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 定時を過ぎて、数時間後。俺と先輩以外はみんな帰ってしまい、この仕事を頼んできた係長さえも帰った頃。  俺と先輩の間には、沈黙が続いていた。  最後の会話は、なんだったか……。……あぁ、そうだ。思い出した、思い出したぞ。 『──先輩と一緒に残業とか、超過勤務だけじゃなく特別手当も欲しいところですね』 『──特別な手当かぁ。……あっ、ホテルの宿泊代とか?』  これだ。……どつくぞ、この色情魔。  俺が無視をしたことにより、お互い黙っている今の状況。そんな沈黙を破ったのは、特に意外でもないアイツだった。 「──オーッス! 珍しいな、ブンと牛丸サンが残業なんて!」  ゆき、なんとかさんが事務所に入ってくる。 「ブン? お前今、オレに対して失礼なこと考えなかったか?」  ヤダ、この人怖い。  俺は持っていた資料一式を封筒に入れて、乱入者を見上げる。 「そっちこそ、こんな時間にどうしたんだ?」 「なんだと思──」 「忘れ物のついでにこっちの事務所を覗いて俺を見つけたのな」 「もう少し遊んでくれよ!」  どうやら正解のようだ。幸三はガックリと肩を落として、俺の後ろに立った。  俺たちは今、二人でなんとか半分以上の数を封筒に入れ終わったところだ。俺は一度手を止めて、後ろに立っている幸三を振り返った。 「手伝いに来たのか?」 「まっさか~! 冷やかしだよ、冷やかし!」 「そうですか。ところであなた、誰でしたっけ」 「手のひら返しが早いぞブン!」  手伝う気がないのなら、構うだけ時間の無駄だ。俺は幸三から視線を外し、資料を封筒に詰める作業へ戻る。  それを見ていた先輩が、幸三に話しかけた。 「竹虎君、近いうちに出張があったりしないかな? 合同企業説明会みたいな内容で」 「あぁ、あるッスよ! 土曜日なのに、面倒ッスわ~」 「そうだよね。……あのね、竹虎君。その時に渡す資料が、コレだから」  先輩が『コレ』と言いながら、俺たち二人で資料を詰めた封筒を指で指す。  笑顔で先輩に返事をしていた幸三だったが、それを見た瞬間、ピシリと表情が固まった。  先輩はそんな幸三を見上げたまま、ニコリと笑う。 「千部だから、頑張ってね?」 「……せ、ん……?」 「僕も来場者相手に必死で配った時期があってね。ふふっ、懐かしいなぁ」  いや、つい三ヶ月前まで営業部だったじゃないか。『懐かしい』って言うほど昔のことではないと思うぞ。  しかし、先輩はその苦行を好成績で乗り切ったのだろう。そこまで推測できたらしい幸三は、口の端をピクッと上げた。  そしてそのまま俺たちに、クルリと背を向ける。 「──お疲れ様でしたーッ!」 「──現実から目を背けるなよ」  封筒の山から逃げるように、幸三は事務所から走り出してしまった。  現実逃避を止めようと思ったが、幸三の逃げ足は速い。それは、兎田主任の件で立証済み。幸三はビュンと駆け出し、秒でいなくなってしまった。 「あらら。不必要に脅かしちゃったかな」  先輩はそれでも、ニコニコと笑っている。  そしてまた、俺たちは二人きりになった。

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