17 / 39

不安の嘶き 2

 遊園地は日曜日ということもあり、親子連れや学生たち、それからカップルなどたくさんの人で賑わっていた。僕たちのように、得体の知れぬ関係の男連れは極端に少ない。傍から見ても兄弟には見えないだろうし、教師と生徒という間柄にも見えないだろう。完全にこのファンタジックでカラフルポップな空間には馴染めない、そんなふうな、目視はできぬが無視できない部類の壁を周囲の人々に感じてしまった。 「はぐれたら大変なことになりそうだし、なるべく単独行動はしな……」 「むしろ、勝手に迷子になってくれるとありがたいのですけどね」  大人ぶって注意をしようとする僕のことばに間隙を与えぬほどの素早さで、浅倉くんはそう吐き捨てた。満ち満ちた悪意に閉口するしかない。このままの調子では、なかなかに広いこの遊園地で大の大人が高校生に撒かれるという悲惨極まりない事件が起きてしまいそうだ。ぶるりと身震いする。  まだ二十歳と三十路の中間だと言うのに、少し階段を登っただけでこの息切れだ。夜の運動も最近はご無沙汰だし、体が鈍っているのかもしれない。加齢は認めたくない、認められない。  わいわい騒ぎながら顔を寄せ合い、パンフレットの地図を指でなぞっている学生二人を少し離れたところから眺め、瞳を細める。『DEATH PARK』という、わけのわからない英字プリントのTシャツを着た若さ弾けるコクヨーくんの後ろ姿が妙に眩しい。その服はいったいどこで買ったのだろうと、彼のショッピング風景を勝手に想像し、苦笑した。彼らしいといえば彼らしい。どうしようもなく庇護欲を掻き立てられる。謎のベルトがたくさん付いた、謎のズボンも謎めいていて非常に愛らしい。ファッションセンスが悪いわけではない、ただ、あらぬ方向に突き抜けているだけで、何度も何度も繰り返し言うがそこが愛おしいのだ。服装をバカにされて泣きつく彼を慰め、やさしい言葉で籠絡したい。臆病でファンタジックな想像を菓子のように平らげる彼が、他人を拒絶しながら僕だけにこころを明け渡す。僕だけはきみの真価を知っているよと、全身を余すことなく撫でながら小さな耳に吹き込むのだ。 ――――うららかな遊園地でいったい何を考えているんだ、僕は。 「秋津さーん!」  不埒な妄想を脳内いっぱいに繰り広げる僕を、コクヨーくんは満面の笑みで手招きしてくれる。珍しく大きな声を出してぶんぶんと手を振る姿は子供のようだ。相当浮かれているらしい彼を、浅倉くんがじっと見詰めている。仏頂面のように見えるが、口元に慈愛の微笑みを湛えていることを知った。おや、と思う。 「ごめんごめん、ちょっと息切れが……」 「年寄りかよ」  先までの慈母の笑みはどこへやら、浅倉くんはじとりとした目を向けてくる。ウ、とたじろぐ可哀想な僕に、コクヨーくんは指でパンフレットを叩いて見せた。 「我、あ、俺と浅倉はここに行くけど、あー、えっと秋津さんは休憩してる? してますか?」 「いや、着いていくよ。どこに行くのかな?」  どれどれと地図をのぞき込むと、彼の生白い指は『鳥肌! 寄生・害虫館~ロイコクロリディウム特盛り強化祭り~』という、あんまりな名称を冠した施設名の上でうごめいていた。字面だけで血の気が引いた。 「えー……、君たちさぁ、本当にそれが見たいの?」 「じゃないと、行きたいなんて言わないでしょ」  浅倉くんは当然とまでに言い切る。 「まあそうだけど。えー……、本気なの?」 「あ、まあ怖いもの見たさの興味本位が第一と言うか、実際に見られる機会ってそんなにないだろうし、この際だし、珍しいし……、だめかな」  まるで『大してほしくないものだけど、セールだし一点ものだから買っちゃおう』的思考のコクヨーくんはともかくとして、浅倉くんは確実に僕への嫌がらせだ。二人の瞳を見つめて無言の抗議を訴えるが、彼らは断固として意志を曲げない。若者の躊躇なき瞳だ。うう、と呻く。 「……しかたないなぁ」 「きっと面白いですよ!」  コクヨーくんは寄生虫館が待ちきれないのか、黒いマフラーを棚引かせながら颯爽と走って行ってしまった。大げさなため息を吐く僕に、浅倉くんが妙な威圧感を持って近寄ってくる。瞳が怖い。 「な、なに……?」  僕と身長の変わらない彼の影に入るような形で、鬱蒼とした眼力に射貫かれる。居心地が悪い。もしかして殴られる? と冷や汗をかいたが、浅倉くんは地蔵のように動かない。 「え、ええっと、浅倉クン……?」 「……春斗、昨日電話してきたんだ。楽しみで眠れないって」  え、と思う暇すらなく彼は踵を返し、寄生虫館へと駆けた。取り残された僕はしばらく寒風に吹かれ、はっと我に返り彼らの後を追った。  かくして数十分後、僕はベンチでぐったりしていた。  最初はひいひい喚きながらもコクヨーくんの背に隠れて展示物を見ていたのだが、終いには呻くことすらできず、口元を手で覆いながら寄生虫館を脱兎の勢いで辞した。精神的に参ってしまった僕を気にも留めず、コクヨーくんたちは丹念に、入念に鑑賞しているらしく、一向に出てくる気配がない。  あんまりだ。遊園地に来て、どうしてあんなものを見てしまったんだ。当の彼らは学生特有のノリできゃいきゃい小突きあいつつもまじまじ虫を見ていて、どうしてそんなことができてしまうのだろうと僕を本気で悩ませた。  北風がふいに強まり、小さくくしゃみをする。コートの襟元を正して、行き交う人々をぼんやりと眺めた。学生のカップルに目を留め、コクヨーくんも元来はこうあるべきではないかと、うじうじとした懊悩がぶり返す。もしかしたら、僕は彼のあるべき青春、延いては未来や人生を奪ってしまっているのではないかと気が気じゃなくなる。  人生も幸福も多種多様、人それぞれの正解があるとはいえ、太古より連綿と続く普遍の営みに抗う道は過酷だ。財を成し、子を成す。子を養い、そして子に養われる。男同士連れ添って、どうなるのだ。将来は、老後は、そして看取る者は。ひとり遺された者はどうなる。  そこまで考え、自嘲した。老いた先まで寄り添うつもりだったのか、僕は。彼の気持ちすら確かめもしないくせに。すこし、熱が上がりすぎている。 「あ、こんなところにいたんですか」  手を振ろうとしてやめたのか、胸の位置に手を掲げたコクヨーくんが頬をほころばせていた。 「虫はもういいの?」 「あ、うん。とりあえずは十分かな。……へへ、虫入りの飴を買ってしまいました」 「寄生虫入り? だいじょうぶなの、それ」 「いや、ただのアリ。と、アメンボ」  ほら、と彼が差し出す鼈甲飴を胡乱げに見回し、顔を顰める。どうしてそんなものを買ったのだろう。修学旅行でついつい邪魔になる木刀や、変なキーホルダーを買ってしまう心理と同じなのだろうか。  得意げに鼻息を漏らし、コクヨーくんはいそいそとリュックに飴をしまい込んだ。食べる気なのかどうかは聞かないことにしておく。願わくば、一生封を切らないでほしい。 「……あれ? 浅倉くんは?」  てっきり一緒に騒ぎながら出てくるかと思っていたが、彼の姿が見えない。よもやまだ虫鑑賞ではあるまいなと疑ったが、コクヨーくんは複雑そうに笑った。 「なんだか知り合いを見つけたみたいで、そっちに合流しちゃった。浅倉は俺と違って、友達が多いから」 「ふーん?」 ――――楽しみで眠れないって――――  寄生虫館に入る前の不可解な言葉を思い出す。浅倉くんなりに、不器用ながらもコクヨーくんに気を遣ったということか。もしくは、少なからず僕のことを容認してくれた? そう思ってしまうのはあまりにも傲慢で自意識過剰か。  しゅんと沈むコクヨーくんには悪いけれど、それならば好都合というもの。僕は一気に元気を取り戻し、溌剌と立ち上がった。寄生虫館で独占されてしまった時間を取り戻すためにも、これは張り切らねばなるまい。 「エスコート役が僕だけで力不足ということも無いでしょう。まだ時間はあるし、コクヨーくんの好きな場所を回ろうか」 「……や、やった! じゃなくて……。クク、従者と共に仮初めの楽園を廻るか。よかろう、我の静謐なる時間、貴殿に預けん」  この口調が出たということは、ご機嫌になったという解釈で良いのだろうか。声が小さすぎてところどころ聞き取り辛かったが、喜んでくれたようでなによりだ。 「黒謡様のお供が出来て光栄ですよ」  ほんとうに。

ともだちにシェアしよう!