こんなに明るい内から温泉に浸かるなんて、まったくなんて贅沢なんだろう。
「富士山まで独り占めだ」
窓から見えた富士山が此処からもよく見える。目の前に迫るように聳え立つ。雄大な景色に日頃の不安なんか消し飛ぶようだ。
「…、…った」
ズキン、と重怠い痛みがまた少しした。
双葉さん程ではないが、僕もこの旅行の為に少しばかり無理をしていた。先週末は研究室に泊まり込んで、進めていた薬効分類のデータの照合と書き換え作業を片付けた。急遽今週中に終わらせなければならなかったからだ。お陰で週明けには寝不足が祟り、目眩と頭痛が酷かった。双葉さんにバレない様にと、気を張っていたのも良くなかったのかも。水曜日の今日になっても頭痛が治まらず、出発前になって双葉さんに気付かれてしまった。
『辛いなら旅行はまた今度にしよう』
そんな事を言われて「はいそうですね」なんて絶対嫌だ。鎮痛剤を服用し、どうにかこうにか心配する双葉さんを説き伏せて来たのだ。
「大丈夫、大丈夫。だって新婚旅行だもの。絶対楽しい思い出にするんだ」
双葉さんには言ってないけど、僕はこの旅行を勝手に新婚旅行と決めていた。結婚以来、二人で外出もままならなかった。
1年かけてゆっくり育てた淡い恋心にも、先日ようやく気付いたのだ。僕達はこれからですよね、双葉さん。
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