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なんということだ。……して、やられた。
アラームの設定を名乗り出たのは、俺にそうさせないため。
俺の寝顔をジッと見つめようとしてきたのは、俺に背を向けさせるための過剰な演技だったのか? ……あぁ、そうだ。そう言えば、先輩は確かにソファへ寝そべっていなかったぞ。
初めから先輩は、仮眠を取るつもりなんてなかったのだ。
これでは、先輩に『助ける』と言った俺が、あまりにも惨めではないか。
「どうして一人で作業をしたんですか! 俺は仮眠をした後に作業をするって言いましたよね!」
「可愛い君がすやすやと可愛い寝息を立てているのに、起こすなんて無粋なことはできないよ」
「なるほどふざけているんですね分かりました殴ります歯を食いしばれこの詐欺師が!」
「待って待って! 穏便に、穏便に!」
拳を握ると、全力で腕を掴まれた。
先輩は眉尻を下げたまま、それでも笑顔を浮かべている。
「あの時間まで手伝わせてしまっただけでも、僕としては胸が痛くて申し訳ない気持ちでいっぱいなんだよ」
「後輩を助けるのは先輩の義務なんだよ!」
「僕は確かに君の後輩だけれど、先輩としての意地だって持っているんだ。だから、どうか僕の言い分を分かってくれないかな?」
「──分からないから殴る!」
「──えぇぇ嘘でしょっ! 暴力は駄目だよ暴力はっ!」
【絶対に先輩を殴りたい俺】対【絶対に俺から殴られたくない先輩】の攻防戦。……レディ、ファイトッ!
俺は拳を強く握ったまま、そのヘラヘラした小憎らしい顔を殴ろうとする。
しかし先輩は俺の腕を掴んだまま、必死に殴られまいとしていた。
「いいから一発殴らせろ……ッ!」
「不穏だよ子日君! 落ち着こう、ねっ?」
「殴ったら落ち着く!」
「それは落ち着いてないよっ!」
そんな攻防戦を繰り広げること、数秒。
「──うわっ!」
一歩踏み込もうとした俺の足が、キュッと高い音を鳴らす。
思わず足を滑らせてしまった俺は、どうにもできずにバランスを崩した。
──倒れる。
そう思った俺を、先輩はすかさず抱き留めてくれた。
「すっ、すみません、先輩……っ」
「殴ろうとはするのに、これは謝るんだね。そういう律儀なところ、僕はとっても素敵だと思うな」
「呑気に評価しないでくれませんかね……っ!」
すぐに立ち上がろうと、ひとまず先輩のデスクに手を置く。
すると……。
「手伝ってくれてありがとう、子日君」
俺の耳元で、先輩がそう囁いた。
──そして。
「──嬉しかった」
そう言い、先輩は。先輩は、なぜか……っ。
──俺の耳朶に、触れる程度のキスをした。
「──ッ!」
俺は先輩の椅子を思いきり突き飛ばし、その場で尻もちをつく。
先輩は椅子のキャスターが滑ったことにより、隣のデスクに椅子をガツンとぶつけていた。
「あいたっ! いきなり突き飛ばすのは危ないよ、ねの──」
「ほっ、ホント、本当にッ! あっ、あなたって人はッ! 油断も隙もあったもんじゃないッ!」
俺は立ち上がることもできずに、先輩に向かって指を指す。
震えた指先を見せつけられた先輩は、肩を揺らした。
「あははっ! それは新鮮な反応だなぁっ」
「もう最低最悪ですッ! 先輩なんか大嫌いですッ!」
「ふぅん、そうなんだ。……ふふっ、可愛いっ」
「椅子から転げ落ちて頭を打ってしまえッ!」
嫌だ、嫌だ嫌だ、知らない……ッ!
──こんな感情、俺は知りたくなかったのに……ッ!
病気なのかと疑うくらい熱を持った耳朶を手で押さえて、俺は先輩を睨み続けた。
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