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 ゾロゾロと、他の女性職員が幸三と俺のデスクに近寄ってくる。 「うそっ、うそ~っ! ほんとにっ?」 「明日からって……そんな、ヤダーっ! メイクちゃんとしなくちゃ!」 「今から緊張する~!」  えっ、はっ、えぇっ? こっ、こえぇ……っ!  ただ、引き継ぎ業務のために職員が一人来るだけ。それだけで、この空気感。まるで『人気アイドルグループのコンサートがこの会社で始まるんじゃないか』と錯覚してしまうほどの歓声だ。  そしてなぜか、幸三が誇らしげだった。……それもまた、怖い。 「そう! この! 今オレが座っているこのイスに! 明日! うちの会社の期待のエースが来る!」  オイ、幸三さんよ。お前、この前まで『スイッチやだー』って嘆いてなかったか? 手のひら返しもここまでくるといっそ清々し──くも、ないか。なんか、ヤッパリ怖いわ。  ……それにしても、そうか。この三週間で、幸三はすっかり牛丸さんに懐いてしまったらしい。女性職員も相当だが、幸三も本気で嬉しそうだ。  女性職員が各々で盛り上がる中、ただ一人俺は、ぼんやりと考える。  ……つまり、明日は幸三が牛丸さんに引き継ぎをするってことか。そしてそれは、俺の隣にこの話題の中心人物が座るということでもある。考えれば考えるほど、不思議と俺の頭は冷静になっていく。  もう少し『自分にも関係があるのだぞ』と思えたらいいのだが。どうしたって、頭の中は『俺には関係ないだろう』という言葉しか浮かばない。俺がなにかする必要はないし、自発的にしようとも思わないからだ。  俺が幸三とよく話していたのは、隣同士だっていうのも勿論あるが、一番の理由は【同期だから】だった。  つまり、いくら隣の人が凄腕営業マン牛丸さんになったところで、俺とその人が会話をする必要も理由もないのだ。……それに、この様子だと女性職員が黙っていないだろう。  強いて『俺にも関係があるかもしれない』と危惧すべきなのは、ひとつ。明日からの幸三が、今まで隣に座っていたときよりも賑やかになるかもしれない。……ということ。  そう考えると、やっと自分にも関係あるのかもしれないと思えそうにもなる。  ……けれど正直、そういう空気は苦手だ。  俺は特にモテるわけでもなく、皆の注目を浴びるようなこともなく、平凡に過ごしてきた。そんな俺と牛丸さんは、根本的に合わなさそうだから。  ……だがしかし、幸三が元気になったのなら良かった。それは割と、本気でそう思える。 「なぁ、ブン!」  さっきまで女性職員と盛り上がっていた幸三が突然、俺を振り返った。若干驚きつつ、俺は小首を傾げる。 「どうした?」 「あのさ、頼みがあるんだけど……っ」  言葉を区切りつつ、幸三が照れくさそうに笑う。  ……なぜだろう。なにか、とてつもなく嫌な予感が……っ?  背中が妙にゾワゾワしていると気付きながらも、俺は恐る恐る続きの言葉を待った。  すると、幸三は照れ笑いをしながら続きを言い放つ。 「明日からの引き継ぎなんだけどさ? オレ、うまくできるか分かんねーんだ。だから、オレの説明で足りてなさそうなとこがあったら、いつもの調子でガンガンツッコんでくれ!」  なるほど、そうきたか。幸三が引き継ぎ業務を真剣にやろうと改心したのはいいことだが、改めすぎてとばっちりがきてしまったらしい。  いやでも、隣のデスクなのだから、分からないことを教えるのは当然か。これは別に、嘆くことじゃない。これも、仕事として必要なことだ。  だから俺は、気付かなかった。 「分かってるっての。任せとけって」  ──この言葉が。  ──俺の平凡が終わる、決定的な言葉になるだなんて。  ……思うはずが、なかったのだ。

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