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不安の嘶き 3
超難解なミラーハウスを左手こすりで抜け出し、ぶらぶらと園内をうろつく。腹が空いたと目で訴えてくるコクヨーくんと共にメルヘンな園内レストランでディナーを食べ、また当てもなくふらつく。彼は僕が手洗いに行っているあいだに移動販売の“ルーマニア産ブドウを使ったドラキュラ味アイス”なる氷菓を寒空の下にて食し、「ヴラド・ツェペシュの絶氷撃……身に凍みるぞ」とつぶやいていた。よくわからないけれど僕もすっかり慣れっこなので、震えつつも楽しそうな彼にマフラーを貸してあげた。
腰を叩きながら歩く僕と違いコクヨーくんはまだまだ遊び足りないのか、いつもより格段に速く、狭い歩幅でパンフレットに目を落としながらせかせかと歩いている。遊園地の感興に頬を紅潮させる彼がつんのめるたび、手を伸ばして腕を引いてやらねばならない。これが思いのほか忙しく、そして肚の底に未だくすぶり続ける庇護欲を満たしてくれた。
陽はすっかり落ちてしまい、ほのかな暗闇の中ジェットコースターの竜骨に似たうねるレールが幻想的にライトアップされ、昼とはまた違った幻想的な表情を見せる。広場の壇上ではファンシーな着ぐるみ達がジンタに合わせて踊り舞い狂い、なにやら儀式めいた混沌と黄昏の魅力を感じてしまう。
「すごいね」
「すごい。おれが昔来たときはもっと地味なかんじだったのに、随分派手になったんだね……」
思わず呟いた感想に、コクヨーくんが言葉をつっかえずに同意してくれる。ちらりと目を向けると、彼の好奇心いっぱいの虹彩に弾ける光の華が咲いていた。
ロマをモチーフにした踊り子が金魚の尾を思わせる長い裾を飜すたび、観客は異国の風を浴びせられる。口を開けて惚ける僕たちのそばで、桃色に着色された噴水がライトにきらきらと照らされていた。
人がたくさん集まってきたので、見動きが取れなくなる前にパレードを離れ、人込みに乗じて彼の手を引いて歩いた。僕の手のひらにすっぽりと包まれるほど細い手首。彼の黒髪に、僕の肩に、極彩色のフラッシュが映りこんでは消えていく。全身を光に撫でられていた。
たまにはこういうのも悪くないが、時間は有限だ。艶やかなパレードが幕を下ろすように、このデート未満の〝時間の共有〟も終了が近い。
「もう少しで帰ろうと思うけど、まだ行きたい場所はある?」
半歩後ろを着いて歩くコクヨーくんに声をかけると、彼はしばし考えるそぶりを見せ、ふと雑貨屋の前で立ち止まった。
「あ、大樹……じゃなくて、父にお土産を買おうと思うんだけど」
「それはいいね。きっと喜ぶよ」
父親との仲が良好なことは聞いていたので、微笑ましさに頬が緩んだ。
アンティーク調の扉を潜り、真剣な表情で土産を選ぶコクヨーくんを観察する。ひねもす絶えず楽しかったけれど、今のこの時間が特別楽しいかもしれない。家族を想い、あれやこれや思案するコクヨーくんを見守ることがなによりもうれしい。
「たぶん、大樹なら何をあげても喜ぶと思うんだけど……、秋津さんは、何がいいと思う?」
「うーん、そうだね、普段から使えるものがいいんじゃないかな? グラスとかカップなら、まず間違いはないと思うけど」
困ったようにこちらを振り仰ぐ彼に助言を返すと、コクヨーくんは何度かうなずき、視線を棚に戻した。
「ねえ、コクヨーくんはなにか欲しいものないの? せっかくだし、買ってあげるよ」
何がいいかなと尋ねるが、面倒くさそうに首を振られた。予想通りの反応だ。
「へー、じゃあしょうがないね。代わりに、この後ホテルでとっておきの性技をプレゼントしちゃおうかな」
最低なジョークを飛ばすものの、彼はうまく理解できなかったようでしばらくぽかんとしていた。助け舟を出すつもりで軽く握った右手を上下に動かすと、ギョッと瞠目して後ずさり、怯えたように距離を取られる。それがもう、おかしくてしょうがない。なかなか引っ込んでくれない笑いを無理やり抑え込み、なんでもいいから持っておいでと言うと、彼は大人しく商品を選び始めた。
「あ、俺これがいい、かな」
店員でもあるまいに、ぼんやりと客を眺めてばかりいる僕に、コクヨーくんはもじもじと小さな包みを差し出した。どれどれとのぞき込むと、それは携帯ゲーム機のタッチペンだった。テーマパークのマスコットキャラクターがペンの上部に付いているところが、辛うじてお土産っぽさを演出している。
「これでいいの? なにかもう一つくらい選んだら?」
「ううん、いい。それなら毎日使うから。それでいい」
頑なに言うものだからそれ以上は指図するわけにもいかず、しぶしぶレジに出した。千円でお釣りが来てしまう。もう少し高価な物を強請ればいいのにと思いはするものの、まあコクヨーくんらしくていいかと納得をする。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
綺麗にラッピングしてもらったプレゼントを渡すと、コクヨーくんは相変わらずもじもじしながらそれを受け取った。お礼を言うのが照れくさいのか、僕が貸してあげたままのマフラーに口元は隠れているけれど、赤面していることは手に取るように分かった。
結局コクヨーくんは、父君へのプレゼントにビールグラスを買ったようだ。飲みすぎないようにとの意を込めて少し細めのグラスを選んだようだが、安価な割には丁寧な造りのそれは品が良く、慎ましやかな彼らしいセンスだと思った。僕が贈ったプレゼントと同じようにラッピングされたそれを大事そうに両腕に抱きしめ、コクヨーくんは満足げに笑む。
「クク、あ奴が感涙に咽ぶ様が目に浮かぶぞ」
「ふふ、ご機嫌なようでなにより」
閉園も近い。未練がましく遠回りをしながら園内を抜け、車に乗り込む。行き道とは違い、彼が助手席にいることが誇らしかった。さすがの黒神天帝も疲れたのか、小さく欠伸を漏らして瞼を擦る。早くも船をこぎ始めたその腕には、贈るものと贈られたもの、二つのプレゼントが一緒くたに抱かれていた。
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