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 先輩は頬を掻いて、眉尻を下げながら笑う。 「本当は僕が一人で行きたかったのだけど、兎田君が子日君相手じゃないと渡さないって言って聞かないんだよ」  なるほど、それで揉めていたのか。  電話先で先輩は、俺を兎田主任に会わせないように。……なにかしらの問題が起きないように、配慮してくれていたのだ。  ……駄目だ、駄目だぞ。よく分からないが、変にソワソワするな、馬鹿者め。  先輩の笑顔から目を背けて、俺は歩き始める。 「……じゃあ、同行をお願いします」 「こちらこそ。三階までの短い距離だけど、デートみたいで嬉しいな」  よくもまぁ、サラリと嘘を言う。その言葉に同意したら、右手首を撫でるか掴むくせに。  俺はなにも返さず、先輩の横を通り抜けてから、事務所を出た。  * * *  企画課の事務所に向かう途中、先輩が後ろから俺に声をかけてきた。 「あっ、子日君。たぶん、兎田君は仮眠室だよ」 「でも、さっきは内線がかかってきたじゃないですか」 「そのためだけに事務所に戻っただけだと思うから、彼はもう仮眠室だよ。……きっとね」  事務所に顔を出すのが珍しいのか、先輩はおどけたようにそう言う。  一応同期のようだし、先輩の言うことを信じてみよう。俺たちはすぐに、仮眠室がある方向を目指した。  ……昨日、あんなことがあったばかりだ。なんとなく、仮眠室に行くのは気が重い。  だけど、もう名前を呼ぶという地雷は回避できる。今度こそ、先輩には迷惑をかけないようにしなくては。 「兎田君ってね、自分専用の仮眠室があるんだよ。他の人は共有なのに、凄いよね」  それはきっと、企画課の人が気を遣っているのだろう。もしくは自分が寝ているとき、あんな怖い人が隣に寝ていたら嫌なのか……。……なんだか、腫れ物に触るような扱いだな。  そんな話を先輩がしているうちに、昨日も訪ねた仮眠室に着いた。先輩は躊躇うことなく、扉をノックする。 「主任君、来たよ」  すると、俺と幸三が訪ねた時より断然早く、扉が開いた。  そこには、上半身裸の上にまるで引っ掛けるように白衣を纏っている男性が立っている。この見た目は間違いなく、兎田主任だ。  兎田主任はなぜか、不機嫌そうに先輩を見ている。  実際は、兎田主任の方が先輩よりも背は高いので【見下ろしている】が適切な語句だが。 「本気で来たのか」 「だって主任君、怖いからね」  不機嫌そうな兎田主任に、先輩は臆することなくドストレートにそう言う。それを聞いて、なおさら兎田主任の機嫌が悪くなっている気がした。……これは、大丈夫なのだろうか?  兎田主任は短く舌打ちをすると、先輩の後ろに立っている俺を見付けた。すぐに俺は、兎田主任と目が合う。  先輩の言う通り、兎田主任はヤッパリ、怖い。 「オイ、昨日のガキ。テメェはなんで非常識にも人の背中に隠れてんだ」  今、お互いに用事があるのは俺と兎田主任だ。先輩を間に置いているのは、失礼かもしれない。……と言うか、失礼だ。  俺はすぐに、先輩の隣に立った。

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