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 午前の勤務時間が終わって、昼休みになる直前。俺と先輩のデスクの間にある電話が、内線がかかっていると着信音で知らせた。  データ入力のキリが悪く、受話器を取るのに間が空いてしまう。すると俺の代わりに、先輩が受話器を持ち上げた。 「はい、商品係牛丸──主任君?」  その呼び方は、恐らく──と言うか確実に、兎田主任だろう。なんとなく心配になって、先輩の方を見る。 「うん、うん。……分かった、すぐに行くね。……えっ、ヤダな。本当は僕一人で行きたいけど、それだと渡してくれないでしょう?」  なんだか、揉めていそうな気配だ。 「そっちだって商品を出したいよね? だから、これは折衷案だよ。お互いに妥協しよう」  お互いの主張がどこかで落ち着いたらしく、先輩は受話器をもとの位置に戻して、通話を終わらせた。  電話のディスプレイを見ていた目が、俺を映す。たったそれだけで、胸の辺りがソワソワする。……が、それはそれ。これはこれだ。  兎田主任に、いったいなにを言われたのだろう。俺の言いたいことに気付いたのか、先輩はニコリと笑った。 「子日君に頼まれた資料の手直しが終わったって、兎田君から」  なるほど、そういう話か。 「そうなんですね。じゃあ、取りに行ってきます」  仕事は、迅速に。早速取りに行こう。  俺が立ち上がると同時に、先輩も立ち上がった。 「……えっ。あの、先輩?」 「うん、なに?」  お互いに、立ち上がったまま動かない。  顔を合わせると、先輩が不思議そうに小首を傾げる。  それと同時に、昼の十二時を告げるチャイムが鳴った。 「先輩、昼休憩ですよ。食堂かコンビニに行かないんですか?」 「えっ? だって子日君、兎田君のところに行くんでしょう?」 「俺はそうですけど。……えっ?」 「えっ?」  なんだか、会話が噛み合ってない気がする。  ……まさか、もしかして……? 「──ついてきて、くれるんですか?」 「──一人で行くつもりだった子日君にビックリだよ」  ……駄目、だ。胸がまた、ザワザワと騒ぎ始めている。  こんなときのための【精神安定剤】を、俺はポソポソと口にした。 「俺は先輩が嫌い。俺は先輩が苦手。俺は先輩が憎たらしい……」 「えっ、ちょっと、えっ? 子日君、えっ?」 「先輩はヘンタイ、ドマゾ、どうしようもない男……。……よし! もう大丈夫です!」 「なにがっ?」  先輩への気持ちを口にすると、徐々に心が落ち着いていく。ヘイト感情は心を悪にすると思っていたが、存外気分が良くなることもあるらしい。 「先輩、これは俺の仕事ですよ。だから、先輩は気にせず昼休憩に向かってください」 「それは駄目。子日君はどこに行くにしたって、僕と一緒じゃないと駄目なんだよ。……あっ、勿論イくときも──」 「その言い回しやめろくださいませんかねクソが」 「本音が出てるよ、子日君っ!」  先輩がショックを受けていたが、そんなことはどうだっていい。  先輩の笑顔が、憎たらしくて仕方ないのだから。

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