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七時頃はまだ、事務所内にもまばらに人がいた。
だが、かれこれ三十分ほど前から、俺と先輩は二人きりだ。特に会話もなく、淡々と作業をしていただけ。
それでも、俺は妙に緊張してしまっていた。
そんな中幸三が来てくれて、実はほんの少しだけ助かったりもしたのだが。頼みの綱であった幸三も、先輩に脅されていなくなってしまったではないか。またもやなんとなく、気まずい空気になる。
だが、この状況は俺が好きで作ったわけではない。
そもそも先輩はいつも、忙しくたって俺に話しかけてくる。それなのになぜ、先輩は今この状況で俺に話しかけてこないのだろう?
……そう、先輩がおかしい。この沈黙は、どう考えても先輩のせいだ。事務所には二人だけなのだから、むしろ話しかけやすいはずだぞ?
……いやいや、これでは待っているみたいではないか! 好意っていうのは本当に厄介だ。おかしくなってしまいそうだぞ。
頭の中でグルグルと、先輩のことを考える。
すると突然、黙っていた先輩が口を開いた。
「随分、竹虎君と仲が良いんだね」
……はっ? なんでわざわざ、そんな話題を?
突然の奇妙すぎる話題に、なぜだか妙にソワソワしてしまう。
それでも俺は、あくまでもなんてことないように。
「三年間ずっと隣同士だったんで、嫌でも仲良くなりますよ」
興味がないように、素っ気なく返事をする。それを聞いて、封筒に資料を入れていた先輩の手が、ピタリと止まった。
……なんだ? なんで先輩は、作業を止めているのだろう? 幸三を揶揄った俺が言えることではないが、作業の手を止めるのは感心しないぞ。
隣にいる先輩へ、視線を向ける。
「……隣同士、だったから?」
いつの間にか先輩は、資料ではなく俺を見ていた。
先輩に視線を向けたことで、俺と先輩の目が合う。
「隣同士の僕とは、そんなふうになろうとしてくれないのに?」
先輩の目を見て、ザワザワと胸が騒ぐ。
──なんでそんな悲しそうな目で、俺を見る?
──なんて目で、俺を見るんだよ。
まるでそのセリフは、ヤキモチのようで。ほんの一瞬だけ浮かれたりもしてしまったが、すぐに平静を装う。
分かっている。先輩は、俺に嫌われている現状が大切だって。【特別】を持っていない俺を、失いたくないだけなのだ。
だから、妙な目で俺を見ないでほしい。
──俺には、好きになってほしくないくせに。
「毎日、顔を合わせるたびに『セックスしよう』って言ってくる人と、仲良くなれるわけないじゃないですか」
声が、震えそうだ。俺は視線を逸らして、作業に戻る。『目は口程に物を言う』とよく言うが、俺は純粋にそれを恐れた。
俺の視線から【戸惑っている】ということを、先輩には気付かれたくない。
──もしかして、ヤキモチか?
──この数日でトラウマを克服してきて、先輩は俺を?
思わず、そんな期待をしてしまう。そんな浅ましい俺を、先輩には見られたくなかった。
「そっか」
先輩が、どんな表情をしているのか。それを見て確認する勇気すらも、俺にはない。
声だけではなく、変な期待と緊張感で、手も震えそうだ。それでもなんとか平静を装って、資料を詰めるという単純作業を続ける。
しばらく、妙な緊張感のまま沈黙が続いた。
そんな中、俺の心臓だけが早鐘を打っている。
……訊いてもいい、のか? 先輩に『今のは、ひょっとしてヤキモチですか?』と。
それとも『どうしてそんなことを気にするんですか?』くらいなら、訊いても不自然じゃないか?
モヤモヤと考えていると、突然。
──先輩の手が、俺の方へと伸びてきた。
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