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兎田主任は、怖い。
だが、こっちは仕事で来ているのだ。怖くても、引き下がるわけにはいかない。
「兎田主任の作った資料の中に読めない箇所があったので、確認に来ました」
「……あァ?」
兎田主任が、眉間の皺を深くする。その顔は、かなり怖い。
読めない箇所と言われると『字が汚いです』と言われているように感じるのだろう。しかし実際問題、読めなくて仕事ができないのだから、怯んでいる場合ではない。
俺は読めない箇所を見せようと、資料を広げる。
「まず、資料のここ──」
「オイ、テメェ」
──刹那。
ガンッ、と。兎田主任が突然、仮眠室の扉を力任せに殴りつけた。扉は凹みさえしなかったものの、傷がついたようだ。
そんな行動を取った理由は、当然分からない。けれど背中に冷や汗が伝い、直感的にこう思う。
──なんか分からないけど、絶対にヤバイ。
俺は思わず、一歩下がる。
兎田主任はまた髪をかき上げて……。……かき上げた際に髪の隙間から見えた目は、俺を鋭く睨み付けていた。
──まるで今から殺してやろうかってくらい、殺意に満ちた目だ。
「なに勝手に人の名前を呼んでやがる」
さっきまでも緊迫した空気だったが、さっきとは全然違う。俺自身はなにもされていないのに、肌がザワついている。
──これは、鳥肌だ。ただ見られているだけなのに、体が震える。
名前を呼ばれるのが地雷とか、思うわけがないじゃないか。
兎田主任は長い脚を曲げて、俺に足の裏を見せる。
──ヤバイ。
本能が、今この状況を『危険』だと訴えている。兎田主任が足をこちらに向けているのは、つまり……。
──『蹴られる』と、瞬時に悟った。
それと同時に、耳に入ってきた誰かの走っているような足音。
……【足音】? なんでここに? いや、そんなことはどうでもいい。それよりも、逃げなくては。
そう分かっているのに、足が動かない。
次の展開を即座に予測した俺は、目を固く閉じる。
「消えろ」
兎田主任の低い声を聞くと同時に、腹部辺りに衝撃がくるのを予感して、両足に力を籠めた。
せめて、倒れないように。とんでもなくちっぽけな意思を持ち、俺は奥歯を噛み締めた。……瞬間。
──ガッ、と。
兎田主任の足が人を蹴った音と同時に、俺は短い悲鳴を上げた。
「うわっ!」
誰かに押された感覚に、俺は半歩下がる。思わず驚いて、声を上げると同時に目を開く。
すると、そこには……。
「──痛いなぁ……っ。相変わらず短気だね、主任君……っ」
左の横っ腹を押さえた先輩が、俺と兎田主任の間に立っていた。
目の前に、先輩の背中がある。……えっ? なんで目の前に、先輩の背中が?
左足を少し浮かしたままの兎田主任が、その足を床につけた。
「なにしに来たウシ、どけろ」
「あははっ。どけたらこの子を蹴るでしょ?」
「当たり前だろ。分かってるならどけろ」
「分かっているからこそ、どけないよ」
普通に会話をしているが、緊迫感がある。先輩は笑っているが、兎田主任は欠片も笑っていない。……いや、それよりも。なんで先輩が、ここに?
そして横っ腹を押さえているのは、まさか……っ! 嫌な想像をしてしまい、血の気が引く。
そんな俺にお構いなく、兎田主任がさっき扉を殴った方の手を振りかざし、先輩に向かって振り下ろす。
「──先輩ッ!」
俺が叫ぶのと、兎田主任の手が先輩の頬をぶつのは。……ほぼ、同じタイミングだった。
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