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 真剣に俺を見ていた先輩が、困ったように眉尻を下げる。 「それは、確かに否定できないね」  ──ほら、見ろ。  ──ヤッパリ先輩は、自分にとって都合がいい相手がほしいだけじゃないか。  呆れて物も言えない俺だったけれど、それでも先輩は……。 「だけど、仮に僕が今の僕と真逆で……たとえば、恋愛を楽しめる男だったとして」  また、笑ったのだ。 「──それでも僕は必ず、君のことを『優しい人』って呼んだよ」  そんな言葉を、恥ずかしげもなく添えて。 「関心なんて、いいことばかりじゃないよ。時には人を傷つけるし、自分自身が傷付くことだってある」  そう言いながら、先輩は俺のデスクに手を伸ばした。そのまま先輩は俺のデスクから、積まれた書類を半分ほど抜き取る。 「ちょっと、なにして──」 「子日君」  先輩の手を引き留める前に、先輩が俺の言動を制した。 「──僕は【他人に関心がない】ことを『寂しい』と思うことはあっても、それを『間違い』だとは思ってほしくないな」  抜き取られた書類が、先輩のデスクへと連行される。  先輩は自分のデスクに書類を置いた後、そっと、自分自身の右手首を掴んだ。 「優しさは、人によって違う。だから、君にとっての君が優しくなくても、おかしくはないよ。君が思い描く【優しい人】と、君自身は違うかもしれないから。そういう差異は、誰にだってあるよ」 「先輩……っ?」  先輩の目は、俺に向けられていない。握った右手首を見つめて、眉を寄せていて、辛そうで。  ……ちが、う。  ──違う、俺は。俺は、先輩にそんな顔をさせたかったわけじゃなくて……っ。  先輩は書類に視線を落としたまま、呟いた。 「それでも、僕にとっての君は優しい人なんだ」  ようやく先輩が顔を上げた時。 「これは、君自身にも否定させない。君は、優しい人だよ。……本当に、とてもね」  先輩はいつもよりどこか弱々しい笑みを浮かべて、俺を見つめた。 「……なんて。僕がこんな男だから、君にはうまく伝わらないかな」 「そんな、ことは……っ」 「ごめんね、子日君。僕が、自分勝手な男で」  そんなこと、俺はとっくに知っている。先輩は身勝手で、ワガママで、ヘンタイで、どうしようもない奴で。……知っている、のだ。  俺は、知っていた。俺がどれだけ言葉を尽くそうと、先輩ならきっと──……いや、絶対に。 「だけど、知っておいてほしいな。君は、冷たい人なんかじゃないって。君は、素敵な人なんだって。そして、君のことをそう思っている人が、君の隣にいるんだって」  先輩は、俺を『優しい人』と呼ぶ。そんなことくらい、本当は分かっていたのだ。  ──なにが『冷たい人なんかじゃない』だよ。  俺はアンタを蹴り飛ばして、アンタに暴言だって吐いたことがあるのに。  ──なにが『素敵な人』だよ。  流れるように俺のデスクから書類を奪っていったアンタに俺は、死んだって敵わないのに。  ──なにが『隣にいる』だよ。 「先輩の頭は、本当に残念ですね……っ」  そう俺に慣れさせてしまったのは、アンタの悪行だっていうのに……っ。  今まで、周りから『関心を持て』と言われることは多かった。元カノにも、よく言われたのだ。 『本当にあなたから好かれているのか、分からないの……っ』  この価値観が間違っていると、是正せよと。俺は何度も何度も、いろんな人から言われてきた。  ──なのに、どうしてアンタだけは違うのだろう。  先輩だけは、違った。それはもしかすると、この人が【そういう人】を求めているだけだからかもしれない。  結局、この人にとっての俺が【都合のいい人】であってほしいだけかもしれなかった。  ……それでも、不思議と。 「──それなら、俺を『優しい』って言う先輩も、きっと【優しい人】なんでしょうね」  ──この人の言葉を、否定しようとは思えなくなった。

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