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仕事を進めること、数時間。俺は椅子の背もたれに体重を預けて、ぐっと伸びをした。
そのまま、壁にかかっている時計へ目を向ける。……時刻は、日付が変わるか変わらないかの瀬戸際辺り。
体を伸ばしている俺に気付いた先輩は、優しく微笑んだ。
「さすがにずっとパソコンを見ていると、目が疲れてくるね」
「ですね。目がショボショボしてきました」
「大丈夫? 僕が診てあげようか?」
「訴えますよ無免許なやぶ医者め」
冷たくあしらうも、なんとなく思考力が落ちている気がする。作業ができないわけではないが、効率としては最悪だ。
ちなみに、今日は金曜日。明日は土曜日で、おそらくこの事務所に出勤してくる職員はいない。
だが、このデータは企画課が使う予定だ。
企画課の休みは、土日祝日関係なし。よってこのデータが完成していないと、明日も普通に仕事をする企画課の職員が大いに困るのだ。
俺は頭を掻いた後、天井を見上げて目を閉じる。
「少し仮眠しようかな……」
独り言のつもりでそう呟くと、隣から『ギッ』と椅子の軋んだような音が聞こえた。
「仮眠室には行きませんので、少しでも近寄ったら通報します」
俺は目を閉じたまま、音の元凶である先輩にそう言い放つ。
「違うよ、ヤダなぁ。顔色が悪くないか確認しようと思って──」
「先輩が近付いた分だけ俺の顔色は青白くなるので、あしからず」
「疲れていても、僕の子日君は平常運転だね」
「俺は【誰かの俺】になった覚えはありませんよ」
そっと目を開いてから、俺は事務所内を見渡した。
隅の方に目を向けて、俺は先輩を振り返る。
「先輩。隅にある応接セットのソファで仮眠しませんか?」
「えぇぇっ! まっ、まさか子日君からお誘いされるなんて……っ! 残業って素敵だねっ! 思いもよらない展開だよっ!」
「俺も、先輩がこの局面でまだそんな下品な冗談を言うとは思っていませんでしたよ」
俺も大概に見えるかもしれないが、先輩も先輩だ。まさかシャツのボタンを外し始めるとは、畏れ入った。
随分と元気そうではあるが、俺の提案は作業効率を鑑みると妥当だろう。先輩もそう思ってくれたのか、俺が立ち上がると続いて立ち上がった。
事務所の奥にある、応接セット。そこに移動した俺は、ソファに腰を下ろした。
「三十分後にアラームを鳴らしましょうか。起きたら作業を再開しましょう」
「それじゃあ、僕の携帯で設定しておくよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
俺は靴を脱ぎ、ソファに寝そべる。……当然、同じソファに近寄ろうとした先輩を、片手で『しっしっ』と追い返しながら。
先輩はしょんぼりと肩を落としながら、テーブルを挟んで向かいにあるソファに腰を下ろした。
「子日君の寝顔が見られるなんて、今日はツイているね」
「兎田主任からの無茶ぶりさえなければ、こんなことにはならなかったんですけどね」
「うっ、それを言われるとなぁ……っ」
向かいのソファに視線を向けると、先輩は座ったまま微笑んだ。
「どうしたの? 添い寝でもしようか?」
その笑顔を見たまま、俺はポツリと呟いた。
「──先輩。もう、そういうのはやめた方がいいんじゃないですか?」
ずっと言いたくて、言えなかったことを。
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