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不安の嘶き 1

 秋晴れの日曜日、デート日和とはまさに今日のことを指すのだろう。デート、と口の中で唱えて苦笑する。 (僕とコクヨーくんが付き合う? そんなの、淫行だ)  どこからどう見たって、淫行だ。コクヨーくんのことは好きだ。今までしてきた恋愛の中で、もっとも純粋な“恋”に近い好意を寄せていることにも気が付いている。しかし、彼はまだ学生であり、未成年だ。  常識が邪魔をする。大海に混ぜた色水のような模糊とした思慕を、互いにまだひとかけらだって口に出し合っていない。いまならまだ、彼は引き返せる。常識へ帰られる。高校生の恋心なんて、一時の風邪のようなものだ。 (――――何を深刻に考えているんだろうなあ。そもそも、まだ出会ってからそれほど経ってもいないのに……)  歯を磨きながら何度も“しかし”と“だけど”の応酬に悶々とする。デート……の前に、こんなにも考え込むことも初めてなので、戸惑い、臆している。恐怖すら感じている。言葉を交わすたびに、抑制できない気持ちが膨らむことを知っているせいだ。 (きっと、僕が臆病なだけなんだろう……)  結局はそこに行き付いてしまう。コクヨーくんが僕に対して純粋な好意を抱いていることにも気付いてしまっているせいで、更に引けなくなっているのだ。  昨夜、電話番号を交換してからはじめて通話をした。飴玉の粒をちりばめたような会話の中、コクヨーくんはしきりに『あしたが楽しみだ』と零していた。その子供らしい無邪気さと、思春期特有のはにかみが混じった声音を反芻し、ほうとため息を吐き出す。恋煩い、という単語がふらふらと浮かんでは沈み、火照った頬を冷たいてのひらで冷ました。      *   *   *  ひらひらと葉を落とし続ける並木がボンネットにぼんやりとした木漏れ日を映す。  コクヨーくんはきっと、今日のこの日を一日千秋の思いで待ったに違いない。夏風邪のような恋心を振りかざし、思春期の勢いは濁流さえ凌駕する。行き場のない熱を成長途中の未熟な体いっぱいに受けとめ、疾走する。青春は恐ろしい。若さは眩しく、脆く繊細で驚くことに強靭だ。すこしの言葉くらいでは止まらない。白い旗など、はなから知らない。こちらの理性や抑制などを容易に踏みつけてしまう獰猛性を内包している。そうだ、思春期は獰猛な獣だ。若人はみな体の中に獣を飼っている。いや、それも間違いだ。若人こそが獣だ。そして僕というかつての獣はすっかり形をひそめ、理性と常識という支配者に腱を切られ、頭を垂れてしまっている。瞬発力はないくせに、ちゃっかりと生命力だけ一丁前に備えた、まるで蝸牛そのものだ。  もやもやしている内にあっけなくコクヨーくんの家へ着いてしまい、チャイムを押すべきか、電話をかけて呼び出すべきか迷った。家まで出向いて、もしも彼の父親と出くわそうものなら、大切な息子さんにいたずらをして本当にすみませんと、僕はその場で土下座か切腹をしかねない。今まで適当に付き合ってきた交際相手にそのような気後れなどしなかったのに、コクヨーくんだけはどうにも特別だ。大げさに言ってしまえば、神聖視しているのかもしれない。彼は純粋だ。僕の好意など、彼の潔白さの前ではさながら恋慕ではなく、“穢れ”だ。 「秋津さん!」  こつこつと控えめにウインドウを叩く音とともに、嬉々としたコクヨーくんの姿が見えた。慌てて身を乗り出して助手席のドアを開けてやり、思わず顔を顰める。 「……どうして浅倉くんもいるのかなあ」 「友人が胡散臭い変態に誑かされないよう、監視役として同行する事にしました。もしも怪しい行動を取ったら、その場で通報します」  利発そうにハキハキとしゃべる面に、ひそかに舌打ちをする。 「え、浅倉も一緒に行くの? 見送るだけだって言っていたのに」 「やっぱり心配だからついて行く。おまえ、昨日あまり寝てないんだろう? 倒れたら心配だし」  浅倉くんは驚くほどに優しくコクヨーくんに笑いかけると、僕に視線を移して腕組みをしたまま小さく鼻を鳴らした。こちらの了承などはもちろんお構いなしで、コクヨーくんも困惑したように僕の表情を窺っている。 「え、っと、困ったなあ……」  頑固な友人と会社員の板挟みになってしまっているコクヨーくんは、困ったなどと言いつつもちゃっかり車に乗り込んでいるのだから案外したたかだ。蝸牛が若い獣に勝てるわけがなく、この中で本当に困ってしまっているのは、どう考えたって僕一人だけだ。  後部座席で仲睦まじげにはしゃぐ未成年二人を乗せ、僕の愛車はドライバーの心情など素知らぬ顔で秋風を切る。車窓から流れる景色は一貫してさわやかに、紅葉鮮やかな山々を突っ切るバイパスを経由して、隣県の遊園地のパーキングへと到着した。長距離の運転は久々だったので、伸びをすると腰がばきばきと鳴る。つい年寄りめいた嘆息が漏れ、口をつぐんだ。先までキャッキャとはしゃいでいた若人たちの憐憫の視線には気付かないことにして。

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