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 兎田主任は先輩を叩いた手を払うように手首を動かすと、俺の持っている資料を奪い取る。  目の前で行われた一連の動作が理解できず、資料を奪い取った兎田主任をただただ見上げた。 「サッサと消えろ」  それだけ言うと、兎田主任は俺と先輩を顎でしゃくる。それは『どこかに行け』というサインだ。 「書き直してくれるみたいだよ、子日君。良かったね」  兎田主任の様子を見てなにをどうそう解釈できたのか。そう言った先輩は頬を赤く腫らしながら、ふにゃりと笑った。  そんな姿を見てしまったら、いくら先輩が俺にとって苦手な相手だとしても、胸が痛くなるのは当然じゃないか。 「なんで俺なんかを庇うんですか!」  至極当然の質問をすると、先輩はまたあの顔で笑う。 「──あははっ。それはね、僕が君の先輩だからだよ」  その言葉は、覚えがある。……なぜならその言葉は、俺が先輩に伝えた言葉だからだ。  その言葉を聞いたからなのか、こんな局面だというのに笑顔を向けられたからなのか。俺の体は、ピタリと硬直する。  ──なんで俺は、こんなにも緊張しているのだろう?  先輩の笑顔を見たら、イライラしたり、ムカムカしたり、ゾワゾワしたり……。色々と体に不調は出ていたが、今回はいつもと違う感覚。  さっき誰かに押された感覚がしたのは、先輩が兎田主任に蹴られたことで、俺にぶつかったからだ。  先輩の横っ腹を押さえていない方の手が、俺の肩にあると気付く。先輩の手が、俺に触れているのだ。……先輩の、手……っ?  いや、いやいやいや……っ! どうした俺っ、どうしたッ!  体が動かないのは硬直しているからだけど、どうして硬直しているのだろう。いや、硬直しているのも疑問だけど、なんで、なんで……っ!  ──なんでこんなにも、心が落ち着かないのだろう。  先輩が不思議そうに、俺を見ている。そんな先輩から、なぜだか視線が逸らせない。 「子日君? もしかして僕がぶつかったの、痛かった?」 「うわッ!」  横っ腹を押さえていた手が俺に伸びてきて、俺は思わず短い悲鳴を上げる。それと同時に、半歩後ろに下がってしまう。  俺が半歩引いたことによって、肩にあった先輩の手が離れる。慌てふためく俺を見て、先輩は不思議そうだ。  だけど、これ以上先輩と接触するなんて、無理に決まっているじゃないか。  俺は頭の中がこんがらがっているのを自覚しながらも、なんとか言葉を探す。  先輩からやっとの思いで視線を逸らすと、相変わらず不機嫌そうな兎田主任が立っていたと思い出す。手には、さっきまで俺が持っていた資料。  ……そう、だ。そうだよな。兎田主任にも、なにかを言わなくちゃいけない。  俺は慌てて、先輩と兎田主任の間に割って入った。 「あっ、あのっ! 資料の修正、よろしくお願いしますっ!」 「あァッ?」 「失礼しますっ!」  勢いよく頭を下げると同時に、俺は先輩も兎田主任も振り返らずに、三階の通路を走り出す。  ……いや、どうして俺は走り出しているのだろうか。それもこれも全部、先輩が悪いに違いない。  先輩の笑顔が、眩しいから。  先輩がいきなり、俺に手を伸ばしてきたからだ。  ザワザワと心が騒がしいが、それは走っているからに違いない。  ──嗚呼、神様仏様閻魔様女神様。  ──どうかこのモヤモヤとした心模様を、ハッキリさせてください。 4章【先ずはハッキリさせてくれ】 了

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