71 / 250

6 : 14

 俺は慌てて立ち上がり、先輩から目を背けた。  先輩にバッと背を向けて、そのまま応接セットの片付けに向かうためだ。 「あっ、子日君」 「なんですかこの色情魔ッ!」  その前に、先輩が俺を呼び止めた。俺は先輩を鋭く睨み付けつつ、振り返る。  すると先輩は、ふわっと柔らかな笑みを浮かべた。 「また二人で、一夜を明かしちゃったね」  先輩はなにも、おかしなことを言っていない。  一度目は、俺が住んでいるアパートの部屋。そして二度目が、今。……ただ、それだけ。  そんなことは説明されなくても、ましてや説明しなくても分かっている。  ──それなのに俺の頬は、カッと熱を帯びてしまった。 「このペテン師レイプ魔がッ! 過労死したって知らないからなッ!」  俺は駆け足で、そう遠くはない応接セットへ飛び込む。  ……駄目、だ。駄目だ、駄目だ、どうしよう。  こんなの、俺は知らない。  ──笑うなよ。  俺に見せる笑顔が他の奴に向けるものと違うって、アンタはどうせ気付いていないんだろう。  それを見るたび、そう気付くたび。俺がどんな気持ちになっているかも、知らないくせに。  ──口説くなよ。  アンタは他人からの好意が受け入れられないくせに、毎度毎度俺に押し付けようとするな。  それを送られるたび、それが胸に積もるたび。俺がどんな状態になっているか、知りたくないくせに。  ……分かっている。分かっていたさ。  ──もう、限界だ。  あの人の笑顔を、ずっと見ていたい。  あの人に甘い言葉を囁かれるたび、頭と心臓がどうにかなりそうだった。  『好きと嫌いは紙一重』なんて、よく言ったものだ。  ……あぁ、そうか。俺はヤッパリ、そうだったんだな。  イライラしたり、ムカムカしたりしていたけれど……いつだって、先輩のことを考えていたじゃないか。いつだって、先輩を目で追っていただろう。  【守りたい】だなんて大義名分をわざとらしいほど掲げて、それで満足していた。俺は自分の感情に、蓋をしていたのだ。  溢れてきそうな気持ちを、先輩が求める【嫌い】という言葉で潰そうとするために。  ……だけど、もう駄目だ。意識して、名前を知ってしまったらもう、閉じ込めておくことはできない。  俺にセックスを強要してくる、このヘンタイが。  顔だけはいい、この残念イケメンを。  仕事ができすぎてムカつく、この後輩に。  俺を守ってくれた、この先輩だからこそ。  ──俺は。  ──【恋】を、してしまったのだ。  心の中でそう唱えただけで、顔が熱い。口の中が乾燥して、体が動かなかった。  俺はソファの前で蹲り、声を上げないようにと口を閉ざす。  『好きだ』と自覚した衝撃と同時に、俺は気付いてしまった。……そう、気付いてしまったのだ。  ──俺の初恋は、始まる前から終わっていることに。 「……っ」  ──嗚呼、神様仏様閻魔様女神様クライスト様。  ──どうかこの、俺の胸に芽生えたばかりの感情を奪い取ってください。 6章【先ずは感情を奪い取ってくれ】 了

ともだちにシェアしよう!