9 / 39

鎹 1

 また来週、と初々しく約束を取り付けた三日後、どういった悪戯か街中でコクヨーくんと出くわした。アメダスが今秋一番の冷え込みを観測したのだとかでずいぶんと冷え込んだ夕方だった。欲しい雑誌があってたまたま仕事帰りに本屋に寄ったのだが、なんと書店奥の漫画コーナーに彼がいた。濃紺のブレザーに赤と黒の派手派手しい市松模様のマフラーを巻いた、いかにも“コクヨーくんらしい”出で立ち。一体どんな本を探しているのか、せわしなく本棚に視線をさ迷わせ、口元に手を当てて難しい顔で思案している。 (かわいいなあ……)  自然にそんな感想が浮かび、慌てて打ち消した。恋に浮つく思春期の学生でもあるまいに、そんな弛緩しきった、ふやけたような恋慕を向けるなんてらしくもない。 「コク……」  声をかけようと右手を上げ、はたと動きを止めた。もしかしたら利発クンも一緒にいるかもしれない。妙に仲が良いようだし、その可能性は極めて高い。利発クンに見つかりでもしたら、やれストーカーだのやれ変質者だのと散々な言われようをされるに違いない。一言声をかけたかったが、どうせ日曜日には会えるのだし、今日は諦めよう。そう思い、雑誌のことなんてすっかり忘れて書店を出たところで大きな足音が騒々しく迫ってきた。 「あきっ、あき、あきっ」 「コクヨーくん!?」  あきあきあきつさん、と興奮気味に名前を連呼され、どうどうと手で制する。 「落ち着いて。もしかして、僕に気付いたの?」 「あ、後ろ姿が見えた。見えました」  なぜか誇らしげだ。あ、と一拍置いてからしゃべりだす癖は相変わらずで、たかが三日ぶりなのに、妙に懐かしい気持ちになる。 「浅倉くんは? 今日は一緒じゃないの?」 「あー、部活。俺、帰宅部だから。今日は……」  ぶつ切りの要領を得ない言い回しも同じ。当たり前のことなのだが、あの淫靡な夜の続きに今日が、この時間があるのだと感慨深くなった。眠ったところで、日付が変わったところで、今日も明日も朝も夜も区別なく、連綿とホテルからの僕たちが繋がっている。 「そっか。じゃあ、もし時間があるならどこか寄っていく?」  問えば、一瞬の間。情報処理の遅いパソコンのようだ。 「えっ、あ、い……行きます」 「無理、してない?」 「そん、そんなことは、ない、です。あ、その、やっぱりまだ、緊張しちゃって……」  コクヨーくんは胸を押さえて、はぁーっと透明な溜め息を吐く。寄り道くらいで緊張されるとは。出会ったその日にかなりの痴態をさらしているはずなのだけれど、それとはまた違うのだろうか。自分自身、あまり緊張するタイプではないので分からないが、もしかしたら緊張にも種類があるのかもしれない。性行を持ちかけられた時の緊張と、いま僕と連れ立って歩く緊張との違い。肉体的かそれとも精神的な緊張なのかという違いだろうか。 「大丈夫だよ。コーヒーでも飲もうか。帰り、車で送ってあげるよ」  初々しい緊張をほぐすためにも、僕は低い位置にある彼の頭を撫でた。ヘアセットなどされていない、生まれたままの髪の感触。照れたようにうつむき翳を落とす髪の下ですべらかな頬が紅潮するさまを見下ろし、意識されていることを改めて認めた。

ともだちにシェアしよう!