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先輩は寝そべる俺を見て、小首を傾げた。
「『そういうの』って?」
「今の、俺を口説くことですよ」
俺が真剣な眼差しで見つめるも、先輩はゆるやかに口角を上げたままだ。……まさか、俺の言いたいことがうまく伝わっていないのだろうか。
「先輩はもう、そんなことをしなくていいんです。それに、俺に対してそんなことを続けている間はきっと、先輩は変われません」
これは、冷たい言い方なのかもしれない。それでも、これ以外の言い方が分からなかった。
俺は、先輩にはトラウマを克服してもらいたい。先輩が恋をして、誰かと幸せになって……。そんな普遍的な幸せを先輩が手にしちゃいけないなんて、そんなのはどう考えても間違っている。
先輩は、いい人だ。外見という意味だけではなく、内面的にだって誰よりも、ずっと。
それなのに、あんな理不尽な理由で未来を失うなんておかしい。
奪われた未来を取り返してあげることはできなくても、それでも俺は先輩に幸せな未来を進んでほしかった。閉ざされた未来に進めないのなら、先が見えない未知の未来を進ませたい。
その道が酷く真っ暗で、一歩先になにがあるのかさえ見えないほどだとして。ならば俺はライトを持ち、先輩の前を歩いてやったってかまわない。
先輩が進む道になにがあろうと、俺は先輩の盾になって守ってみせる。
これこそが……先輩の弱さを知り、それでも強く在ろうとする先輩を知った俺の、やりたいことなのだから。放ってなんか、おけないのだ。
すると、先輩は自身の両手の指を絡めながら、小さく笑う。
「……そうだね。子日君が言う通り、僕にはもうこの【自衛行為】は必要ないかもしれない。それにいつまでも変われないのは、僕個人としても不毛だからね」
なんだ、伝わっているじゃないか。俺は内心でホッとしつつ、口を開く。
「だったら──」
その声を遮ったのは、先輩だった。
「──でも、僕はどっちも嫌だよ」
……『どっちも』とは? いったい、なにと、なんだ?
俺は眉を寄せて、上体を起こす。それでも先輩は、ただただ笑っていて。
「僕は、変わりたくないわけじゃない。だけど、変えたくないことだってあるんだ」
そう言い、先輩は──。
「──子日君のことは、これからも口説き続ける。これは、変えたくないんだよ」
──ヤッパリ、優しく笑っていた。
左手が触れているのは、先輩の右手首ではない。左右の指を、左右の指が弄んでいた。……つまり先輩は今、困っていないということ。
──先輩は本気で、俺を『口説きたい』と言っているのだ。
思わず目を丸くして、俺は先輩を見る。
──その【口説きたい】は、どういう意味で?
当然俺には、先輩の本心なんて分からない。
「……本当に、迷惑極まりない人ですよね、先輩って」
それだけ言い、俺は先輩に背を向けるようにして、寝転がる。テーブルの向こう側から飛んでくる視線が、絶妙にうるさいからだ。
そうだ、そうに違いない。それ以外の理由で、先輩から目を背ける理由なんてあるはずがないのだ。
──俺の心臓がうるさいのなんて、先輩から目を背けた理由ではない。
片方の耳をソファに押し付け、もう片方の耳は自らの腕で押さえる。そうすると、声が聞こえた。
──どうして。
それは、探求したいと願う声だ。
──やめろ。
それは、探求したいと願う気持ちを殺そうとする声だった。
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