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不安の嘶き 4

 いつかと同じ、ムーンリバーがカーステレオから流れ出る。  もったりとした秋の闇を掻き分けるようにして車は進む。夜霧が濃いので高速を下り、側道に出た。高架橋とは違う地上の見慣れた景色に、今日一日の終わりを実感して少々寂しさを感じてしまう。午前の秋晴れなど嘘のようにいやに昏い夜で、星もなければ月も見えないけれど、雲の淡いを金色に透かしているので、きっとあの辺りに月があるのだろう。不思議に思える。見えないのに、あの雲の奥では煌々と金色の光を振りまいているなんて。 「寄生虫館で見た、あれ何だったっけ、蝸牛のやつ。ええと、ロイ、ロリ……」 「ロイコクロリディウム」  手持ち無沙汰に話を振ると、眠たげだった彼の瞼がしゃんと開き、食い気味に言葉をつながれた。あんがい、魔騎士様は寄生虫館が気に入ったようだ。 「そうそう、それ。朝も考えてたんだけどね、僕って蝸牛っぽいなあって。そして、コクヨーくんは若いシカだね」 「……意味が、よく」  つまりね、と一瞬だけ目を合わせる。冷える夜に、暖房がよく効いている。 「僕はなんでも億劫がってしまって、体より先に頭でいろいろ考えちゃうんだよ。だから歩みが遅い。そもそも、歩もうとさえしない。だけど君はまだ、本能のまま走れる。柔軟で、若い。それが少し、妬ましいよ」 「そう、かな。……俺は臆病だから、そんな風ではないけど」  不貞腐れたように声を潜めるコクヨーくんは、やはり若い。そういう態度こそが若さそのものだというのに。 「臆病ってのは、僕みたいなのを指すんだよ。先のことを怖がって、今を見ない。……、まあ、僕だってロイ……なんとかに寄生でもされたら、もっと積極的にアプローチできるのかもしれないけどね」 「今だって、積極的だと思う。思いますけど」  冗談めかしに言うと、案の定コクヨーくんは憎まれ口を叩き、控えめに歯を覗かせて笑った。ばくん、と心臓が高鳴る。やけに濃い闇のなか、てらりと光ったその白い歯にため込んだ劣情を触発される。我慢する気にはなれず、ゆっくりと車を路肩に停めた。ハザードが忙しなく鳴く。国道を避けて通ったことが幸いして、夜霧のせいか車通りもまったくない。  急に停車させたりして彼に不審がられないだろうかという危惧もよそに、コクヨーくんはじっと眼前を見据えていた。なにか、心の中で多大な葛藤をしているように思えた。 「コクヨーくん?」  気分でも悪くなったのかと不安になったが、彼は薄く水の張った瞳をかすかに泳がせながら、今度は僕の顔をじっと見据えた。唇をゆるく引き結んでは頼りなげに己の手を握って、ほのかに頬を赤らめ、真剣な瞳で――……。 「秋津さん……」  ひそやかな吐息とともに名を呟かれ、僕は狼狽する。この表情は、おそらく。  彼の意図を悟った瞬間、緊張して震える唇が押し当てられた。若く負けん気の強い、少年の唇だった。離れていくコクヨーくんの伏せられたまつげや頬にかかった柔らかい横髪なんかがひどくゆっくりと、流れるようにして遠ざかった。  案の定、あれはキスをしたがっている顔だった。それを逡巡している時の表情は、特別だ。  彼が完全に離れてしまう前に、こちらから追いかけて唇をついばむ。それだけで、たった皮膚と皮膚との一瞬の接触だけで、こんなにも愛しくて仕方がなくなるものなのか。わざとのようにリップ音を立て、続けざまに深いキスを落とし込んだ。指で耳を擽り、下って服越しに背中を撫で、あばらを伝って脇腹を愛撫する。くすぐったさに身じろいだ隙にTシャツの中へ手を潜り込ませ、乳首を引っ掻いた。 「あ、あき、秋津さんっ」  ぐい、と無遠慮に髪を引っ張られ、仕方なく手をひっこめる。 「なに」 「外、ですけど……」 「こんな道、誰も通らないよ。万が一通ったとしても、見えないから大丈夫」  そういう問題じゃないと窘められるも、お構いなしに強張った太股を撫でまわした。その手が少しずつベルトに近づきつつあることを分かっているのかいないのか、コクヨーくんの抵抗は息絶えるように弱まった。 「口でしてあげるよ。まだ、それはしてあげてなかったよね」 「く、口って……」  眉根を寄せて瞳を逸らされる。もぞ、と太股に力が入ったのを見逃さなかった。到来するであろう凄まじいほどの快楽を予感し、コクヨーくんが緊張するさまが手に取るように判った。見せつけるように体を屈める。顔を彼の股間に近づけると、目に見えて体が跳ねた。 「こわい? 大丈夫だよ、僕、フェラチオは慣れてるから」  安心させるつもりでそう言ったのに、コクヨーくんはその一瞬で顔を顰めて、何かに堪えるように肩で荒く、長い息を吐いた。エンジンを切ったせいで車内はぐんと冷え込んできている。憤りを逃がすようにして吐かれた熱い息が形を成して浮かび、僕は少しだけ面食らう。もしかして、彼の機嫌を損ねてしまっている? 「秋津さんって、本当に……」  その先を聞くのがふいに怖く感じて、慌てて上体を屈めた。 「えっ、ちょ、待っ……!」  彼の座席を下げ、空いた隙間に身を入れて足元に跪く。愛撫しやすい体勢になったところで、まだ柔らかいそれを掌全体で性急に扱き上げ、伸ばした舌先で先端をくじった。 「ふっ、うぅ……」  くぐもった声が耳を撫で、気を良くする。先端から根元まで、そしてまた先端までを何度も何度も舐め回し、時折先っぽを目がけて舌全体を押し付けるように圧をかけた。唇で皮を剥くと、悲鳴を上げた彼のつま先が僕の体を蹴った。舌を押し付けて、尿道口がぬるつくさまを暗闇の中で見詰める。特有の塩辛い先走りを味覚が捉え、嬉しくなった。 「どう、気持ちいい?」 「はぁっ、あ、あっ」  じゅっと亀頭を吸い、表情を盗み見る。まだ舐めただけなのに、こうも反応してもらえると奉仕のし甲斐もあるというものだ。口内で舌と上顎を擦りあわせ、淫らな味を記憶させようと画策する。愛しくて尊い分泌液。コクヨーくんの味が、コクヨーくんだけの味が愛おしい。 「咥えるよ?」  わざと大きな口を開けて、半泣きの彼に見せつけるようにゆっくり、陰茎を咽喉の奥まで咥え込む。 「んんっ、んー!」 「あ、はは。まだまだ、これからだよ」  咥えた時と同じく、じれったいほどに緩慢な動作で咽喉から抜き取り、唇に絡みつく涎と先走りの糸を舌なめずりで舐め取った。口内で弄ばれる陰茎は愛撫に忠実だ。舌で圧を与えればびくんと震える。上を向いた陰茎が上顎を押し上げる圧迫感に、目を細めて笑った。 「あき、つさ……」  ごくり、淫蕩な表情でコクヨーくんは音を立てて唾を飲んだ。期待されている。僕の髪をゆるく引っ張っていた指が、続きを懇願するように縋り付いてくる。  コクヨーくんは相変わらず大きく肩を弾ませながら、食いしばった歯の隙間から悩ましげなうめき声を漏らした。上下の唇の境が弛緩して唾液に濡れていた。上目づかいで見つめる先の表情を無遠慮に観察しながら、唇を窄めて陰茎を扱く。頬の内側で、舌全体で、上顎も使ってコクヨーくんの熱い陰茎を苛め倒し、じゅるじゅると音を立てて先走りを吸い上げ飲み込む。派手な水音が刻々と冷え込む車内に響いていた。 「いぅっ、ぅくッ、や、……はな、っさないで……」  一旦息継ぎしよう、と口を離そうとするが、それまで荒い吐息を庇っていた右手が下りてきて、僕の後頭部をやんわりと押さえつけた。これにはいささか驚いて、目を見開いてコクヨーくんを見上げた。 「慣れているならっ、休まなくても、ぁ、いいでしょ……っ?」 「……っ、」  思わず背筋が震えた。コクヨーくんが、僕に対してぬらぬらとした得体の知れぬ怨念をぶつけている。それが形容しがたいほど嬉しく、燃えるような激情を誘った。あのコクヨーくんが、あの大人しくて繊細なコクヨーくんが、鉄壁としか形容のできない〝遠慮〟の内に飼っている、若い獣とは別のみだらな獣をいまこの瞬間、僕に見せつけている――――。 「あきつさ、も、もっと……っ」 「……っ、ふふ」  コクヨーくんは、僕の過去に嫉妬をしている。僕が今まで咥えてきた陰茎たちに、その持ち主たちに、怨嗟の念を向けている。いま現在ではありもしない過ぎ去った青い春に嫉妬している。それは、彼の感情を丸ごと浚ってしまったに等しい幸福感を僕にもたらしてくれた。揺れる瞳を真摯に見詰め返し、息継ぎをやめてコクヨーくんに奉仕を続ける。ねばつく快感に打ち震える太股を押さえ付け、愛しい彼の熱い陰茎を咽喉に深く迎え入れた。僕の頭を押さえつけている手指もびくびくと痙攣し、縋るようにくしゃりと髪を掴む。もうそろそろ、限界だと感じた。 「うぁ、んッ、や、ぃやだッ、出……ッ!」  くぱ、と呼吸をする尿道口が生々しく舌での刺激を誘う。根元を手で扱きながらきつく吸い上げると、コクヨーくんはかすかな悲鳴とともに射精をした。前日に自慰をしたのか、あまり濃くない精液が二、三度に分けて放出される。それらの全てを口で受け止め、何度か噛んでから音を立てて嚥下する。執拗に喉に絡む精液がねっとりと食道に落ちる感触に、僕の雄が痛いくらいに反応した。 「んっ、……はぁ。はは、ごちそうさま」 「あ……っ、あの……」  目尻にたまった快楽の涙がぽろりと零れ、コクヨーくんはそれを拭うことで言葉の続きを消した。彼が言わんとすることは想像できる。 〝ごめんなさい、すみません。〟――――それを言うべきは、口での奉仕に慣れていると口走った僕の方だ。そして、嫉妬に駆られた彼に、望まぬ無体を働かせてしまった僕の方だ。  頭を撫でようと手を伸ばすと、コクヨーくんは身を竦ませた。怒られると思ったのだろうか。きゅっと胸が痛む。  彼自身が見たくなかったであろう、はじめてのどろどろとした妬心をむき出しにさせ、あまつさえその暴力性を孕んだジェラシーに幸福感を見出した。うれしかった。遠慮ばかりして、本能に蓋をしてばかりのコクヨーくんが、黒い欲望をありのままぶつけてくれた。  息を整えながら運転席に戻り、エンジンをかけた。模糊としたヘッドライトに浮かび上がる夜霧は濃くなる一方で、相変わらずしんと静まり返った夜空には朧月がぼんやりと浮かんでいる。すこし、疲れた。  コクヨーくんはこちらに顔を背けたまま忙しなく息を整えている。次から次に零れる涙をぐいと拭っているさまが横目に見え、やましさがじわじわと重みを増していく。 「……大丈夫だよ。僕がしたかっただけのことだから」  車内はすこぶる冷えていた。額に浮かんだ汗が冷やされるのを感じる。体の熱とは裏腹に、妙な気まずさと、言葉にできぬうす昏い愛しさに肚が冷えていく。かさりと紙袋のこすれる音が鋭い響きをもって静寂をかき乱す。 「でも……、俺は自分がはずかしい……」  苦しそうに声を吐き出す彼の腕の中に二つのプレゼントが抱え直されていたが、その手が震えていることに気付き、やるせなさに頭を掻いた。  後悔と妬心の残滓に苛まれすんと鼻をすするコクヨーくんにかけるべき言葉が見つからず、オーディオの旋律さえ遠くに聴こえる。  濃くなる夜霧に視界を奪われ、僕たちの間に横たわった溝も深まっていくように感じた。

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