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俺は慌てて立ち上がり、先輩から目を背けた。
先輩にバッと背を向けて、そのまま応接セットの片付けに向かうためだ。
「あっ、子日君」
「なんですかこの色情魔ッ!」
その前に、先輩が俺を呼び止めた。俺は先輩を鋭く睨み付けつつ、振り返る。
すると先輩は、ふわっと柔らかな笑みを浮かべた。
「また二人で、一夜を明かしちゃったね」
先輩はなにも、おかしなことを言っていない。
一度目は、俺が住んでいるアパートの部屋。そして二度目が、今。……ただ、それだけ。
そんなことは説明されなくても、ましてや説明しなくても分かっている。
──それなのに俺の頬は、カッと熱を帯びてしまった。
「このペテン師レイプ魔がッ! 過労死したって知らないからなッ!」
俺は駆け足で、そう遠くはない応接セットへ飛び込む。
……駄目、だ。駄目だ、駄目だ、どうしよう。
こんなの、俺は知らない。
──笑うなよ。
俺に見せる笑顔が他の奴に向けるものと違うって、アンタはどうせ気付いていないんだろう。
それを見るたび、そう気付くたび。俺がどんな気持ちになっているかも、知らないくせに。
──口説くなよ。
アンタは他人からの好意が受け入れられないくせに、毎度毎度俺に押し付けようとするな。
それを送られるたび、それが胸に積もるたび。俺がどんな状態になっているか、知りたくないくせに。
……分かっている。分かっていたさ。
──もう、限界だ。
あの人の笑顔を、ずっと見ていたい。
あの人に甘い言葉を囁かれるたび、頭と心臓がどうにかなりそうだった。
『好きと嫌いは紙一重』なんて、よく言ったものだ。
……あぁ、そうか。俺はヤッパリ、そうだったんだな。
イライラしたり、ムカムカしたりしていたけれど……いつだって、先輩のことを考えていたじゃないか。いつだって、先輩を目で追っていただろう。
【守りたい】だなんて大義名分をわざとらしいほど掲げて、それで満足していた。俺は自分の感情に、蓋をしていたのだ。
溢れてきそうな気持ちを、先輩が求める【嫌い】という言葉で潰そうとするために。
……だけど、もう駄目だ。意識して、名前を知ってしまったらもう、閉じ込めておくことはできない。
俺にセックスを強要してくる、このヘンタイが。
顔だけはいい、この残念イケメンを。
仕事ができすぎてムカつく、この後輩に。
俺を守ってくれた、この先輩だからこそ。
──俺は。
──【恋】を、してしまったのだ。
心の中でそう唱えただけで、顔が熱い。口の中が乾燥して、体が動かなかった。
俺はソファの前で蹲り、声を上げないようにと口を閉ざす。
『好きだ』と自覚した衝撃と同時に、俺は気付いてしまった。……そう、気付いてしまったのだ。
──俺の初恋は、始まる前から終わっていることに。
「……っ」
──嗚呼、神様仏様閻魔様女神様クライスト様。
──どうかこの、俺の胸に芽生えたばかりの感情を奪い取ってください。
6章【先ずは感情を奪い取ってくれ】 了
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