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俺は先輩から視線を逸らして、サッサと歩き出す。
「よく分かりませんが、仲裁人とかは必要ないです。お疲れ様でした」
「あっ、待ってってば、ねの──」
「牛丸さん、ちょっといいですか?」
俺を追い掛けようとしてきた先輩を、女性職員が引き留めた。同じ事務所の女性職員に、俺は心の中で『グッジョブ』と唱える。別についてこられるのは構わないが、理由が理由だ。不快にもなるだろう。
俺は先輩の言葉を無視して、一方的に取り付けられた幸三との約束の場所に向かった。
* * *
終業時間の後。俺と幸三は、三階にある企画課事務所の前に立っていた。
かれこれ十分ほど立っているのだが、お互い、中に入る勇気が出ない。
それもそのはずで……。
──営業部の事務所がある二階で俺を待っていた幸三が、恐ろしい話をしたからだ。
幸三の用事があるのは、俺と同じく兎田主任らしい。
『へぇ。営業部の職員でも、企画課に用事があるんだな』
なんて雑談をしながら階段を上がっていると、幸三が言った。
『営業のために新商品のサンプルが必要だが、それを持っているのは兎田主任だ。自分たちは行きたくないから、新入りのお前が貰ってこい。……って言われたんだぜ! 酷くないか!』
……という、話らしい。
企画課の人にとっては、俺が名前を電話越しに伝えるだけで怯える相手。
幸三が仕事を押し付けられるほど、営業部総出で関わりたくない人。
それはつまり、内部外部関係なく、誰しもが『兎田主任とは関わりたくない』と思っているということで。
……ということは、だ。
──もしかして兎田主任は、かなり危険な人なんじゃないか?
という仮説が、俺たちの間には立てられた。
そんな人に会う覚悟が、たった数歩で俺たちにできるわけがなかった。
だが、いつまでもここに立っているわけにもいかない。俺は隣に立つ幸三の肩に手を置き、声をかける。
「幸三、お前は『大学時代は空手をやっていた』って言ってたよな?」
「待て、ブン、ちょっと待て。なんで今その話を──」
「──失礼します!」
「──ブゥウンッ!」
兎田主任に会う覚悟はなかなかできなかったが、不思議と友人を犠牲にする覚悟はあっさりとできた。同期兼友人の健闘を心の底から祈って、俺は企画課事務所の扉を開く。
事務所の中にはスーツを着た人と、ワイシャツの上に白衣を羽織っている人がチラホラといる。
さっきまで自分がいた事務所とは違う雰囲気に戸惑いながらも、俺は入り口の一番近くに立っていた男性職員に声をかけた。
「終業時間を過ぎているのに、すみません。商品係の子日なのですが、兎田主任はいらっしゃいますか?」
「ブン、ブンっ? なんでオレの腕をガッチリ掴んでるんだっ?」
ブンブンうるさいな、羽虫かよ。さえずる幸三を無視しつつ、俺は男性職員の返事を待った。
すると、俺に声をかけられた男性職員が突如、真っ青な顔をしながら俺と幸三の顔を交互に見始める。
「え、っ。うさいだ、しゅにん? 今、キミたちは『兎田主任』って言ったのかい? 二人ともそれって、本気なのか……っ?」
信じられないものを見るような目で、男性職員は俺たちを見た。まるで音楽の祝福を与える妖精を初めて見た攻略キャラクターのような反応ではないか。……分かりにくい例えだって? それは、ごめんなさいなのだ。
「資料の確認と、商品サンプルの受け取りです。どちらも担当が兎田主任でして」
「そっ、そう。そう、なんだ……っ」
相変わらず真っ青な顔のまま、その人は俺たちが入ってきた扉から出る。
そのまま歩き出すので、俺と幸三は顔を見合わせてから、ついて歩く。
「ブン、そろそろオレの腕離さない?」
「そうだな、大変だな」
「ブン? ブンってば、オ~イ?」
幸三と微笑ましい雑談をしていると、俺たちはある部屋の前に案内された。
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