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それから数日経っても、先輩の態度は変わらない。
初対面の相手を口説き、欠片ばかりでもいい反応があれば、関係性をシャットアウト。
対して、一向にいい反応を示さない俺には、毎日毎日来る日も来る日もセクハラパレードだ。需要がないのだから早々に閉演してほしい。
……いっそ、セクハラパレードを開幕する先輩と言う名のパークに、取り壊し申請をすべきか。
しかし、そんなことを数日繰り返していれば自然と【慣れ】というものが身につくもので。甘いマスクで怪談話以上にゾッとすることを言われ続けた俺は、少しずつだが先輩に対して苛立ちを憶えなくなってきた。
先輩からのセクハラを【慣れ】として受け入れ始めた、ある日のこと。
「──このデータ入力を今日中に、ですか?」
一人の職員が課長に対し、そんなことを言ったとある朝。出勤したばかりの俺は、一人の職員が絶望のあまり立ち尽くしている場所へ、そっと近寄った。
机の上には、ドッサリと書類が置かれている。いったい何度、新しいコピー用紙を開封したのだろうか。手を伸ばし、俺は上にある紙を手に取った。……手書きの書類、だな。
……そう、手書き。手書きなのだ。
企画課が持ってくる書類は、基本的に【手書き】だった。それをデータとしてまとめるのは、俺たち管理課商品係の仕事だ。そんなことは入社した三年前から知っているし、ここで一人絶望している職員だって、春から知っていることだろう。
……しかし、なぜこの人が絶望しているのか。そして、どうして書類を手に取った俺が一歩も動けないのかと言うと……。
──物事にはいつだって【限度】がなくてはいけないからだ。
今日は、金曜日。社会人ならば誰しも、定時帰宅を決め込みたい日だろう。おはようのオーディションを終えた後は、しっぽりと土日を過ごす。そう、相場は決まっているのだ。
そんな中、このおびただしい量の書類。しかもどうやら、俺たちはこの商品を【今日中】に全てデータ化しないといけないらしい。
書類の存在に気付いた俺たち商品係の職員は、うぅんと呻き始める。
……だが、ずっとこうして嘆いてもいられない。このまま腕を組んで呻いている暇があるのなら、自分のデスクに戻ってキーボードを叩く方が遥かに有用な時間だろう。
俺たちは手分けして、書類の山から資料を取った。
「よし、やるぞ!」
「私たちなら絶対にできますよ!」
「いい週末にするぞ~っ!」
おぉ、凄まじいやる気だ……! なんて頼もしく、そしてパワフルな団結力だろうか。
ひとつの大きすぎる難関を前に、俺たち商品係は今、強固な絆で結ばれた【運命共同体】だ。気分は、青春時代に駆け抜けた学校祭準備期間。
俺たちはやるぞ、やるんだぞ。
──定時帰宅という名の後夜祭を目指して!
「──子日君と共同作業だなんて、なんだか濡れてきちゃうなぁ」
デスクに向かうと、隣のドマゾ先輩がそんなことをのたまう。せっかくやる気に満ちていたというのに、秒速で削がれてしまった。そういった士気の下がることは言わないでもらいたい。
だいたい、俺一人に対して濡れているのだとしたら、共同作業をしている職員の人数を合算すると大洪水どころの話ではないと思うのだが。
……ということをいちいち口にすると、なけなしの活力が根こそぎ奪われるのは自明の理。
「よしっ、頑張るぞ」
ゆえに俺は、わざとらしいほどのスルーを決め込んだ。……それでも先輩はニコニコしながら作業をしているのだから、根っからのマゾなのかもしれない。
ちなみに俺は加虐性愛者でもなければ、サドというわけでもない。なぜなら、ニコニコしている先輩を見ていたって嬉しくもなければ、楽しくもないのだから。
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